メナード美術館に中村彝が最も愛した相馬俊子を描いた横長の未完の大作「婦人像」がある。そしてこの館には、さらにもう一点の小さいけれど佳品の俊子像(俊子像の中でもおそらく最初期のもの)もある。
彝のアトリエに未完のまま、その死後まで、秘められたかのよう放置されていたのは前者の横長作品で、彼のものでは最大級の大きさと質を誇る作品である。これは、実は文展出品を目指していた作品ではないかと私は推測している。実際、未完成とは言え、今日でも十分にそのままで優れた作品として鑑賞できるものである。
茨城県近代美術館には、多くの彝作品があるが、油彩画の俊子を描いた作品はない。このような作品が彝の故郷の美術館にあったら、どれほどよかったことか、かえすがえすも同館に油彩画の俊子像がないことが惜しまれる。というのも、現在、横須賀美術館にある俊子像にも、残念ながら故郷の美術館の手は届かなかったからだ。
ところで、メナード美術館の彝の作品「婦人像」は、一般に指摘されるルノワールとの関連のみならず、彝とマネとの関連を示す重要な作品でもあると私は考えている。
実は私、あるお宅で、マネがニーナ・ド・カリアスを描いた「団扇と婦人」
と題される作品のカラーの複製画(本の挿図ではない独立した一枚の複製画)がある古い洋書に挟まれているのを見たことがある。
おそらくこの複製画は、彝からそのお宅に間接的に伝えられたものだと思う。
もっとも彝は、マネの作品をかなり詳しく知っていたから、彼がマネの「団扇と婦人」を見知っていたとしても元よりまったく、怪しむには足らない。けれど、この複製画をそのお宅で偶然見た時、「ああ、やはりマネの影響はあったのだな」と強く思った。
メナード美術館にある彝の「婦人像」は、おそらくマネの有名な「オランピア」における室内に横たわる西洋の伝統的な裸婦像の構図と背景を二分する縦の軸線が特に注目される。それから、室内における植物の描写に見られるような素早い筆致もマネのある種の作品を思わせる。
一方、ニーナ・ド・カリアスを描いたマネのこの「団扇と婦人」は、特に彝の「婦人像」と鏡像関係にあるポーズ(肘をついて横たわるモデルのポーズ)や着衣の黒の色彩(マネの黒は特にスペイン美術からの影響が重要だ)に目が行く。
彝は、「婦人像」において、この二つの作品から無視し得ない複合的な影響を受けたように思う。