気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

秋真っただ中、そしてサグラダ・ファミリア 2

2018-10-26 | 旅行記

秋 真っただ中、天気が良いとフラッと出かけたくなる・・・最寄りのこんな所・・・

北斎館・・・近くの民間駐車業は数が少なく、30分ウロウロ、入館を断念。

一方、こちらの場所は、展示施設の駐車場に入れて・・・

広重の浮世絵展が開かれていた。

歌川広重(1797-1858)は没後160年・・・東海道五十三次のヒット作や名所江戸百景が代表作

葛飾北斎(1760-1849)は北斎漫画にみられるように、感性、表現力、技能、・・・天才ですね。

北斎が72歳で構図やトリミングが抜群の「富嶽三十六景」を発表したのに触発され、

広重は2年後、37歳で「東海道五十三次」を発表しています。

・・・「東海道五十三次」は絵葉書的で受け入れやすかったのでしょうか、

「富嶽三十六景」以上にヒットしたようです。

大はしあたけの夕立:この浮世絵も、ゴッホの作品に取入れられているので有名です。

隅田川に架かる両国橋から一つ下流の新大橋の風景とあります。

・・・始めてみる作品もありました。

これも名所江戸百景です。 「浅草田圃酉の町詣」アサクサタンボノトリノマチモウデ 

浅草の酉の市といえば、11月にある酉の市・・・この発祥の地が、浅草 鷲大明神(鷲神社オトリサマ)

・・・昔、この近くに友人が住んでいて、高1の年に誘われて一の酉に始めて行ったが・・・深夜まで自宅待機が続き

やっと真夜中近くにかがり火が焚かれた神社に集まり、皆でワイワイガヤガヤ・・・何かを待っている。

・・・オー、いきなりどっと境内になだれ込む・・・一番太鼓の合図を待っていた・・と後でわかった。

小屋に並ぶ無数の熊手、裸電球と大歓声に手拍子・・・そんな記憶がよみがえった。

遊郭吉原の周りは田んぼのような風景です、右端が鷲大明神・・・猫の目線の先にはお酉さまへと行列の人々

・・・浮世絵の展示は退色しやすいので、ライティングに工夫されています、光量は控えめ、

大きい作品では無いのでガラスケース越しに間近で見られますが、やはり細部は見難いので残念。

・・・収蔵されているデータベースの画像を借用しましょう。

浅草寺からこの場所は(裏側)北側に1㎞くらいの所、当時はこんな風景だったとは驚きです。

江戸時代末期の例大祭、酉の市、水辺の参道を左から右に行列が・・・大盛況のようです。

・・・話は変わって、秋といえばキノコ狩り、知人に案内を頼んでいたが、・・・

目的地は素人は無理と断わられ、では、独自に新規開拓をと昼食後久し振りに息子と近くの尾根に登ったが

・・・1本の尾根をアップダウン、20本位の松周辺を捜索?・・・雰囲気は良いのだがマツタケは収穫無し

心地よい風に吹かれて、まだ紅葉には少し早い山並みを眺める。

無数の尾根と松の木・・・。山国、日本、キノコに出会うには、過去に収穫した場所とタイミング

釣りと一緒、長居はしない・・・1時間で尾根を下る。

夕方までに、何か収穫を・・・

 

こちらはクセが無く、炒めても味噌汁でも美味しいキノコ、杉林に発生する

短時間でスーパーの袋に1/3位収穫、夕方、息子がWebで保存方法を調べていると

驚きの情報が・・・、エー!・・・いつから、2004年までは食用キノコでした?

山から戻った知人に聞いてみる・・・知っていた、腎臓大丈夫?、だったら気にしないで地元の人は見な食べてるよ

・・・結局、東京に戻り収穫のごく一部、両手に山盛り2杯くらいを美味しくいただきました。

残りは?・・・事情説明の上、送って・・・という知人に処分を任せることになりました。

・・・翌日はドローンの操縦訓練を1時間くらい、無免許で操縦できるカメラ付きドローン、

購入して半年、東京では飛ばせるところが見つからず、室内で多少の練習だけでした

・・・15分位でバッテリーが無くなると、キリモミ状態で落下したり・・・、思わぬ上空の風に流されたり

予備バッテリー数台と、急速チャージャーを駆使して・・・そこそこ使用できる感触に満足して・・・終了。

・・・

イスタンブール、かつての東ローマ帝国の首都、カトリックの教会がイスラムのモスクへ変わり・・・

ヨーロッパとアジアの架け橋、昨今その都市のあるトルコの大統領が注目の的です

サウジアラビア人(ジャーナリスト)殺害、日本人(ジャーナリスト)解放の当事国でどんな情報が飛び出すのか。

・・・トルコでは少し前、現大統領が軍事クーデターを仕掛けられ、運よく逃がれることができ、その後関係者を弾圧しています。

宗教の教えは、人々の行動規範に影響しているでしょうが、・・・教えが類似でも、宗派が違うと・・・争いの火種が大きくなるようです。

サグラダ・ファミリア・・・この時代に、世界一の巨大な教会を完成させようとしています。

・・・東南の生誕のファサードが日陰になってきました、

4本の鐘楼には使徒12人の内、シモン、ユダなど4人の名と肖像が彫られている、

これらの彫刻は、マタマラによってとありました。

左隣の建物は・・・身廊であり、小さな塔の先端には果物が・・・これも日本人外尾氏の作品とあります。

丸窓や三角の窓・・・これらはステンドガラス、中央身廊に光が降り注ぐ・・・どんな天井が見えるのでしょうか

・・・工事中の正面を横切り、南の角からの全景です

しかし、日本の工事現場と何か違いますよね!、イタリーもよく見かけるクレーンがほぼこのタイプ、

操作が簡単そうですが、腕の先端になると耐荷重は減少し、振り回しもユックリでしょうし、効率が・・・

そうか!納期は目標であり、安価な設備で、安全第一、仕事中心の人生など考えられない・・・でした。

画面の右側に張りだした部分が栄光のファサードで、将来全て完成するとここが祭壇に向かって正面から入る入口になります。

・・・では、もう少し左に回り込むと受難のファサード、ここが現在では教会の出入り口になります。

ゲートから内部に入ります。

チケットを受け取り、古い建物の裏を通り、左側の受難のファサード正面に進みます。

ゲートの先にある古いレンガ造りの建物は、・・・屋根が湾曲してキノコの家のようです。

ガウディがこの現場で働く作業者の子供の幼稚園として、1909年に私財を投じて建設したとあります。

スペイン内戦で破壊され、後に修復されこの地に移され、今日では模型や型などの展示場。

目の前には足場が組まれた作業現場が・・・これらは建築というより彫刻作品ですね

1882・・・この教会の着工年ですね

 

ガウディは受難のファサードは、残酷さも表現したい・・・と計画しました。

しかし、受難の完成予想図に対して・・・人々の反応を考慮しこのファサードの建築を後回しにしています。

ガウディは「門を破壊し柱を切り倒し、この建築そのものを犠牲にして、犠牲がいかに残酷なものかを伝いたい」

と語っています。・・・しかし、建築前にこの世を去ってしまいました。

地下の展示室に、模型がありました、全体像が理解しやすいので見て頂こう

何やら左右各3本の斜めに張りだしたアーチ状の柱の形状が独特の形です、その上部には

不思議な・・・バルコニーの手摺のような、・・・イヤ!骨のように両端が関節に・・・あばら骨?

模型よりも、もっと骨のようなガウディのデッサンが残っています。

骨と思うと・・・かつては風葬で目に触れることもあったかもしれません、風化したような人体が・・・

しかし、この位置に立つと・・・ここからの写真は、近過ぎて全体像がつかめません。

彫刻を見ましょう。

日差しが強く・・・露出オーバーで残念、見難いですが

1988年彫刻家、スビラクス氏が受難のファサードの彫刻を担当することになりました。

個性的な彫刻作品です。イイデスね。

受難のシーンが、スパッと切り取られて、デザインに集中して観賞ができます。

右下の・・・蛇の悪魔にそそのかされた裏切り者ユダから偽りの接吻を受ける・・・イエス

16マスの魔法陣が何故かあります。

14が2個、10も2個あります・・・12と16が抜けています。キリストが無くなった年齢 33の暗号とか

・・・顔のないご婦人・・・、これは、ベロニカの聖顔布?

ベロニカ?福音書には登場しない、

辞書には、イエスが十字架を背負って刑場に向かう途中、顔をぬぐう布をささげたという伝説上の聖女、

イエスはその布に面影を写して返したと伝える。また、イエスの顔を写した布。

・・・入口の左に最後の晩餐があったようですが、撮影し忘れていました。

ガイドブックから借用します。上段は下書き、下段が作品

ついでに、悲しみに沈むイエスの像

この作品もいいですね。

下の彫刻も、ペーパークラフトのような・・・シャープなデザインです

・・・兵士ロンヒノス、十字架にかけられたイエスの脇腹に剣を突き立てたシーン、

受難のファサードは、入口左下の最後の晩餐から、・・・中央上部に磔刑を配してます。

十字架は水平に取り付けていますが、下から見上げるので・・・nnn やはり少し違いますが。

入口です、こちらのファサードにも中央に柱があります、

誰も気にしていませんが、柱の裏側から顔を隠した人物が両手を柱に縛り付けられています。

何とこんな入口に、イエスが円柱に縛り付けられています。

確かに受難のファサードでした。

 

コメント
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