フィレンツェ、アルノ川、河口からこの街の上流まで、船の往来ができた時代の地図のようです。
良く見るとジョットの鐘楼、花の聖母の大聖堂が中央に見えます。
右隣にシニョリーア広場のヴェッキオ宮も見えますが、現在、ウフィッツイ美術館として利用されている建物は建っていないようです。
ウフィッツイと呼ばれた建物、その回廊の上部2、3階が美術館となり、渡り廊下で隣の建物につながりイタリアで一番人気の美術館です。
今日のフィレンツェ旧市街の骨格は、16世紀に波乱のメディチ家・コジモ1世によって完成されたと言われます。
この建物ウフィッツィは、1580に完成したフィレンツエ共和国政府の政庁舎で、コジモ1世のお抱え芸術家が設計しています。
チマブーエからミケランジェロまで133人の「画家・彫刻家・建築家列伝」を1550年に出版した有名人、ジョルジョ・ヴァザーリです。
・・・さて、今日では個人での予約が取りにくいと言われるウフィッツイ美術館、回廊に入場ゲートらしきものができていた。
団体客が指定された範囲に順番に並び、・・・やっと・・・ゲートを抜け館内でセキュリティチェックを受け・・・3階に上がり、そこで改札
・・・フィレンツェのガイドの方は、この第一廊下で天井画のグロテスクについて説明、・・・そしてカメラ・ビデオは禁止、
・・・いや 撮影? できる?・・・。エーッ!・・・そうだった、忘れてた。
・・・確か数年前の秋から撮影可能に成ったはず、・・・ストロボは禁止とか・・・言っている。
慌ててカメラの設定を確認し、感度を上げて・・・ストロボOFF、
説明が終わったガイドさんに・・・独自で回りますのでと行動を伝えに・・・レンブラントやカラヴァッジョの展示室は変わっていない?
エッ!・・・展示されてない・・・2階に無い? 展示が変わった?、閉鎖中?・・・良く分からないが・・・
取り合えず、目の前の13世紀の作品・・・必ずガイドが最初に説明を始める作品・・・一応、節目の作品なので確認しに行こう。
・・・オッ、配置も変わっていた。
・・・チマブーエ から ミケランジェロ その チマブーエ です。
「マエスタ」:この主題で多くの宗教画が教会の祭壇などに掲げられています。
多くの信者たちが同時に見ることができ、神秘的な世界を信じられるような絵画が欲しい・・・聖母子とイエスが分り易く描かれ、背景は金色。
マエスタ:荘厳(ソウゴン・ショウゴン)などと日本語の訳が付けられ、さらに設置された教会名などが付記されて、作品の題名となっています。
チマブーエの作品、1280~90年頃の作・・・(サンタ・トリニタの)マエスタです。
大きな板絵に描かれています、425×243、板にテンペラ、昔の平面的な宗教画ですが・・・服地をグラデーションで彩色し立体感が表現され始めています。
・・・注目されている作品は、・・・ジョットの鐘楼の・・・そのジョットさんです。
チマブーエは、ジョットの師匠としての関連性もあって、比較できるように隣に展示されているのでしょう。
絵が描ける人は、多少基本を学べば、建築物の完成図も上手に描ける、完成予想図が描けなければ、大きな建物は心配で頼めません。芸術家は何でもできたのです。
そのジョットさんの マエスタ(オンニッサンティの聖母):オンニッサンティ教会にあった信仰画。
「マリアの処女性と母性と威厳に対する賛歌が描かれる」とウフィッツイ美術館2011年の公認ガイドブックでは説明されています。
ガイドブックも含め評論は、作品に新たな発見が見つかったりしますと、当然大きく変わったりしますので、あくまで参考程度に。
「玉座の聖母子」と紹介している本も多い
この作品は、左の天使が聖母に冠を差し出し、右の天使が、幼子イエスにキリスト受難のシンボル聖体器を差し出している
足元の天使は、マリアのシンボル、バラとユリの花瓶を捧げています。
これらの、いつしか伝えられた決まり事を重要視させ、型にはまった宗教画がこの時代も続いていました。
作品:1310年頃の作品 325×204 板にテンペラ
しかし、この作品は多くの著名人から(ダンテ、・・・ゴッホ)最高の画家だ!たくさん模写をしたい!イタリア絵画・西洋絵画の父などと絶賛されています。
・・・作品の技法が、立体感のある玉座に座った聖母の顔から表情が感じられ、左右の天使の配置も・・・前後に遠近法で描かれています。
この作品は、写実的で新しい時代の先駆けとして評判を呼び、この美術館で徐々に重要な展示位置を確保してきたいるようです。
大部屋の一角に展示されていましたが、今回の扱いで、ジョットはルネッサンス先駆者三人衆の主人公となって来たようです。
・・・三人衆のもう一人が、フィレンツエのライバルだった隣町シエナ、金融業務で競い合った街の画家の作品です。
チョット、優雅な雰囲気、この作品は凝っていて額縁に聖人など30人の半身像が描かれています。
マエスタ:(ルチェッライの聖母)・・・画家:ドゥッチョ・ディ・ボンニセーニャ
1285年頃 450×293 板にテンペラ
ジョットの前の世代、フィレンツェのチマブーエと同世代の画家ですが、チマブーエより写実的でしょう。
これから注目されて人気が出てくると思います。
さて、撮影が可能となれば、展示室の雰囲気も重要です。
このような有名な絵画もあります。
ウルビーノ公爵夫妻の肖像、画家よりも肖像の主人公が有名です。1470年頃の作品、
ウルビーノ公国とは、ルネッサンス真っただ中1443年誕生した新興国で1631年まで存続した。
肖像画のフェデリーコ3世が統治したのは1444~1482年、フィレンツェから東に170~180km、アドリア海に面した小高い丘陵地に宮殿を持つ
小国の軍人でありミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェなどの傭兵隊長で無敗の名将、片目を失い横顔が多いとされるが、・・・鼻は合戦で折れた
この作品は、夫妻の絵が向かい合うように2枚の板絵に描かれ、本のように連結されていた、裏側には地元の風景と馬車に乗っている絵があります。
ラファエッロの生家もあり、宮殿は美術館となっている、・・・坂道の街のようだが訪れたい都市です。
この作品は有名になり過ぎました。1465年頃
聖母子と二天使:フィリッポ・リッピ、修道士画家がよその修道女に恋し、モデル・・・そして結婚、娘は後に画家に
この柔らかな輪郭・・・特徴があります。ボッティチェッリも相当影響を受けたのでしょう。
これも有名?ですね 題材が
・・・そして、この美術館の目玉の部屋に進みます、レイアウト、展示変わりました。
プリマヴェーラ(春)1482年頃 板に油性テンペラ
壁面一杯の大作です。203×314
そしてこちらに ヴィーナスの誕生 1484年頃 リンネル布 テンペラ(キャンヴァス画)
172.5×278.5
あれ、この作品もありましたが
・・・最近日本で公開された際、ポスターに使用されていましたのが
奥に見える作品です
パラスとケンタウロス 1482年頃 リンネル布にテンペラ 207×148
ロレンツォ・・メディチが所有していたなどで、多くの作品が焼失せずここに展示してありますが・・・
サンドロ・ボッティチェッリは、サヴォナローラに心酔していたようです。
メディチ家のような贅沢が批判され、ボッティチェッリは自分の作品も人々を堕落させていると考えたのでしょう
・・・多くの作品をシニューリア広場で焼き払いました。
こちらの多角形の一室には、メディチコレクションが展示されています。
彫刻、そして16世紀絵画が壁面に密集して、当時のスタイルで並べられています。
・・・美術館の南端、・・・廊下の窓からアルノ川が見えます。
天気が良くなってきました。下流まで・・・架かる橋が良く見えます。
遠くに・・・ピサの斜塔が・・・その先に海・・・共に遠すぎてもちろん見えません。
今日は穏やかなアルノ川です、ボート部の生徒でしょう舟艇が良く見かけられましたが・・・。
さて部屋が変わって、この絵も有名です。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母教会)のクーポラが完成し、その上に八角形のランターン(採光など)が造られ
更に最上部に球体のシンボルをヴェロッキオ工房がクレーンで吊り上げ据え付けていました。
そのヴェロッキオさんの、キリスト洗礼 180×152 製作年代は諸説:1473-1478年頃
左端のかわいい天使
弟子のレオナルドが10代で、工房の作品に参加し描いています・・・師匠もビックリ、こんなに技能が優れていたとは。
そして、レオナルド・ダ・ヴィンチによる 受胎告知 がこのようなスタイルでライトアップされていました。
受胎告知のイメージがこの絵で完成してしまったようです。
依頼主があっての宗教画ですから、あちこちで描かれているうちに、・・・人気のイメージに収束されていくのでしょう。
背景の描写も注目されていまして、結構描き込まれています。
右側の建物の3階から・・・渡り廊下です。
北側に・・・フェレンツェのシンボル、クーポラが見えています。
展示作品は・・ルネッサンス時代に限れば、レオナルドの作品を数多く模写したこの人
聖母像を描かしたらNo.1
ヒワの聖母 1505.6年頃 板にテンペラ 107×77.2
ローマで工房を持ち大活躍しています。
教皇レオ10世 など有名な作品も多いですが モナリザに雰囲気が似ている
マッダレーナ・ドーニの肖像 RAFFAELLO SANZIO と額に刻まれています。
そして、チマブーエ から ミケランジェロ の
ミケランジェロの作品が、こちら
「聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」 1506-1508年頃 板にテンペラ 絵画φ120、額外径φ170
壁画以外の作品は・・・多分確認されているのは、この作品のみ、
この作品にも何故か5人の裸体の男性が登場しています。
額にも登場人物が5人・・・フィレンツエの商人ドーニのために描かれたとありますが・・・。
・・・ルネッサンスがフィレンツエからローマ、そしてヴェネツェアへと移り
そのヴェネツェアの有名画家 テッツアーノやティントレット、北欧のレンブラント
そして、ルネッサンス後の個性派画家、イタリア出身カラヴァッジョ(Caravaggio)の作品も人気が有ります。
美術館はこれくらいにして、街中で有名になりたいと多くの芸術家を見かけます。
一方、これらの人々も有名人ですが、近づいてきたら関わらず、急いで離れなさい・・・と言われます。
イタリアでは、取られる人が悪い・・・親しそうに話しかけてくる人に関わらないこと・・・昔から言われ続けています。
このデザイン、機能美、インダストリアルデザインは歴史があります。
マネキンも近未来でしょうか、
人気のブランドショップが数多くあります
ミケランジェロが購入し一時は住居として使用し、その後一族、ブオナッローティの家もあります。
市内にも街路樹が欲しいが、鉢植えでした。
少し歩くと、またこの一角に出て来ます・・・クーポラの裏側です。
何度も見てくると、この教会は幾何学模様のデザイン、素材と強調されたラインのコントラストで重厚感、威圧感が強い
色大理石で多少マイルドになってはいるが、目的とする巨大な建物を建てたい・・・は達成されていました。
周囲は全て石造り
石畳の上をマッピングされたバスが通り、
石造りの建物から暖かい光が目に飛び込んでくるとホッとする。
ブランド品の並ぶ通りに、・・・ここにも古い教会が
活気のある、元気な所に行きましょう。
こちらは、裏側になるかも・・・入口です
ここは中央市場、中に入ります。
1階は食肉や鮮魚、チーズ、ワイン、オリーブオイル、2階は青果市場
テーブルがある片隅で食事もできる、地元の市場です。
閉店の時間が近く、急ぎ足でアチコチと、試食ももちろんできます。
地元のワインもありました。
ワインや乾燥ポルチーニ茸など購入し、市場を後にします。
そして、近くを散策
画材にひかれ店内へ、こちらでカレンダー類を購入
この倉庫のような建物、壇上で演奏会です。
この建物の左側に回り込んだ面が正面(ファサード)です、・・・ミケランジェロに制作を依頼してあったが
未着工のまま、何もない石積みの壁面のまま・・・今日へ。
この大きな側壁の祭壇に近い右端にも入口があります、・・・上部の紋章はメディチ家です。
ここは、サン・ロレンツォ教会、メディチ家の菩提寺です
そしてこの右側に、大きなクーポラのあるメディチ家礼拝堂が連なります、内部はメディチ家の墓所
ミケランジェロやドナテッロの聖具室など・・・多くの彫刻があります・・・有料となり公開されています。
さて、こちらも白、緑、ピンクの色大理石で積み上げられたゴシック建築の教会です。
ファサードの前は、目に易しい緑の芝生がありました。
1246年と着工は古いドメニコ派の聖堂です。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
しかし、この教会のファサードも、周辺も最近このように綺麗になってきました。
フィレンツェ中央駅が教会のすぐ裏で、この近くに宿泊したこともあるのですが、今回はジックリ探してみましょう。
この教会よりも有名な、・・・1612年に認可され、一般に販売し始めた、現存する世界最古の薬局です。
サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局
一度入ってみようとしたのですが、中々入り口が見つからず、教会前のスカラ通りを中央駅の方へ進んだ右側でした。
内部で喫茶室の手前に、薬草を栽培し、薬剤を調合した釜なども展示されていました。
オーデコロン、石鹸、など人気の商品を販売しています。
近くの中央駅に寄ってみましょう。
かつてはイタリア国鉄が運営する Treni Eurostar エウロスターETR500、現在は民営会社トレニタリアが運行
ローマ、ナポリへ・・・快適な旅となります。
日も暮れて、夜の教会、これはサン・カルロ教会でしょうか
何故かピンクの光に吸い寄せられて、
建物の壁面や角々に窪みが設けられ、聖人などの彫刻が収まっているのが良くみられます。
これらの彫刻を持つビルが教会だったりして、ここにも教会という感じで・・・カトリック教の街でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます