かつて、遠い昔・・・6~8世紀、東ローマ帝国ではペストで半数近く亡くなり、
さらに14世紀、またもヨーロッパ全域に広がり、
約1/3近くおよそ2500万人ともいわれる人々が亡くなったと推定されています。
・・・1/23、武漢の封鎖に驚いたが・・・、中国からの観光客が激減して静かな様子、
・・・では行かなくては札幌、雪祭り、そしてルスツスキー場。
そんな軽い感じだったが・・・しかし、既に武漢から多くの人々が各地に移動・・・ウイルス保菌者も
対岸の火事と・・・世界が無関心でいたら、エッ!
地球の裏側で最終日を待たず中止になり・・・
従来通りの診察を続けていたら・・・医療従事者が運悪く感染し、
院内感染・・・気が付けば、あっと言う間に大量感染
まさか、歴史上の悪夢再来、・・・見かけた、このような光景も無くなり、
シャッターが閉まり、イタリア、スペイン、フランス・・・外出禁止、そしてアメリカに飛び火、全世界に
かつて中世にたびたび襲った黒死病・・・歴史上の出来ごとでしたが、当時の恐怖を体験させられているかのようです。
・・・過去の教訓がありました・・・教会に集まって、皆で祈りましょう・・・それダメ!でしたが
フランスでは、禁止される前に教会が既に大きなクラスターとなって、ヨーロッパ各地に信者が移動してしまった。
ヴァチカンの礼拝堂、北側壁面、・・・この左の先に祭壇があり、新約聖書のただ一つの預言書です
欧米はキリスト教国、・・・あまりの感染拡大の速さと、近代医療の崩壊で・・・何という死者の多さに
・・・黙視録の ⇒ 疫病・天変地異・人類滅亡 と次々にラッパが吹かれていると感じる人々も多くなっているでしょう。
ヨハネの黙視録 神から7つの巻物をイエスが受取り、封印された巻物を開かれるたびに
地上に戦乱・飢餓・疫病などの禍が降りかかる、6巻の封印を解くと天変地異、
・・・最後の巻物で人類は全て滅亡する。
この後、地上にメシア(救世主)が降臨し、殉教者が蘇り、「神の国」が築かれるという、預言
・・・ミケランジェロは、左下に復活する死者群を描き、審判の結果、上方の天国へ左から上昇していきます。
右側は、地獄へ落とされる人々が下降してくる。
中央に審判するのが理想の男性像、若きイエス、隣は聖母マリア
最後の審判は、死者はイエスが復活した時と同じ30代の姿で蘇り、生前の行いを記した「命の書」によって裁かれる。
・・・このヨハネの黙視録は、新約聖書に採用するか否かでもめたようです。
現代では、天国で神からイエスが7巻の巻物を受け取ったのを見た、確かに見たのですと布教しても・・・マボロシーと言われるでしょう。
作成時のDC90年頃はキリスト教迫害時代のようで、信者が脱退しないように得意の脅しを予言にして教会に通達した可能性もあるでしょう。
ミケランジェロの作品では、天使の翼は不必要、悪魔は爪が長く、死の世界は一番下、死者は墓場からはい出し、・・・
地獄の入口は・・・落とされた者が舟に乗せられ、渡って行く先にあります。
礼拝堂の祭壇の真上が目立つので・・・、ここに地獄の入口です。
(最後の審判 ミケランジェロ作 1536~1541年 システィーナ礼拝堂)縦14.6m、横13.3m フレスコ画
・・・ミケランジェロはキリスト教徒ではあるが、若くしてプラトン哲学の中で成長しています。
サヴォナローラ事件、自身の逃避行、ルターの指摘、フィレンツェ包囲、ローマが略奪を受け、それからから9年
・・・波乱の人生、地獄も何度か味わい、キリスト教とは絶対か?真実か?
異教徒の優れた文明・・・批判を承知で祭壇画に深い意味を込めたのでしょう。
・・・さて現代、コロナの恐怖、昔と違うのは、病原体はウイルス、感染に気を付けるという情報だけでも気が休まります。
武力紛争は軍需産業の都合であり、本当の脅威は、ウイルスが人類を滅ぼすと一部の科学者から指摘されてきました。
言葉の軽い、先見性の無いリーダが・・・マスクを全世帯に2枚配布します。
・・・この発言は世界に飛び散り、日本のリーダの資質を見下されました。
年寄りでも金とコネがあれば生き延びられる、我々は大丈夫、経済優先で行きましょう。
取り巻きの浅知恵でしょう、年金も、医療費の増大もコロナ事件で抑えられる、財務のリーダも大喜び
投資対効果は?と指摘をされたら・・・効果の検証は難しい、
報告書は?、批判を受けたら書き換えれば大丈夫と、従前通り無責任時代のようです。
現実的には、政治家の力量不足を今更なげいてもしょうがない。自分の身は自分で守るよう最善を尽くす。
・・・地球温暖化が動物を淘汰し、ウイルスが生物を淘汰する、
コロナウイルスが鎮静化した・・・その先には、予想の出来ない歴史の転換点となるでしょう。
世界をリードしてきたと自認していた欧州が、欧米に変わり、気が付くとアジアが台頭してきた近年、
経済活動は、情報、製造、物流が格段に進化し、効率を重視するあまり在庫を持たない日常が定着し、
危機管理が当てにならなくなると一大事、想定外が多発する時代に、・・・どう生きるか、
個々の生きがい、人生哲学を探し求める時代でしょうか
このような時代、悩んだ末に足が向くのは、かつては宗教だったでしょう、・・・禅宗は人気になるかな?
・・・、ブログは筆が進まず、
ローマは16世紀 ミケランジェロ、システィーナ礼拝堂の天井画制作の時代を考えていました。
なぜミケランジェロは、裸体が好きなのか、登場人物が不自然な裸体で・・・何を表現したいのか
枢機卿の一部やご婦人方から非難の嵐でしたが、時代はルネッサンス、
キリスト教誕生の前の文明に憧れがあり、ローマのブドウ畑の下にはローマ帝国時代のお宝が眠っているので、
市民が勝手に掘り返し、モグラのような穴がたくさん出現、教皇・枢機卿・貴族と喜んで買い取ったそうです。
これが、最後の審判を描いた時代に時が流れると、アルプスの向こうでルター、カルヴァンがヴァチカンは改革せよ!
呼応するかのように、ローマ教皇に異端審問推進派のカラファー枢機卿がパウルス4世として即位すると、
最後の審判の祭壇画に描かれた裸体画の恥部は、不謹慎として別の画家に布切れを加筆させた。
前後するが、ローマが略奪され多くの芸術家が逃避した先がヴェネツア、ルネッサンスはローマでは終わりを迎えます。
その前に、ヴァチカン宮殿では、この若手が素晴らしい空間を完成させて、歴代の教皇からミケランジェロに変わって寵愛を受けます。
「アテネの学堂」1510年、ラファエロ・サンティ作 ヴァチカン宮内
聖堂を建て替える大役を受けた建築者のブラマンテが、親戚の子のラファエロをフィレンツエから呼び教皇に推薦します。
不慣れな絵を天井に描き始めたミケランジェロの礼拝堂の隣に、ヴァチカン宮があり、教皇の部屋数は十分にありました。
2階の大部分が教皇の間で、ライバルの前々教皇ボルジアの間と呼ばれましたが、ここには住みたくなく
3階の4部屋を新たに教皇の間として計画済で、この壁に1508年、ラファエロに絵を描かせることにしました。
時の教皇は、ミケランジェロに天井画を描かせたユリウス2世です。
署名の間の一角に描かれた、先の「アテネの学堂」が特に有名でしょう。
中央の朱の衣が、ギリシャ哲学者プラトン (モデルは師匠と仰いだレオナルド・ダ・ヴィンチ)
隣の青い衣は、弟子のアリストテレス、ソクラテスは上段やや左側
中央手前、ヘラクレイトスが左肘をついている(モデルはミケランジェロの説が有力)
ご存じのように、数学者で幾何学といえばユークリッド、そしてピタゴラスほかにも、多くの学者が・・・。
この絵の左下が出入口で、左右の壁面にも、天井そして反対側にも描かれています。
反対側には、聖体の議論と呼ばれる壁画があります。
こちらは、下半分が地上の世界でアリストテレスら哲学者が議論し、
上半分に天上界が・・・キリストでしょうか・・・地上界を見降ろす構図でしょう。
教皇は偉大な異教の哲学者を見降ろせて、威厳が保て、更にこれらの構図、描写力に感激したことでしょう。
ユリウス二世は1513年病に倒れたが、その少し前1510年、マルティン・ルターがローマを訪れていた。
メディチ家出身の教皇レオ10世が誕生したが、
幼少時代から良く知っているミケランジェロを遠ざけ、ラファエロを寵愛したようです。
ラファエロは、ミケランジェロと正反対、社交的で、実業家向き、大きな工房を持ち多くの仕事をこなしていきます。
エネルギーの源泉は、・・・女性も大好きでした。多くの優しい聖母子像などを残しましたが・・・
37歳の春、亡くなってしまい、遺言でこの歴史上の神殿を希望し、パンテオンに埋葬することが許されました。
ローマ帝国時代の建造物で、多神教の時代の神殿です。
行ってみましょう。
丸天井が2000年前に造られていたのです、
この巨大な屋根が地震で倒壊せず残っているのは、奇跡です。
この様な平面図です。
正面の左前方、聖母マリアの左横に聖年像があります
ラファエロ・サンティ
この様な案内が掲示されていました。
ラファエロの墓、ラファエロの死後、1520年に彼の遺体はすぐここに運ばれました。
この場所は芸術家が自分の埋葬のために選択したものです。・・・略
左側のラファエロの胸像は、ジュセッペファブリス(1833年)の作です。略
そして目を下に移すと
一番目立つところに、・・・花が添えられていました。
ルネッサンスの三大巨人の一人とされるラファエロの自画像・素描です
10歳ころと言われています。
こちらが彫刻的作風と言われる、ミケランジェロのレダと白鳥の素描
そして、万能の科学者、レオナルドの岩窟の聖母の素描です
凡人とは全く違う、少ないタッチで雰囲気を、ちょっとの斜線で陰影が、さすがです。
CADで図面を描いている者としては・・・味も個性も必要無し?
大量生産品に、味も個性も・・・必要ですが、作業者が変わっても、マニュアル通りに造れば同一の製品が造れること。
ISOのマニュアルの基本、標準化でした。
味も個性も評価の基準を設定し、測定し、記録が必要、大量生産の品質保証でしたか。
手作り品は、良いですね、温かい。
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