気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

紅葉狩り、サグラダ・ファミリア(聖堂内は

2018-11-03 | 旅行記

紅葉前線が・・・関東平野に降りてきました。

しかし、高尾山はまだ早い、そこで近くまで出かけて行きましょう。

11月4日、ここは伊香保・・・と言えば温泉地、階段の街。

・・・温泉旅館を中心とした街区が造られたのは400年以上も昔と言われます。

ゴミひとつないきれいな、・・・階段が追加され新しくなった街、紅葉が見頃でした。

この階段の上、左に案内板がありました。

左下の・・・ひな壇に並ぶ大勢の人々・・・昭和初期

群馬社の慰安会・・・当時、前橋の製紙工場で働く女工さんの慰労会で・・・記念撮影・・・これがポスターになったそうです。

・・・石段の街・・・小山の上の神社に向かいましょう。

少し登ると右側にハワイ公使別邸、振り返ってみるとこんな光景が

階段に戻ります

前方、徐々に幅が狭くなっていきます

甘味屋、お土産屋、射的・・・両側に並ぶ店や宿屋を眺めながら・・・階段を上がります

鳥居の手前、階段の右側に・・・

365段/365 の表示がありました。

 

伊香保神社:明治11年(1877年)春、伊香保大火により、本殿焼失してしまいます。

その後、仮宮として建立、・・・現在に至る、とあります。

焼失から・・・140年以上の時が流れています・・・

ここが、仮宮です。

右側の階段の下では、かつて騒々しいほど賑やかな時が流れ続けました・・・

ここ仮宮は、・・・忘れられたように静かに、仮のままの姿が続いていたようです。

山側に雨風が吹き込む姿で、このような形で鎮座していました。

伊香保神社のご案内です・・・

途中にこんな・・・明治44年発行の 上州伊香保温泉場全景 が掲示されてました。

昔の景観、・・・見難いので樹木を緑、階段を明るい緑、神社の鳥居を朱で着色してみました。

明治の終わりころ、伊香保神社は仮宮でしたが、温泉街には3~4階建ての旅館があちこちに見られ発展している様子です。

このような写真もありました。群馬社のその後?・・・ではないようです。

・・・時は流れ・・・製糸工場から・・・戦中・戦後・・・復興・・・高度経済成長時代、バブル・・・

いつ頃の写真でしょうか、綺麗所かと思ったが、・・・

社旗のような所属団体を識別できる物があります・・・伊香保温泉観光協会のポスターでしょうか

手前の約300人に続き、中段までは顔が分かるようですが、その奥上段にも多くの方が並んでいます。

並び順はどのように決まったのでしょう・・・。

私が前と前に出てくる人や、肖像権があるのでアップにしないで下さい・・・と言う人も。

しかし、平成の時代にも 浴衣姿で1000人階段 ・・・当旅館の女将さんたちの企画で・・・

宿泊客を募集し、1000名弱の参加で・・・観光ポスターになったと思いましたが?

・・・神社の裏から西側に坂道を下り、街道を上流に進みましょう。

500m位進むと・・・前方が朱色・・・高揚してきました。

そうです、楓、その中でモミジと呼ばれ、イロハモミジが特に人気、

アントシアニンは・・・紅葉を赤くする

・・・ここが目的地

人気の河鹿橋(カジカバシ)、京都にも負けず劣らず・・・でしょう。

ここの案内図がこちらです。

京都北西、高雄山、山が燃える・・・400段の石段の先・・・神護寺、素敵な所です、あちらも今が見頃でしょう

・・・身近な温泉地、ここ、河鹿橋でもこのように素晴らしい紅葉が見られました。

・・・では、駐車場に戻って、榛名湖へ

途中、榛名山の展望台から・・・赤城山が右手奥の山並み、手前に伊香保の街並みが見えます

午後は、榛名神社へ向かいます。

 ---・・・・

落慶法要・・・これは仏教でしたか、・・・カトリック教の場合は、献堂式と言うらしい。

確か少し昔、法皇がミサを行ったニュース映像が世界に流れました。

サグラダ・ファミリア地下の展示資料から画像を

・・・サグラダ・ファミリアの献堂式、バチカン放送局の資料から

2010/11/7、教皇ベネディクト16世のミサには、スペイン国王夫妻、ファン・カルロス1世国王隣席のもと、聖堂内外およそ30万人の市民が参加した。

教皇はこのミサで、祭壇の聖別をはじめとする教会献堂の荘厳な儀式をとり行われ、

サグラダ・ファミリア教会を「バシリカ」(重要な教会への称号)として宣言された。

サグラダ・ファミリア=聖家族に捧げられたこの教会の献堂にあたり、

教皇は誕生からその自然な死に至るまでの人間の生活の基礎にある「家庭」の大切さと、愛と祈りの学び舎であるその役割を強調。

今日の社会において家庭を支え、保護する必要を訴えられた。

さすがに世界12億人のリーダーです。

カトリック教信者ファースト、などと決して言われないでしょう。

世界平和に貢献される姿はカトリック教の人気を上げ、トランプ大統領が悪役に成り下がっているので、

ユダヤ教・プロテスタントには辛い日々でしょう。

-教皇の画像は展示物から借用して背景を加工してます-

では受難のファサードから内部に入ります。

多くの観光客がスマホを掲げ・・・こちらもカメラで同類でした。

入って中央から左側・・・こちらが後陣になり、手前に主祭壇、天蓋でしょう目立ちます。

そして振り返って全体を見渡すと・・・右側、オレンジの光り輝く側廊が気になります。

ステンドガラス越しの・・・赤く輝く空間は、一瞬血が騒ぎ高揚してくる。

そして、眩しい光から視線をずらし・・・

ステンドガラスの絵柄と周囲の構造物にピントがあって来る。

一瞬、ここはどこ? ・・・ そうだった、ここは教会内部、見上げれば

それらしい、何やら象徴的な多くのシンボルが存在を主張し、

・・・天上界からも何かが降り注いでいるようです・・・とにかく、・・・天井が高い

ステンドガラスには聖書の物語が描かれるのが普通ですが、ここでは見かけられない。

・・・色彩と透過光のイメージ優先でしょうか、明るい現代的な建築インテリアです。

ごった返している中央身廊を通り抜け、反対側の生誕のファサード近くで、立ち止り一息入れる。

この聖堂の平面図を見て頂きましょう。

右下から黄色のラインのように

 

 主祭壇や後陣の薄紫色は当方で着色しました、ロープが張られ立入禁止となっています。

下側が受難のファサード、⑧は洗礼堂、上が生誕のファサード、⑨は悔悛の礼拝堂

受難のファサードから内部に入り、右側の①が工事中の栄光のファサード(現在は出入りできません)

・・・この祭壇正面になる栄光のファサードから入場すると全体像が分かりやすい・・・5つの門が見えます、中央身廊と側廊です。

完成しても多分通常は中央の扉は閉じられ、両端の扉からの入場になるでしょう

室内から生誕のファサードを通り外には出られますが、柵で仕切られ教会の外部には出入りできません。

地下に礼拝堂や博物館があります。

では中央身廊に進んで、改めて主祭壇側を見てみます

とにかく天井が高い、ここに見える柱は色が違うようです・・・ガイドブックによると4種類

手前の赤く見えるのが赤斑岩、高さ22.2m(8階建て位の高さです)、直径2.1m、断面は12角形、

裏に見える褐色の柱は、玄武岩、高さが18.5m、直径1.75m、10角形・・・少し強度が下がります

奥の明るい柱が、花崗岩、高さ14.8m、直径1.4m、8角形のようです。

・・・石積み建築です、危なさそう、鉄筋入ってなく大丈夫、地震で横滑りは、モルタルで固定は?

確かなことは、上に乗る重量により素材、サイズを変えていることは解りました。

聖歌隊の席が、多分栄光のファサード側の上部になると思われるがその部分の柱が、モンジュイックの岩で高さ11.1m

直径が1.05m、6角形の断面となり強度は最も弱いとあります。

これが天蓋、聖家族・・・イエスの磔刑のデザインとしては・・・

動的ポーズに思えてしまう、この明るさも、・・・従来の慣習にとらわれない未来のカトリック教でしょう

内部からは感じられないが、この柱の上部の屋根の上・・・その上部には円筒の塔が工事中です。

この天井を支える最も高い赤い柱4本に、各々イラストが浮かんでいます。

これらは福音書を書いたマルコ(赤・獅子)左下、ルカ(緑・牛)右下、ヨハネ(青・鷲)右上、マタイ(黄・天使)左上、たちです。

そして、間もなく外部では・・・驚く光景が見られるはずです。

18本の塔が建ちますが、生誕のファサードは既に4本完成(外側2本が高さ94m、中央が107m)受難の4本も1977年に完成(高さは、生誕同様)、

栄光のファサードはもう少し高くなる、・・・これらは12使徒と言われています。

この場所の上部にイエス・キリストの塔:172.5m(日本の高層ビル、新宿西口の原点:京王プラザホテルと同じくらい)が積み上がってきます。

イエス・キリストを囲むように、四方にマルコ、ルカ、ヨハネ、マタイの4本の塔が建ち(約130m)

一番後陣に、聖母マリアの塔(約140m)が建つことになります。

模型がこちら

西日が当たる屋外に展示してあったので、ケースに映り込みが多く見難いですが、両サイドの色の濃い部分が完成済です。

手前が、正面になる栄光のファサードで、中央の一番高い塔がイエス・キリスト、聖母マリアは裏で見えません。

イエスの塔の両サイドが、マルコ・ルカたちの塔です。

・・・これらの塔の役割は鐘楼ですから、3種類の音、ミ・ソ・ドに調音されている鐘が基本となるようです。

日常は静かな澄んだ音が流れるのでしょう。

異色な発想がありまして、ガウディがパイプオルガンのように、パイプ状の金属の筒を各種用意し、

鍵盤を弾くと電気信号でソレノイド(電磁石)を動作させパイプの端を叩く、この様な楽器の実験を繰り返し行っていました。

塔に組み込むこの構想は、鐘の音が塔に開けられた無数の窓のひさしが斜め下に向けられ、音響をバルセロナの街全体に響かせたいとの願いのようです。

鍵盤楽器の構想はもちろん最重要課題で、後継者に受け継がれて繰り返し実験が続くようです。

この塔に組み込むのが、これからの工事の最大の事業となるでしょう。

完成後に、実験や調音を長い期間はできないでしょうから。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋真っただ中、そしてサグラ... | トップ | 榛名神社 & サグラダ・ファミ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事