気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

王宮、ワット・プラ・ケオ は混雑していた

2018-04-29 | 旅行記

近年タイ王国は政権が不安定な状態が続き、その中で軍によるクーデターが起こり騒動が勃発、軍事政権化にあり、

重ねて洪水の被害やテロ騒動、国民から長い間尊敬された国王が亡くなり、息子が新国王に就任、・・・親日国家は今後も続くのでしょうか?

歴史を調べてみました。

貿易都市として重要な位置を占めていたタイ族によるアユタヤ王朝は、14世紀から約400年に渡り繁栄しましたが・・・

宿敵ビルマによって、1767年首都アユタヤは陥落、無残に破壊されてしまいました。

華人を集めてアユタヤ奪還に向かったタークシン(中国名:鄭昭)は無残な首都の光景に再建を断念、南に下りチァオプラヤー川左岸のトンブリーに王朝を建てます。

新王朝は清(中国)に認められず、周囲には敵対勢力が存在するので戦いに明け暮れる年月が続きます。

タークシン王は地元の寺院を改修し、これを守護寺院とします、その後この寺院はワット・アルンと呼ばれ今日に至ります。

タクシーン王国は、将軍チャオプラヤー・チャックリーの活躍もあり勝利を続け、1779年ヴィエンチャンを攻略しエメラルド仏を持ち帰り寺院に安置します。

15年間続いたトンブリー王朝に事件が発生します・・・人気のあったタクシーン王の最大の悩みはタイ族出身でないことだったようで・・・

副官から精神錯乱状態が続くと判断され幽閉されます、知らせを聞いて戦場から戻った部下により処刑されてしまいます・・・この王朝は、一代限りで滅亡しました。

・・・フェリーでチャオプラヤー大河を渡って右岸に向かいます。

船着き場から100mくらい先、左側一帯に白い城壁が続きます、この城壁内に王宮があるようです。

正面入り口は敷地の反対側(北側)になるようで、1kmくらい先まで歩きましょう。

持参のペットボトルを飲みながら、・・・観光客が吸い込まれる正面入り口に到着。

王宮にはふさわしくない・・・通用口と思われるような所で、上部を見上げる

よく見ると精緻な造りです。何やら金文字が

しかし、間違いないようです。ここは思ったより狭い正門(北門)です。

多くの観光客の流れに乗って中に入りましょう。

直ぐ左に王宮警備兵の詰め所があり、警備兵に右側の列に誘導され、服装チェックを受けます。

サンダルの人が結構多いのですが、最近は・・・入場黙認?のようでした。

左の芝生の先に仏塔が見えますが、直進します。

正面門の向こうに宮殿が見えます、しかし、ここのゲートからは入れないようです。

左右の角々に10か所以上の人混みができています。

大声で身振り手振り説明を始めるのはガイドさんでしょう。アジア系の団体客が多いようです。

・・・さてと、この先右側のトイレに行ってから、・・・チケット売り場の案内がある左の建物へ進みます。

室内に入り行列の先、売り場の窓口上部に、500B/人 との表示がありました。

n・・・ン!、1,800円? タイの物価で高すぎるだろう!、 50Bの間違いでは? 見直しても・・・確かに500Bです。

・・・一旦外に出て、手持ちのバーツ紙幣を確認する。

少ない・・・、この後食事、ホテルまでタクシー・・・、しかし、悩むことは全然なかった。

その様な外国人旅行客のために、・・・お金はこちらで・・・目の前、同じ建物のチケット売り場の横に、宝くじ売り場のような両替所の窓口が完備されていました。

・・・両替えは、1B=15円ほどで・・・両替完了。

再度チケット売り場に並びます、・・・外国人だけの列です・・・タイ人は無料のようです、・・・タイ国で一番の観光資源です、観光客相手に良い商売を考えたものだと感心です。

3列に並び、改札ゲートから入場です。

ゲートを抜けて・・・通路を進むと、・・・建物入口の上部に・・・直進と左折の矢印が

 文字が3行・・・上から〇△◇(・・・タイ語)、Entrance(英語)、入口(日本語)と手書きで・・・順路のようです。

足元に気をつけて下さい・・・アナウンスが必要と思えるような、ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)の入口です。

狭い入口を進みます、両側の壁面描画は猿将軍でしょうか?

正面の寺院の屋根には、見事なクワガタの足?、・・・失礼、魔除け、鳥の頭部の様式でしたか

飾りの名称は、チョーファー:ここの寺院ではタイの守護神、聖鳥ガルーダ(ヒンズー神話から・・・タイ王室の紋章)

他にも想像上の水鳥や象の鼻など・・・これが無いと寺院とは認められないようです。

 ・・・案内に従い、左に曲がると

 

この入口を大きな1対の鬼(ヤック)が守っています。

入口付近は大混雑です、流れで左に進みましょう。

右側に開けた所で一旦停止、左に別の鬼が、赤鬼と緑鬼です。これは双子のようです、

赤が弟、緑が兄で多分あっているでしょう。

この寺院の鬼の手をジックリ見て下さい。

中指に金の指輪をしています。これらのヤックは、ラーマキエン物語に登場するようで名前もあるようです。

こちらは白い身体で小指に指輪をしています。

後ろの建物で日本語のパンフレットを頂いて来ましょう。

ここタイでは、ヤックが門番のような役目をしているので人々に人気があるようです。

表紙に大きく掲載されています。

ワット・プラ・ケオは地図の左角の部分で、王室の守護寺院、ここに王宮と共に1782年に建設を始めています。

お寺ですが・・・王宮の守護寺院で修行する僧侶はいないとのこと。

どうです、右側の奥から入ってきました。この右側の建物に2対のヤックが立っています。

スライド状のような屋根の建物が本堂です。

行列が出来ています、内部に入ってエメラルドの仏(高さ66cm)を拝観する列でしょうか?

先程の王宮のご案内によれば 実際は緑色の翡翠で彫られ、この仏像の由来は、1434年チェンライにある仏塔が落雷で破壊され、

漆喰で覆われた仏像が発見された。漆喰の剥げた部分から緑色の仏像が現れ、取り出された。

チェンマイの王が継承し、後継者の王女の主人がラオス王になり、ラオスに226年間留まっていた。

1778年ラオスの都ヴェインチャンを占領し、エメラルド仏を再びタイに持ち帰ったのがチャオプラヤー将軍。

この仏は、ワット・アルンに持ち帰り、置かれていました。

将軍が仕える王は、タークシン王でした。その王はその後、副臣に幽閉され、戦場から戻った部下に処刑されました。

その部下とは、チャオプラヤー・チャックリー将軍です。

1782年、チャオプラヤー・チャックリー将軍は、川向うからバンコクの地に都を遷都し、チャクリー朝を開きます。

(現在のタイ王家)後に「ラーマ1世」と呼ばれます。

1784年に、この王室守護寺院にエメラルド仏を安置しています。

残念ながら本堂内は撮影禁止です。

本堂の北側には、上部テラスがあり、ロイヤル・パンテオンなど特徴のある建物があります

人通りが多く、撮影は手早く・・・

ここでも、しっかり支えていました。

外側の建物には、ラーマキエン物語が描かれている回廊が続いています。

確か、北側が最初と思いましたが、順を追って観ていないので・・・何とも。

北東の建物では、日差しが強くて床に座って一休み・・・

こちらの建物は、陶器が素晴らしいです。

屋根もアップにしてみましょう。

独特のデザインです。

ブッダにふさわしいような花柄で、鮮やかな彩色です。

こちらは、経堂 プラ・モンドップでしょうか。

そして西側に、黄金の仏塔(チェーディー)

仏舎利が安置されているとのことです。

すごい人混みです、シッカリ門番してよ!

この方は、誰でしたか?

仏塔の西側高台におられた方だと思うのだが・・・

連休明けに、整理の続きを・・・

 

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