先日、カヤの耳の具合を診てもらうために、久ぶりに酒井先生を訪ねた。私が「カンガルー袋」と呼んでいるスリングエプロンにカヤを入れて外に出ようとすると、袋の中でカヤがブルブル震えだした。
ちゃんとセーターを着せていたし、私のおなかに密着しているから、それほど寒かったとは思えない。車内のクレートに入れてもブルブルは止まらない。病院に着くまで震えている。
受診時に先生にそのことを告げると、先生が「最近、他の人への反応はどうですか。以前は私にもすり寄ってきましたよね。今はどうでしょうか」と聞いてきた。
他の人への反応ねえ、そう言われても最近、散歩に出していないし、私以外の人に会わせることがあまりないので、何とも言いようがない。
ただ、うちへ来てしばらくの間は病院に行くために抱いて外に出ても、こんなに震えなかった。10月に入って散歩の練習を始めた頃も、こんなに震えていなかったと思う。 先生が「カヤちゃんにとって、リーダーが定まって、その人といる家が一番安心できる所になったということでしょう」と言うのを聞きながら思った。
外に出ることに過度な恐怖心を抱くようになったのは、それだけカヤにとってこの家が安心できる砦になったからかもしれない。狭いケージ内の抑圧された生活から解き放たれた後、シェルターで保護生活を送ったわけだけど、周りにはほかの犬も一緒にいてカヤ固有の生活ではなかった。ケージは広くなり自由はあったけれど、カヤだけ特別扱いされていたわけじゃない。シェルターには1カ月もいなかったし、目が見えないカヤはその違いがわからず、幸せの実感をつかめずにいたのかもしれない。
今は1日に何度も「可愛いねえ」となでられ、トイレを上手にできれば褒められて時々おやつももらえ、ふかふかの毛布の上で眠り、飼い主と一緒にベッドでごろごろし、そんな当たり前の家庭犬生活が送れるようになったのだもの。
カヤはどこかに連れて行かれて、この日常がもぎ取られるのが怖いのかもしれない。カヤのつらい繁殖犬生活は7年以上続いたのだから、半年も暮らしをともにしていない私は「この人と一緒なら大丈夫」とまでは、まだカヤに信用されていないのだろう。
今はそれでも仕方ない。いつかそのブルブルが解消される日がくるように、「この人と一緒なら大丈夫」と思える日がくるように、きちんと時間を紡いでいくよ。
守りたいものがあるとそれだけ恐れが増すというのは、人も犬も変わらないのだな。