今日は今年最後の金曜官邸前抗議集会。集会やデモのたびに趣向を凝らしたプラカードに出会うけれど(播磨屋さんのトラックは圧巻!)、北海道岩内町の集会・デモで見かけたとTwitterで報告されていたプラカードには「座布団3枚!」という感じです。
お・おせんすい
も・もらしたって
て・てきとうに
な・ながして
し・しらんぷり
うまい!
って言っている場合じゃないし、言われている場合じゃないですよ、安倍さんっ!!
滝川クリステルさんにあの手のパフォーマンスを加えながら「お・おせんすい、も・もらしたって……」と安倍さんや“今はどうしているのやら”の猪瀬さんの前で披露してほしいものだ。
テーブルに料理が盛りつけられたお皿が並ぶと、カヤは私が座る場所に陣取って、見えない目でじいっとお皿を見つめている。嗅覚で見つめているというべきかな。
かなりのしつこさでもって、テーブルに伸び上がろうとするので、料理のお皿はカヤが届かない場所に置いてあるため、カヤは仕方なくじいっと見つめているのです。
この視線の先には食べ物が……。まるで目が見えているかのようだ
当初はあまり硬いものは口にしなかったけれど、今では初め食べられなかったおやつも食べられるようになり、リンゴやみかん、柿などの果物や蓮根、大根などの野菜も食べるようになった。ウンチも硬さ、匂いともに良好。いい具合である。
引き取った当初7、8歳ということだったのだけど、考えたらトチ、ブナ、クリが生前グランドを走り回ったり、ボール投げに興じたり、湖や川で泳いだり、知人の別荘に泊りに行ったりと、開放的な遊びが大好きな犬らしい生活を送っていた時にも、カヤは狭い檻に入れられたまま、ただ子犬を産ませる道具として扱われていたわけだ。同時期に生きていた犬たちのその差に愕然とする。
7年もの間、カヤが自由と引き換えに、命を削りながら産んだ子犬たちは、ペットショップに並んだのだろうか。犬としての生活を謳歌しているのだろうか。
カヤは思い切り走り回ったこともなかったろうから、そうさせてやりたいけれど、今となっては目も見えなくなってしまい、それも生涯叶わぬことになってしまった。せめてカヤが後半生を幸せに過ごせるよう、何がこの子にとって楽しいことだろうか、何が嬉しいことだろうかと、いつも考えながら接している。
「食べることだけが楽しみ!」なのかもしれないけれど、運動量が極端に少ないから太らせてはよろしくないしね。ドライフードに鶏肉ベースの野菜スープを作って混ぜてやり、少量でも趣向を変えてやってはいるのだけど……。
これからが冬本番なのでまだ先の話だけど、春になったらカンガルー袋に入ったままでいいから、カヤと一緒に陽だまりの木立の中を歩き回りたいと思う。願わくは飼い主と一緒に外気の中で歩く楽しみを知ってほしい。