大先輩の小説家のAさんから、
「直腸癌になったので、明日手術します。その手術で逝ってしまう恐れが万に一あるので、生還できたかどうかは、妻にお問い合わせください」
という手紙を受け取ったのは、その手術の日だった。それが2月半ばのこと。
以前「前立腺癌らしいんだけど、気にしない」などと言って、結局、克服してしまった方ではあるけれど、今回は直腸癌に加えて「心房細動と弁膜症という二大欠陥が見つかった」と書いてあり、直腸癌の告知も青天の霹靂なら、心臓疾患にも驚いてしまった。
84歳という年齢からすれば、あることながら、心臓が苦しくなったなどという話は耳にしたこともなかった。相変わらず毎日犬の散歩に4~5キロは歩き、ゴルフにもせっせと通っている方なので、なんで急にそんなことに……と面食らった。
その後、奥様ともなかなか連絡がつかず、本当にハラハラしたが、結果的には手術は長い時間がかかり、人工肛門を装着することになったものの、無事生還された。
手紙に、勝浦市にある病院の住所や病室番号が書かれていたので、退院も間近であろう頃にお見舞いに行った。
かなり痩せてしまっていたけれど、「オオタケさん、このざまだよ」などと大きな声で言いながら、ニコニコしていた。ああ、よかった。
「あんなお便りをもらって、本当にドキドキさせられました」
となじると、
「いや~、悪い、悪い。でもね、今回のことで、僕は人生観が変わったよ。これからはどんどん東京に出て行くから、一緒に美味しいものを食べよう!」
などと、こちらの目がまん丸になることをおっしゃる。
Aさんの家は九十九里浜のほうなので、東京に出るにはかなり時間がかかるのに、すごいなあ、癌を人生観が変わる体験として捉え、84歳になっても良い意味でアグレッシブになるなんて。
で、その時に薦められた本が、安岡章太郎著『死との対面 瞬間(とき)を生きる』だった。
正直、すぐに言葉が出なかった。だって、生還できないかもしれないと、一時は死と向き合った人から、病院で告げられる題名にしては重かったんだもの。まあ、副題を見て、少し息継ぎができたけれど。
でも、そこがAさんらしいところ。Aさんだからこそ、なのかもしれない。しかもこの本は、病室と同じ階にあるロビーの本棚に置いてあった1冊だったそうだ。偶然というか、必然というか。
「何気なく手に取って読んだら、とても面白いんだよ。いい本だから、オオタケさんもぜひ読みなさい」
と言うのだ。
帰宅後に注文して、すぐに読んだ。
安岡さんは青年期に結核性脊椎カリエスを患い、痛みに耐えかねて、何度も自殺を考えたというが、
「自分はなんのために生きるとかそういうことではなくて、生きるという本能は、個人個人が意識できないところにあって、無意識のうちに体のあらゆる部分が生きようとしているんだな」
と思い至る。
いくら死のうと考えても、生きようとする本能がそれを許さなかったというのだ。軍隊経験や病によって死を間近に感じながらも、
「理性は僕らの行動を律するごく一部分にすぎず、大部分はほかのもので生きている。僕らの本能は、たいてい理性の利かないところに黙ってひっそりと棲んでいるのではないだろうか」
と、生命力の不思議を綴るのである。きっとこういったことが、Aさんにも響いたのかもしれない。
遠藤周作さんや吉行淳之介さんとの交流や、私が傾倒していた島尾敏雄さんの言葉も綴られていて、胸がきゅんとした。晩年、安岡さんはカトリックに入信する。遠藤さんも島尾さんもクリスチャンだ。
遠藤さんの名作『沈黙』にも触れられていた。遠藤さんは、
「踏絵を踏んで、その良心の呵責に苦しむことも殉教だ。自分がどんなに弱い人間かを悟って、命長らえるために踏絵を踏む弱さを、神は許すに違いない」
と言っていたそうだ。『沈黙』はカトリックの中でも評価が分かれ、場所によっては禁書になったというが、『沈黙』も再読したくなった。
そういえば、Aさんが退院して1カ月余り経ってから、美味しい天ぷらを食べに行こうと名店に誘っていただき、その翌月には鰻を食べに行った。
検査の結果、心房細動と弁膜症という二大欠陥は消え失せていたというのだ。端から誤診だったのかしら。そんなバカな。
人工肛門もなんのそので「絶好調だよ、ゴルフも再開したし、自慢したくなるくらい」とおっしゃる。ひとつ齢を重ねて85歳になられた。85歳! そして、「今度はあの洋食屋のバターピラフを食べた後、カフェでゆっくり話をしよう!」ですって。脱帽である。
「直腸癌になったので、明日手術します。その手術で逝ってしまう恐れが万に一あるので、生還できたかどうかは、妻にお問い合わせください」
という手紙を受け取ったのは、その手術の日だった。それが2月半ばのこと。
以前「前立腺癌らしいんだけど、気にしない」などと言って、結局、克服してしまった方ではあるけれど、今回は直腸癌に加えて「心房細動と弁膜症という二大欠陥が見つかった」と書いてあり、直腸癌の告知も青天の霹靂なら、心臓疾患にも驚いてしまった。
84歳という年齢からすれば、あることながら、心臓が苦しくなったなどという話は耳にしたこともなかった。相変わらず毎日犬の散歩に4~5キロは歩き、ゴルフにもせっせと通っている方なので、なんで急にそんなことに……と面食らった。
その後、奥様ともなかなか連絡がつかず、本当にハラハラしたが、結果的には手術は長い時間がかかり、人工肛門を装着することになったものの、無事生還された。
手紙に、勝浦市にある病院の住所や病室番号が書かれていたので、退院も間近であろう頃にお見舞いに行った。
かなり痩せてしまっていたけれど、「オオタケさん、このざまだよ」などと大きな声で言いながら、ニコニコしていた。ああ、よかった。
「あんなお便りをもらって、本当にドキドキさせられました」
となじると、
「いや~、悪い、悪い。でもね、今回のことで、僕は人生観が変わったよ。これからはどんどん東京に出て行くから、一緒に美味しいものを食べよう!」
などと、こちらの目がまん丸になることをおっしゃる。
Aさんの家は九十九里浜のほうなので、東京に出るにはかなり時間がかかるのに、すごいなあ、癌を人生観が変わる体験として捉え、84歳になっても良い意味でアグレッシブになるなんて。
で、その時に薦められた本が、安岡章太郎著『死との対面 瞬間(とき)を生きる』だった。
正直、すぐに言葉が出なかった。だって、生還できないかもしれないと、一時は死と向き合った人から、病院で告げられる題名にしては重かったんだもの。まあ、副題を見て、少し息継ぎができたけれど。
でも、そこがAさんらしいところ。Aさんだからこそ、なのかもしれない。しかもこの本は、病室と同じ階にあるロビーの本棚に置いてあった1冊だったそうだ。偶然というか、必然というか。
「何気なく手に取って読んだら、とても面白いんだよ。いい本だから、オオタケさんもぜひ読みなさい」
と言うのだ。
帰宅後に注文して、すぐに読んだ。
安岡さんは青年期に結核性脊椎カリエスを患い、痛みに耐えかねて、何度も自殺を考えたというが、
「自分はなんのために生きるとかそういうことではなくて、生きるという本能は、個人個人が意識できないところにあって、無意識のうちに体のあらゆる部分が生きようとしているんだな」
と思い至る。
いくら死のうと考えても、生きようとする本能がそれを許さなかったというのだ。軍隊経験や病によって死を間近に感じながらも、
「理性は僕らの行動を律するごく一部分にすぎず、大部分はほかのもので生きている。僕らの本能は、たいてい理性の利かないところに黙ってひっそりと棲んでいるのではないだろうか」
と、生命力の不思議を綴るのである。きっとこういったことが、Aさんにも響いたのかもしれない。
遠藤周作さんや吉行淳之介さんとの交流や、私が傾倒していた島尾敏雄さんの言葉も綴られていて、胸がきゅんとした。晩年、安岡さんはカトリックに入信する。遠藤さんも島尾さんもクリスチャンだ。
遠藤さんの名作『沈黙』にも触れられていた。遠藤さんは、
「踏絵を踏んで、その良心の呵責に苦しむことも殉教だ。自分がどんなに弱い人間かを悟って、命長らえるために踏絵を踏む弱さを、神は許すに違いない」
と言っていたそうだ。『沈黙』はカトリックの中でも評価が分かれ、場所によっては禁書になったというが、『沈黙』も再読したくなった。
そういえば、Aさんが退院して1カ月余り経ってから、美味しい天ぷらを食べに行こうと名店に誘っていただき、その翌月には鰻を食べに行った。
検査の結果、心房細動と弁膜症という二大欠陥は消え失せていたというのだ。端から誤診だったのかしら。そんなバカな。
人工肛門もなんのそので「絶好調だよ、ゴルフも再開したし、自慢したくなるくらい」とおっしゃる。ひとつ齢を重ねて85歳になられた。85歳! そして、「今度はあの洋食屋のバターピラフを食べた後、カフェでゆっくり話をしよう!」ですって。脱帽である。
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