私は高校時代、長野県の高校に通っていました。ちょうど甲子園真っ盛りですが、代表校の上田西が初戦に勝利。おめでとう。私の高校時代には違う校名でした。
長野県の高校には私立高校はわずかしかないので、高校受験は一発勝負となります。各学区域には旧制中学から続く伝統校の進学校とそれに次ぐ高校があります。そして中堅の高校と下位の高校、商業や工業系の学校と分かれます。さらに県立の高校を受験するだけの学力がない生徒が受験する私立高という感じでした。
私立の高校との掛け持ちの受験というのが基本的にないので、中学校では受験に失敗することがないように注意深く受験する高校を割り振ることになるので、高校受験の競争率はほとんどありませんでした。
私が進学したのはその地域でも伝統ある進学校だったのですが、中学校のクラスからは三人か四人ぐらいしか受験していなかったと思います。ということは、中学校でも上位の成績じゃないと受験できなかったというわけです。
その昔、長野県は教育県と言われていました。その伝統のせいかわかりませんが、私の高校時代に部活の先輩から言われたのは、長野県の高校は全国で一番休みが少ない、その中でも我が校は長野県一休みが少ない。と言われました。
確かに、東京の都立高校に進学した妹の話を聞くと、とんでもなく休みが少ないです。まず、夏休みは一か月。東京なら小中学校でも40日夏休みです。長野は寒いから冬休みが長いのだろうと言われますが、冬休みの期間は東京の学校といっしょです。
そして春休み、妹の話を聞いているとテストが終わるとほとんど休み同前の話をしていましたが、我が校ではきっちりと授業がありました。私の高校時代はまだ土曜日も午前中は授業もありましたから、休みは日曜日のみです。
しかし、運動部の部活に入ったので、日曜日も練習があり一週間毎日学校に通いました。本当に休めるのは盆、暮れ正月しかありませんでした。生徒はそれでもよいのですが、顧問の先生は練習につきあうわけですから、生徒と一緒に学校に来るわけです。当時はあたりまえのことと思っていました。
しかし、後々考えてみれば家庭はどうなっているのかとか、残業代は出ているのかとか、本当に好きじゃなきゃやっていられないです。義務感だけなら長続きしません。なにしろ生徒は三年たてば卒業しますが、先生はも少し長く勤務されるわけですから。
ということで、長野県の高校に通ったおかげで、人生の前半はその影響をうけたのでした。
長野県の高校には私立高校はわずかしかないので、高校受験は一発勝負となります。各学区域には旧制中学から続く伝統校の進学校とそれに次ぐ高校があります。そして中堅の高校と下位の高校、商業や工業系の学校と分かれます。さらに県立の高校を受験するだけの学力がない生徒が受験する私立高という感じでした。
私立の高校との掛け持ちの受験というのが基本的にないので、中学校では受験に失敗することがないように注意深く受験する高校を割り振ることになるので、高校受験の競争率はほとんどありませんでした。
私が進学したのはその地域でも伝統ある進学校だったのですが、中学校のクラスからは三人か四人ぐらいしか受験していなかったと思います。ということは、中学校でも上位の成績じゃないと受験できなかったというわけです。
その昔、長野県は教育県と言われていました。その伝統のせいかわかりませんが、私の高校時代に部活の先輩から言われたのは、長野県の高校は全国で一番休みが少ない、その中でも我が校は長野県一休みが少ない。と言われました。
確かに、東京の都立高校に進学した妹の話を聞くと、とんでもなく休みが少ないです。まず、夏休みは一か月。東京なら小中学校でも40日夏休みです。長野は寒いから冬休みが長いのだろうと言われますが、冬休みの期間は東京の学校といっしょです。
そして春休み、妹の話を聞いているとテストが終わるとほとんど休み同前の話をしていましたが、我が校ではきっちりと授業がありました。私の高校時代はまだ土曜日も午前中は授業もありましたから、休みは日曜日のみです。
しかし、運動部の部活に入ったので、日曜日も練習があり一週間毎日学校に通いました。本当に休めるのは盆、暮れ正月しかありませんでした。生徒はそれでもよいのですが、顧問の先生は練習につきあうわけですから、生徒と一緒に学校に来るわけです。当時はあたりまえのことと思っていました。
しかし、後々考えてみれば家庭はどうなっているのかとか、残業代は出ているのかとか、本当に好きじゃなきゃやっていられないです。義務感だけなら長続きしません。なにしろ生徒は三年たてば卒業しますが、先生はも少し長く勤務されるわけですから。
ということで、長野県の高校に通ったおかげで、人生の前半はその影響をうけたのでした。