昨日から読み始めた大東亜戦争全史ですが、100ページほど読んだのですがそれ以上読むのを断念しました。確かに、厚いし活字は小さいし、昔の人は普通に使っていたのでしょうが今では使われない漢字が色々あって読みにくいというのはありました。
読み始めた時は偏った書き方がされているのかなと思ったのですが、一次資料をもとにして書かれているので、恣意的に捻じ曲げようとしては書かれていないように思いました。ただ、一次資料が延々と引用されているというか、ほとんどが一次資料です。その一次資料も恣意的に選択されて引用されているようには感じませんでした。ただ、一次資料の羅列を読むのがなんとも苦痛になってしまったのです。
一次資料をもとにして書かれていないものは小説です。私は司馬遼太郎の書いたものを読んだことはありませんが、書かれたものは小説のはずです。しかし、読む人によっては実際にあった事実と思いこむ人も多いようですね。
都合の良いところだけ一次資料を使って、あたかも事実であるかのように書かれている小説なので、すごく実感をもって読まれているのだと思います。そのように読ませてしまうところは、小説家としてすごい力があるのだろうと思います。私はそれを悪いことと言っているわけではありません。小説なのですからどのように書こうとも著者の自由です。
読者はフィクションである小説をノンフイクションとしてとらえて読んでしまってはいけません。著者の想像で書かれたところと事実とがごっちゃになってしまって、本当にあったことが見えなくなってしまいます。
ということで、大東亜戦争全史はまともには書かれていますが、気楽に読むような本ではなくて、学術書的に読まないとちと読みこなすことができないことに気が付きました。というか、全部を始めから終わりまで読むような本ではなくて、ある事項についてその背景なりを知りたいと思ったり調べたいと思った時に、その部分だけ読むような事典的に利用すべき本です。
てなわけで、一から読もうとするのは無理と感じまして、読むのを断念しました。
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読み始めた時は偏った書き方がされているのかなと思ったのですが、一次資料をもとにして書かれているので、恣意的に捻じ曲げようとしては書かれていないように思いました。ただ、一次資料が延々と引用されているというか、ほとんどが一次資料です。その一次資料も恣意的に選択されて引用されているようには感じませんでした。ただ、一次資料の羅列を読むのがなんとも苦痛になってしまったのです。
一次資料をもとにして書かれていないものは小説です。私は司馬遼太郎の書いたものを読んだことはありませんが、書かれたものは小説のはずです。しかし、読む人によっては実際にあった事実と思いこむ人も多いようですね。
都合の良いところだけ一次資料を使って、あたかも事実であるかのように書かれている小説なので、すごく実感をもって読まれているのだと思います。そのように読ませてしまうところは、小説家としてすごい力があるのだろうと思います。私はそれを悪いことと言っているわけではありません。小説なのですからどのように書こうとも著者の自由です。
読者はフィクションである小説をノンフイクションとしてとらえて読んでしまってはいけません。著者の想像で書かれたところと事実とがごっちゃになってしまって、本当にあったことが見えなくなってしまいます。
ということで、大東亜戦争全史はまともには書かれていますが、気楽に読むような本ではなくて、学術書的に読まないとちと読みこなすことができないことに気が付きました。というか、全部を始めから終わりまで読むような本ではなくて、ある事項についてその背景なりを知りたいと思ったり調べたいと思った時に、その部分だけ読むような事典的に利用すべき本です。
てなわけで、一から読もうとするのは無理と感じまして、読むのを断念しました。
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