蟹尽くしをご紹介します。既に拝観された方もあると思いますが、鄙びた山城古道沿いの小さなお寺です。
今昔物語に取上げられたお寺で、蟹の伝説があります。
物語の絵解きは、写真不可で撮れませんでしたが、netで検索して頂ければ、住職の許可のもとに絵解きが出ています。
つまり蟹の恩返しの話です。
一人娘さんが、村の人が食料にしようと採っていた蟹を、可哀想だと全部購入して放してやります。
一方、その父が野良仕事をしていると、蛇が蛙を飲もうとしていました。蛇から蛙を助ける為に、もし、蛙を放してくれるなら自分の娘を嫁にやると約束をしてしまいました。
ある日、立派な若者が家を訪れてきて、約束の娘を嫁に貰いに来たと言います。
父は支度に時間がかかるからといって、明日の晩に来るようにと言い逃れをします。
さて当日の夜、戸締まりを厳重にして、ただ念仏を一心に唱えて震えていますと、家が潰れぬばかりに轟音が続き、朝方には音がしなくなりました。
表に出てみると、大きな大蛇がずたずたに切られて転がっていました。その横には無数の蟹の死骸が転がっています。蛇は蟹によって斬られてしまったのでした。
普段から信仰厚く観音様を拝んでいたご利益にちがいないと、蟹を手厚く葬ったのがこの寺だそうです。普段から、ただ一筋に仏様を信じてお祈りをしようと言う説話です。
最近の学者の説では、この寺には白鳳時代の丈六の釈迦如来が坐っておられ、国宝になっています。仏教伝来の当時、各地域に一寺一仏で、作らせた物の一つだそうです。
堂々とした立派な仏様です。
寺中、蟹だらけでした。蟹が満ち満ちているのです。
蟹のお堂です。
大蛇を襲っている蟹。
本堂改修の時に出たのか、蟹の鬼瓦。よく出来ている。
この蟹は足が長い。最寄の駅である棚倉駅前にあった案内標識。
山城の地図、駅から青い丸印のお寺まで2kmくらいか。更に北には、後白河法皇の第二皇子、以仁王の御陵がある。彼は宇治からここまで逃れてきて討たれた。
庫裏の座敷の欄間にかかっていた額。
これも襖額の絵である。
屋根の鬼瓦にも蟹がいる。これは毛蟹にちがいない。
銅製の燈籠にも、賽銭箱にも鋏の大きな蟹がいる。
今昔物語に取上げられたお寺で、蟹の伝説があります。
物語の絵解きは、写真不可で撮れませんでしたが、netで検索して頂ければ、住職の許可のもとに絵解きが出ています。
つまり蟹の恩返しの話です。
一人娘さんが、村の人が食料にしようと採っていた蟹を、可哀想だと全部購入して放してやります。
一方、その父が野良仕事をしていると、蛇が蛙を飲もうとしていました。蛇から蛙を助ける為に、もし、蛙を放してくれるなら自分の娘を嫁にやると約束をしてしまいました。
ある日、立派な若者が家を訪れてきて、約束の娘を嫁に貰いに来たと言います。
父は支度に時間がかかるからといって、明日の晩に来るようにと言い逃れをします。
さて当日の夜、戸締まりを厳重にして、ただ念仏を一心に唱えて震えていますと、家が潰れぬばかりに轟音が続き、朝方には音がしなくなりました。
表に出てみると、大きな大蛇がずたずたに切られて転がっていました。その横には無数の蟹の死骸が転がっています。蛇は蟹によって斬られてしまったのでした。
普段から信仰厚く観音様を拝んでいたご利益にちがいないと、蟹を手厚く葬ったのがこの寺だそうです。普段から、ただ一筋に仏様を信じてお祈りをしようと言う説話です。
最近の学者の説では、この寺には白鳳時代の丈六の釈迦如来が坐っておられ、国宝になっています。仏教伝来の当時、各地域に一寺一仏で、作らせた物の一つだそうです。
堂々とした立派な仏様です。
寺中、蟹だらけでした。蟹が満ち満ちているのです。
蟹のお堂です。
大蛇を襲っている蟹。
本堂改修の時に出たのか、蟹の鬼瓦。よく出来ている。
この蟹は足が長い。最寄の駅である棚倉駅前にあった案内標識。
山城の地図、駅から青い丸印のお寺まで2kmくらいか。更に北には、後白河法皇の第二皇子、以仁王の御陵がある。彼は宇治からここまで逃れてきて討たれた。
庫裏の座敷の欄間にかかっていた額。
これも襖額の絵である。
屋根の鬼瓦にも蟹がいる。これは毛蟹にちがいない。
銅製の燈籠にも、賽銭箱にも鋏の大きな蟹がいる。