今回はいよいよ本丸の郭である。天守閣の復元は当分望むべくも無い本丸である。
内濠のもっとも幅の広いところ。
普通、濠は同心円状でなく渦巻状につける。ここもそうなっている。
左:内濠のもっとも奥になる部分は、空濠になってしまっている。
右:濠の突き当たりは橋のようになっていて通路がある。大手門の郭から、本丸の郭に向かう。
本丸には柳沢神社がある。
左:社務所からおみくじを括りつける竹が立っている。何かの形に似ていると思ったら、これは茶筅である。奈良県の北の端(生駒市高山町)には茶筅を作る里がある。2006.02.09blog「茶筅の里」
右:祭神はお殿様である。柳沢吉保(父)は川越の、柳沢吉里(子)は甲府の城主であった。吉里は甲府から郡山に移封されてきて、明治まで続いた。
左:本丸郭の中に更に一段と高く石垣が見える。これが天主台である。天守閣はもうない。
右:天主台に上がる石段は大きい。
天主台からの奈良盆地の展望。まほろばの東の山々が望まれる。山並みの左端の山の斜面には若草山が見えている。
手前の濠の向うには、もと県立奈良図書館の建物、大手門、追手門向櫓などが見える。
奈良盆地の東北には赤い薬師寺の西塔と金堂が並んで見える。
その左のテントのようなもので覆われているのが、修復中の唐招提寺。
塔の右手の樹木の陰には平城宮大極殿の復元工事中のテントである。
筒井順慶が築城した時に石材が不足し、石の地蔵までが天主台の石垣に用いられた。それが、石の隙間から覗くことができる。人呼んで「さかさ地蔵」として明治以来信仰を集め、いろいろな石仏が集合してきた。
左:穴の奥にある地蔵を覗いている。右:穴の中に逆さになって組み込まれている。
それにしてもこの天主台の石垣は、崩れてもおかしくないほどガタガタである。
夕陽が沈む天主台。誰かさんのように上手く撮れませんねえ。
「松影騒ぐ丘の上、古城よひとり何偲ぶ、栄華の夢を・・」誰か後を続けてください。
内濠のもっとも幅の広いところ。
普通、濠は同心円状でなく渦巻状につける。ここもそうなっている。
左:内濠のもっとも奥になる部分は、空濠になってしまっている。
右:濠の突き当たりは橋のようになっていて通路がある。大手門の郭から、本丸の郭に向かう。
本丸には柳沢神社がある。
左:社務所からおみくじを括りつける竹が立っている。何かの形に似ていると思ったら、これは茶筅である。奈良県の北の端(生駒市高山町)には茶筅を作る里がある。2006.02.09blog「茶筅の里」
右:祭神はお殿様である。柳沢吉保(父)は川越の、柳沢吉里(子)は甲府の城主であった。吉里は甲府から郡山に移封されてきて、明治まで続いた。
左:本丸郭の中に更に一段と高く石垣が見える。これが天主台である。天守閣はもうない。
右:天主台に上がる石段は大きい。
天主台からの奈良盆地の展望。まほろばの東の山々が望まれる。山並みの左端の山の斜面には若草山が見えている。
手前の濠の向うには、もと県立奈良図書館の建物、大手門、追手門向櫓などが見える。
奈良盆地の東北には赤い薬師寺の西塔と金堂が並んで見える。
その左のテントのようなもので覆われているのが、修復中の唐招提寺。
塔の右手の樹木の陰には平城宮大極殿の復元工事中のテントである。
筒井順慶が築城した時に石材が不足し、石の地蔵までが天主台の石垣に用いられた。それが、石の隙間から覗くことができる。人呼んで「さかさ地蔵」として明治以来信仰を集め、いろいろな石仏が集合してきた。
左:穴の奥にある地蔵を覗いている。右:穴の中に逆さになって組み込まれている。
それにしてもこの天主台の石垣は、崩れてもおかしくないほどガタガタである。
夕陽が沈む天主台。誰かさんのように上手く撮れませんねえ。
「松影騒ぐ丘の上、古城よひとり何偲ぶ、栄華の夢を・・」誰か後を続けてください。