奈良当麻寺に行ったのが1週間前である。
二上山(にじょうざん)禅林寺というのが正式の名であることはあまり知られていない。真言宗系の寺院であるが、14世紀に知恩院の僧によって、奥の院が開かれ、以来、両派で支えあって、現在も続いている。
推古天皇20年(AD612)に万法蔵院として、聖徳太子の弟君の麻呂子(まろこ)親王が、河内に創建したのを、約70年後の天武天皇10年(AD681)に当麻国見(たいまのくにみ)が現在地に移したという。
以来この地の豪族当麻氏の氏寺とし、弥勒菩薩を本尊とした大寺であったらしい。
当麻寺山門、街路灯には鳳凰がいる。
境内に寝ていた猫たち、本日の猫の会合は終わり、休憩中であった。何匹いるでしょう。
当麻寺は後ろに見える二上山(にじょうざん・ふたかみやま=万葉集)を借景として、境内が出来上がる。
背景の馬の背状の山がそうである。山頂には悲劇の人大津皇子の墓があるという。
すぐの所の、塔頭に足を踏み入れる。表の前栽は緑で埋め尽くされている。中央に弥勒半伽思惟像の石仏がある。まだ新しさを残している。
横に庭園に入る道がある。「草花園」と出ている。
二上山(にじょうざん)禅林寺というのが正式の名であることはあまり知られていない。真言宗系の寺院であるが、14世紀に知恩院の僧によって、奥の院が開かれ、以来、両派で支えあって、現在も続いている。
推古天皇20年(AD612)に万法蔵院として、聖徳太子の弟君の麻呂子(まろこ)親王が、河内に創建したのを、約70年後の天武天皇10年(AD681)に当麻国見(たいまのくにみ)が現在地に移したという。
以来この地の豪族当麻氏の氏寺とし、弥勒菩薩を本尊とした大寺であったらしい。
当麻寺山門、街路灯には鳳凰がいる。
境内に寝ていた猫たち、本日の猫の会合は終わり、休憩中であった。何匹いるでしょう。
当麻寺は後ろに見える二上山(にじょうざん・ふたかみやま=万葉集)を借景として、境内が出来上がる。
背景の馬の背状の山がそうである。山頂には悲劇の人大津皇子の墓があるという。
すぐの所の、塔頭に足を踏み入れる。表の前栽は緑で埋め尽くされている。中央に弥勒半伽思惟像の石仏がある。まだ新しさを残している。
横に庭園に入る道がある。「草花園」と出ている。