地元出身の歌人の詩である。
秋深き親不知 君と来て佐渡をば 呼べり
君遠し 海は鳴れども とどろきて 心打つのみ
山の上に 小鳥の 啼かず
目前に拡がる日本海の東の果て、親不知の難所が見える。
拡大します。更に遠くの街は姫川の流れる糸魚川市か。
振り返って西の方角には、富山平野が広がる。
宮崎城址の桜の馬場だろうか、広場の片隅に石垣を築いた高台がある。
北陸の宮の名が出てくる。この城山に御所を造ったという。
縦書きの解説板と同じような文章である。
石垣を上がり、視界の開けたところには東西南北四方の景色の解説がある。
高台の下に拡がる馬場の片隅に、八幡宮がある。
社前の広場で見つけたキノコと、古木から生えてきたヒノキの幼木。
簡素なお宮であるが、ここに駐屯した侍たちの信仰を集めたのかも。
脇子八幡宮奥宮の由来
この宮は大宝二年創祀の所に復旧したもの
北陸の宮が御神前で元服され
源義仲が武運長久の祈願をしたところ
と読めますね。
秋深き親不知 君と来て佐渡をば 呼べり
君遠し 海は鳴れども とどろきて 心打つのみ
山の上に 小鳥の 啼かず
目前に拡がる日本海の東の果て、親不知の難所が見える。
拡大します。更に遠くの街は姫川の流れる糸魚川市か。
振り返って西の方角には、富山平野が広がる。
宮崎城址の桜の馬場だろうか、広場の片隅に石垣を築いた高台がある。
北陸の宮の名が出てくる。この城山に御所を造ったという。
縦書きの解説板と同じような文章である。
石垣を上がり、視界の開けたところには東西南北四方の景色の解説がある。
高台の下に拡がる馬場の片隅に、八幡宮がある。
社前の広場で見つけたキノコと、古木から生えてきたヒノキの幼木。
簡素なお宮であるが、ここに駐屯した侍たちの信仰を集めたのかも。
脇子八幡宮奥宮の由来
この宮は大宝二年創祀の所に復旧したもの
北陸の宮が御神前で元服され
源義仲が武運長久の祈願をしたところ
と読めますね。