昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

北陸の宮の隠棲地

2013-07-21 | 歴史・文化遺産
時は源平時代の頃、平家全盛の時代でした。
都に残った源氏の流れを引く武将源三位頼政が後白河法皇の第二皇子である以仁王(もちひとおう)を奉じて反旗を翻し、宇治川の合戦で敗北し、以仁王は光明山鳥居前で戦死した。
そこで、以仁王の第一皇子は難を逃れて、ここ富山県朝日町の北陸のはずれに逃れました。
 
その後、木曽義仲が、北陸路から都に攻め上るときに、彼を北陸の宮と名づけられ、育ったと言います。

その地がここ笹川の流域でした。



北陸の宮は僧籍に入っていたが、義仲旗揚げの時に、ここの諏訪神社で還俗したとも言います。
 


左:笹川諏訪神社の鳥居。   右:お宮の隣の神社総代を勤めておられる折口さんの家。
 




突然にもかかわらず、大変熱心な方で、いろいろ資料を拝見しながら玄関先で話を伺いました。
奥で書類を探しておられる当主です。雪国の家屋らしく家の骨格になる垂木など見事な造作です。


奥の間には囲炉裏が切ってありました。扇風機も見えます。



当主が大きな紙に概念図を描いて説明していただきました。川は笹川に流れ込む支流です。



前栽はなかなかのようです。


折口家の地続きで諏訪神社の境内に入ることが出来ます。



少し下流に降ってから、東に折れる山道を登ります。対向車が来ないことを願いながら。


観心寺(新西国客番・花の寺25)2

2013-07-19 | 札所巡り
正面の石段の向こうに本殿(金堂)が見える。


石段の途中を左に曲がると宝物殿があるので、そちらに向かう。シャクナゲとシャクヤクの花壇が続く。



当観心寺の解説である。



掛け軸が二点並び、右は楠木正成、左はその子正行の肖像画である。




南朝の天皇だろうが、直筆の勅額である。観心寺とある。



あらためて本堂を見ると和様・唐様・大仏様が混在する建築で、国宝になっている。

アスナロの葉隠れである。クチナシの花も興を添えます。
 
本堂=金堂です。



すぐ隣に弁天様が鎮座する。緑色が気持ちが良い。



密教真言宗の解説があった。



この茅葺は素晴らしい。建掛塔という。これも仏塔の一つか。

屋根裏が透けて見えます。




正成の首塚があります。 一段高い所の突き当りに五輪塔が見えるでしょうか。
 
花の寺の季節を外れると困ったものですね。

観心寺(新西国客番・花の寺25)

2013-07-18 | 札所巡り
あと梅雨と言うのでしょうか、すっきりしない日が続きます。
もやっとした昼下がり、どこかに…と出かけたのが、大阪は河内の国、楠木正成の観心寺を訪ねました。

どこか懐かしい正成の像。



南北朝時代に、後醍醐天皇に応じて旗揚げをした楠木正成は河内千早城に籠って幕府軍と戦い、
建武の新政では、河内の国司と守護を、更に和泉の国の守護にもなる。
やがて九州に落ちていた足利勢が攻め上り、神戸湊川の戦いで敗死した楠木正成を祀る。




南朝で、後醍醐天皇の第七皇子、御村上天皇の住まいにもなった。ここはその舊祉地である。




手水鉢の龍が、大きな大きな口を開けている。




宿舎のもなったであろう建物の裏庭に逍遥の為の橋が架かっている。




橋の下にはカンゾウの花が咲いている。

付:足利尊氏で、blog内検索をしていただければ幸甚。

公園の花たち

2013-07-17 | 動植物
よく降った雨は、公園の草花をあっという間に賑やかな色をつける。
百日紅の赤が、夜の闇に浮かび上がる。




よーく見ると色違いのサルスベリが背後になって、ツートンカラーの風景?




背後の桃色のものは、赤ほどには暑苦しくない。



フラッシュの都合で、光にムラがあり、色の違いのように見えます。



赤色の次は黄色の花です。



赤色と黄色が纏まって、多彩な色変化です。葉鶏頭かな。



フウセンカズラが、音楽を奏でます。




ナスビのような実がなる草花。




コオニユリは今頃が咲く時季のようですね。



ご近所で見つけたザクロ。大きくなるかなあ。



桔梗の里(谷性寺)end

2013-07-16 | 話題
一番手前に桔梗、その向こうが半夏生、バックがアジサイ。



ところで八重の桔梗が咲いていた。これはまだそれほど広がっていない。


こちらは花弁が分厚くて皺だらけである。ちょっとしたDNAの相違か。


八重の桔梗は数株が咲いていた。突然変異か、それともこの種類はすでに定着しているのかも。


清楚に花開く。



半夏生と言えば、蛸を食べる季節と言いますが、どうも地方によってはタコでない所もあるという。



この斑模様の葉と、細長い穂垂はタコの足?



発生学的には葉が花に進化したというけれど、葉のまだら模様がいいですね。
また、ミヤママタタビの葉も好きで、それだけの目的でドライブに出かけたります。



蔭になったのが良い感じです。



近畿自然歩道のハイキングコースにあたるようで、穴太寺から約10kmである。青田に佇むシラサギは、化石になっている。



桔梗の里(谷性寺)3

2013-07-15 | 話題
花畑の藤棚の道がある。おおきな豆が実っている。




谷性寺の由緒の表示があった。



寺の西側の小道を進む。



直ぐの所に神社があり、ここも伊勢神宮の式年遷宮に協賛している。
茅輪(ちのわ)くぐりで、役を祓います。




神社の横の畑が、花畑になっている。


勿論桔梗が圧倒的に多いのだが、他の種類の花も育っている。



この桔梗の花は白でなく赤でなく、微妙な中間色です。



桔梗の里(谷性寺)2

2013-07-14 | 話題
入口にあった掲示板です。光秀が丹波の国を統治したのは8年間だったが、
その地元の発展に寄与したという。



桔梗の花壇のメインの風景を見たのち、光秀の眠る寺院に向かう道は、アジサイが満開だったようである。



石段を上がって、本堂の幔幕には桔梗の家紋があります。




案内板がある。



宝篋印塔があり、えびす様がおられ、背後には観音様らしい。石塔には「光秀公首塚」とある。



京都宇治方面で、刺された後に、光秀ゆかりの物を埋めて、ひそかに弔ったのかも。



明智山門は、寺の横にあり、簡素な姿である。



こくしょうじの表札は、本堂の入口にあったものです。



ポスターがあった。村おこしの一翼を支えています。



光秀の谷性寺(桔梗の里)1

2013-07-13 | 話題
穴太寺から西へ10kmほどに、明智光秀の菩提寺がある。
光秀の家紋が桔梗であったことから桔梗の里と呼ばれる所がある。

村の人たちの助力もあって、紫色の桔梗が広がっている。



花壇の入口には「明智」の御紋である桔梗が染め上げられた幔幕がある。



盛りには少し早いかも。



ブロックごとの桔梗畑である。




ふと地面を見ると、そこは蟻の戦争であった。彼らはあごで相手を挟んで、押し合いである。



どの桔梗も、どこか奥ゆかしい、光秀の持っていたステイタスがあるようです。


青い血管のような葉脈ですね。



清楚な白いのもある。



まだ咲かぬ蕾が多いですね。



夕陽が西に沈むころでした。時間的に遅かったのか、他に人影を見ませんね。



桔梗は先が5裂しているが、花弁は合弁花で、筒状になっています。



穴太寺(西国観音霊場33札所参り第二十一番)下

2013-07-12 | 札所巡り
本堂に上がるために、方丈の方から渡り廊下を通ります。



ここには由緒のある、釈迦の涅槃像があります。明治時代に天井裏から発見されたそうです。



撫で仏として信仰を集めます。




身体にかかる布団をめくると、見事な釈迦如来が拝観できます。



正面の須弥壇には秘仏の薬師如来、左に聖観世音菩薩。右は前立の聖観音で、過去に御開帳の記録がない聖観音です。



ビラが掲示されていた。ここは天台宗の古刹です。





京都府の名勝庭園になっているお庭を拝見。



岩もあり、魚も泳ぎ、花も咲き、見飽きることのない庭園でした。



山門に向かいました。足元に沙羅の一輪を見つけました。



上を見上げると咲き残りの沙羅の花(ナツツバキ)を見つけました。



菩提樹も実を付けていました。



ふと足元にキキョウが咲いていました。


穴太寺(西国観音霊場33札所参り第二十一番)上

2013-07-11 | 札所巡り
京都府亀岡市にある札所です。明智光秀が信長から所領を預かり、この丹波地方で善政を敷いたと言います。本能寺の変では光秀はここから京へ上りました。
 また、この亀岡の辺りは、かつて足利尊氏が鎌倉幕府に対して旗揚げをして、六波羅探題を攻めたという所縁の地方です。
平安時代から盛んになった西国札所めぐりの第21番の穴太寺(あなおでら=あのうでら)を訪ねました。
鄙びた山門は周囲の農村地帯の中にひっそりと建っています。



仁王様の髭がよく目立ちます。大きなへそですね。
 


由緒の立札があります。派手でなくその長い歴史を示す伽藍でした。



正面に本堂があり菩提樹の木などが植えられています。



派手な大きな本堂ではないのです。欄間に信者の寄進でしょうか、阿弥陀様が懸っています。



左右に一つずつ、観音様が懸っています。聖観音でしょうか。
 


本堂の横で、鎮座するのは「おびんずるさま」。こんな不思議な顔の方は初めて見ました。
全身で善男善女の救いになったのでしょうか、ぺったんこです。



本堂から山門を見ると、視界に多宝塔が入ります。当寺院の庭も名勝指定になっています。



手書きの札所めぐりの図面がありました。

善峰寺までは21㎞だそうです。