最近、電車なんぞでうとうとしていると、頭の中に昔の情景ばかりでてくる。昔の家やら庭やら、子供のころ行った地方とか。蛍を見に行った小川、虫や裏白を取りに出かけた里山、キャッチボールをした空地。親戚の家の大きな庭。正月に一族が30人近く集まった祖父の家。
正月に実家に帰ったばかりだから、ノスタルジーな感情が残っているのかと思いきや、ある時ふと気づいた。死んだ父親の思い出ばかりなのである。父親が死んで、全く泣かず、この世にいなくなったのだなあということしか思わなかったのだが、最近になって、はからずもこんな感じなのだ。とほほの体である。
思えば、子供のころの環境が、今ほとんど現存していない。家はずいぶん変わったし、子供のころ父親と一緒に行った場所も、たとえば、山も小川も庭木もほとんど残っていない。父親が生きている間は、そういうことが、なんとも風情のない程度にしか考えていなかったのだが、父親が死んで、そういう昔の故郷の何もかもがいっぺんに、手の届かない遠くに去ってしまった気がする。
6年前に末期がんで死んだ叔父は、最期は、うわごとで、幼いころの自分に戻って、すでに死んだ家族の名前を、「かあちゃん、とうちゃん」と、傍らにいるかのように呼んでいたそうである。死に際に出てくるような、故郷の光景が誰の心の奥にもあるのだと思う。それも、あっけなく、父親の死とともに一緒に消えてしまったような気がしている。