夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

水戸の偕楽園

2019年02月12日 19時56分22秒 | 旅行

 

新潟から帰って

翌日は娘の運転する車で、水戸の偕楽園に・・・・

偕楽園の周辺には駐車場があり過ぎて

入り口に近い駐車場を探すあまり

迷ってしまいました。

 

お孫ちゃんはベビーシートで退屈気味のよう

 

 

梅はやっと咲き始めたばかりです。

 

「崖急に梅ことごとく斜めなり」 正岡子規

 

この句は正岡子規が偕楽園を訪れた

1889年に詠んだ句です。

解説には、

写生句であるが人生にも通じるものを感じさせる

名句と言われています。

と書いています。

 

寒空に咲く白梅

 

好文亭

 

好文亭は水戸藩第九代藩主、徳川斉昭(なりあき)が別邸として

また藩内の人々と偕(とも)に楽しむ場として

建てたものです。

好文とは学問を好むという梅の異名です。

徳川斉昭は江戸幕府第15代将軍、徳川慶喜の実父

でもあります。

 

好文亭に入ります。

 

奥座敷の襖絵は明治30~40年に東京藝術大学の

助教授、須田珙中(きょうちゅう)と田中青坪(せいひょう)の二人

によって描かれました。

 

この菊の間と次の桃の間は、

総板敷きで、調理室として利用されました。

 

 

 

つつじの間、桜の間、萩の間は

藩主夫人お付きの婦人たちの詰所として

使用されました。

 

 

 

苦悩しているかのような老木

 

 

 

松の間は藩主夫人の座所及び奥対面室として

使用されました。

 

紅葉の間は控えの間でした。

 

肝心の梅の間の、梅の襖絵の画像が

抜かっています。残念!

 

奥座敷の茅葺き屋根

 

二層三階の屋根は杮葺き(こけらぶき)

柿葺きは柿の板を、長さ30㎝、幅10㎝、厚さ1.5㎝

ぐらいに切ったもので、屋根をふくことです。

 

 

御座の間

6畳の質素な藩主の間です。

 

 辞書代わりの板戸

漢詩を作るときのために、8千の韻字が4枚の板戸に

書かれています。

 

 

好文亭3階部分の「楽寿楼」からの眺め

斉昭も見た景色です。

 

 

好文亭を出て

梅を探して歩いてみました。

 

 

 

これが全部咲くときれいでしょうね。

 

白梅はちらほら

 

遠くに見えるこの巨木は・・・・

近づいてみると・・・

 

左近の桜

1831年に当時の仁孝天皇から

京都御所の左近の桜を賜ったものです。

 

梅の花は愛らしい

 

 

食事をしたレストランにあった

みとちゃん

 

梅大福

中には梅干しが入っています。

美味しかったよ。

 

 

帰りの車中でなぜかご機嫌な

 

お孫ちゃん

 

 

 

明日は

筑波実験植物園の植物たちを紹介します。

 

 

 

今日も来てくださってありがとうございます。