新潟から帰って
翌日は娘の運転する車で、水戸の偕楽園に・・・・
偕楽園の周辺には駐車場があり過ぎて
入り口に近い駐車場を探すあまり
迷ってしまいました。
お孫ちゃんはベビーシートで退屈気味のよう
梅はやっと咲き始めたばかりです。
「崖急に梅ことごとく斜めなり」 正岡子規
この句は正岡子規が偕楽園を訪れた
1889年に詠んだ句です。
解説には、
写生句であるが人生にも通じるものを感じさせる
名句と言われています。
と書いています。
寒空に咲く白梅
好文亭
好文亭は水戸藩第九代藩主、徳川斉昭(なりあき)が別邸として
また藩内の人々と偕(とも)に楽しむ場として
建てたものです。
好文とは学問を好むという梅の異名です。
徳川斉昭は江戸幕府第15代将軍、徳川慶喜の実父
でもあります。
好文亭に入ります。
奥座敷の襖絵は明治30~40年に東京藝術大学の
助教授、須田珙中(きょうちゅう)と田中青坪(せいひょう)の二人
によって描かれました。
この菊の間と次の桃の間は、
総板敷きで、調理室として利用されました。
つつじの間、桜の間、萩の間は
藩主夫人お付きの婦人たちの詰所として
使用されました。
苦悩しているかのような老木
松の間は藩主夫人の座所及び奥対面室として
使用されました。
紅葉の間は控えの間でした。
肝心の梅の間の、梅の襖絵の画像が
抜かっています。残念!
奥座敷の茅葺き屋根
二層三階の屋根は杮葺き(こけらぶき)
柿葺きは柿の板を、長さ30㎝、幅10㎝、厚さ1.5㎝
ぐらいに切ったもので、屋根をふくことです。
御座の間
6畳の質素な藩主の間です。
辞書代わりの板戸
漢詩を作るときのために、8千の韻字が4枚の板戸に
書かれています。
好文亭3階部分の「楽寿楼」からの眺め
斉昭も見た景色です。
好文亭を出て
梅を探して歩いてみました。
これが全部咲くときれいでしょうね。
白梅はちらほら
遠くに見えるこの巨木は・・・・
近づいてみると・・・
左近の桜
1831年に当時の仁孝天皇から
京都御所の左近の桜を賜ったものです。
梅の花は愛らしい
食事をしたレストランにあった
みとちゃん
梅大福
中には梅干しが入っています。
美味しかったよ。
帰りの車中でなぜかご機嫌な
お孫ちゃん
明日は
筑波実験植物園の植物たちを紹介します。
今日も来てくださってありがとうございます。