チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

ドイツ・フランスの旅(2): 雪ニモマケズ

2004年12月25日 01時19分03秒 | 番外編
2日目の朝、ホテルで目を覚ますと、窓の外がやけに白い。どうやら昨夜から雪が降り続いたようです。

実に綺麗な景色です。が、問題は、車が動けるのかどうかということ。それだけを心配しながら、チェックアウトを済ませて外に出てみると……車がない。「車は大丈夫かね」と言いながら出てきたホテルの主人と我々の眼前にあったのは、見事に雪に埋もれた「愛車」ゴルフ1600でした。

主人には、このようなことは珍しくないのでしょう。さっさとデッキブラシのようなものを取って来て、車の雪を下ろしてくれました(写真)。我々はただ見ているだけ。

大きな道は除雪してあるから大丈夫だと思うよ、という主人の言葉を信じて出発。主人の言うとおり、こういう場合は、幹線道路はたいてい通れます。が、問題はそこまでの小さな道路です。とくに、村の中の小道みたいなところが怖い。ホテルは少し高い場所にあったので、小道を下って行かないといけません。これで滑ったら終わりだ、と思いながらおそるおそる進みました。幸いスリップすることもなく幹線道路に出られたときは、本当にホッとしました(さすがスイスで借りた車。雪には強いようです)。

相変わらず、曲がる場所を間違えてUターンしたりしながら何とかストラスブールへ向けて走り出したのですが、僕は雪を甘く見ていたようです。国道なら大丈夫だろうと思って、シュヴァルツヴァルトの森を抜けていくルートを選んだのですが、これがまた苦難の道となりました。

進んでいくにしたがって雪は深くなる一方。車線を示す表示ももちろん見えず、片側2車線のはずの道路もいつのまにか片側1車線に。道の両側では、住民がみな雪かきに精を出しています。結構なお年寄りが屋根に上って雪を下ろしている姿を見ていると(よそ見をしたら危ないのだけれど)、体力がないとこういうところでは生きていけないのだと思い知らされます。ゲルマン系の連中は、こういう場所で暮らしているから体力があるのか、あるいは体力があるからこんな生活が可能なのか、とにかく自分には無理だなぁと思いつつ、しかしそんな感慨にふける間もなく雪道は続きます。車の下からも、道に積もった雪が削れるガリガリという音が。

この日は、ストラスブールのレストランを1時に予約してあったので、何としてもそれより早く町に着いて、ホテルにチェックインしないといけません。しかし、車線も見えないような道をすっ飛ばすわけにもいかず、ハンドルを取られないようにしっかり握りながら、急ブレーキを踏まないでよいようにスピードも抑え目にして走るしかありません。横の道から右折して前に入ってきた車が、急ハンドルのせいでしょう、お尻をぶりんと振ったときは、こちらの背筋が凍りました。

前に突然観光バスが現れたのはどこからだったでしょうか。このバスがまた、極めつけの徐行運転を始めたからもう大変。時速30キロで道を塞いでトロトロ、トロトロ。あっという間に後ろには自動車の列が。我々はバスの2台後ろを走っていたのですが、道は山道でカーブが多いし、おまけにこの雪道では、追越をかけるわけにもいかず、仕方なくこちらもトロトロ。このぶんでは、とてもお昼にストラスブールに着けません。しかし2台分をごぼう抜きにすることは出来ず、どうしようもないなと半ば諦め気分でいたところ、あるところでバスが横に寄りました。後ろの車のことをやっと考えてくれたようです。ところが……

バスのすぐ後ろを走っていた車がスピードを上げないのです。この車も徐行運転、安全第一主義者だったわけで、我慢できなくなった僕は、ついに勝負に出ることにしました。2車線(だろう、たぶん)の場所で一気に追い越し、スピードを上げてストラスブールへ。雪にも負けず、山道にも負けず、ついにシュヴァルツヴァルトを抜けた我々は、雪道とおさらばしてフランスへ。いったいどこが国境だったのだろうと思うような(妻は、小さな標識があったことに気づいたようですが)あっけないフランス入国でした。ストラスブール郊外のホテルに何とか12時にたどり着いた我々は、荷物を預け、タクシーを呼んでもらって(だって今からワインを飲むんですから)、予約してあったレストランへ向かいました。B級グルメの妻を筆頭に、「いい」レストランで食事など滅多にしたことがない我々家族がその日行ったのは……。(続く)