コルマールで休まった我々は翌朝、一路ボーヌへと「愛車」ゴルフ1600を走らせました。
コルマールからボーヌまでは約270キロ。この日は寄り道もせず、高速道路をまっしぐらです。途中、給油のため1回休憩した他はずっと、平均時速120キロでボーヌへと向かいました。
その休憩に関する余談: フランスのパーキングエリアの難は、トイレがもう一つだということです。男子小用はまぁいいとして、それ以外の場合、便座がないトイレにお目にかかることになります。トイレに関してはおそらく世界一といって良いスイスから来たから余計にそう感じたのかもしれませんが、この差は大きい(スイスのパーキングエリアに帰路で入ったのですが、その清潔さに感動しました)。
さて、ボーヌといえばブルゴーニュワイン。ここでのお目当ても当然ワインです。我々は、この旅行で唯一の上等な4つ星ホテル、「ル・セップ」を予約していました。ル・セップは、『地球の歩き方』にも出ている有名(?)ホテルです。
これがホテルの入口。見るからに4つ星って感じですね。
こちらは部屋の中。写っているのは、ソファーに腰掛けてボーヌでの行動作戦を練っている妻です。やる気満々。
シャワーカーテンの謎の件、続き。このホテルは、シャワー「カーテン」ではなく、ガラスの引き戸形式になっていたのですが、なぜか浴槽の長さの3分の2くらいしかカバーできない仕組みになっているのです。なぜ全体を覆えるようにしておかないのか? カバーされていない部分から水がはねて、床が濡れてしまうではありませんか。5つ星ホテルになると全体がカバーされるのでしょうか? この中途半端なシャワー「カーテン」は、我々の謎を一層深める結果となりました。
ル・セップは、観光や食事を混ぜたいくつかのパッケージを用意しているのですが、我々はその中から、ボーヌのワインカーヴ見学とホテル付属のレストランでの食事がセットになった "Forfait Decouverte de Beaune"(ボーヌ発見)というパッケージを頼んでいました。これは、到着日の午後に「オテル・デュー」を見学、その後にワインカーヴ「メゾン・シャンピー」を訪れて見学と試飲、夜にはホテル付属のレストラン「ベルナール・モリヨン」でディナーというプログラムです。
昼過ぎにホテルにチェックインした我々はまず、近くのカフェで軽く昼食をとった後、最初のプログラム「オテル・デュー」へ。1443年に、ブルゴーニュ公爵フィリップ・ル・ボンの宰相ニコラ・ロランが建設したこの建物は、貧しい人々のためのホスピスで、ぶどう畑や塩田によって収入を得ながら、多くの病人を受け入れて、修道女が世話をしたとのことです。
このように立派な建物で、貴族たちから得た寄付をもとに、様々な装飾を施していったそうです。
これが、病人を収容していた「貧しき者の広間」。長さ50メートル、幅14メートル、高さ16メートルの部屋の両端にベッドが置かれ、中央には食事用のテーブルとベンチが置かれたそうで、ホスピスとか病院といったイメージとはおよそかけ離れています。
オテル・デューの圧巻は、ポリプティック(衝立画の部屋)に置かれた「最後の審判」。フランドルの画家ロジェ・ヴァン・デール・ヴェイデンの作品で、審判者イエス・キリストの下に立つ大天使ミカエルの無機質な表情がなんとも、裁きの厳しさ・怖さを感じさせます(娘は真剣にビビッていました)。うまく写真が撮れなかったのが残念。この作品を解説した本が出ています(amazon.fr)。左のリンクをクリックしてもらうと、本の表紙になっているミカエルの顔を見ていただけます。
さて、オテル・デューだけで長くなってしまいましたが、さらに忘れられない思い出となったのは、続く メゾン・シャンピーの訪問です。ここが、1720年創業という古い伝統を持つ醸造所だということは、訪問して初めて知ったわけですが、場所は街の中心部から少し離れた、何となく寂しい通りで、紹介でもされなければおそらく行くことはなかったでしょう。
閉ざされたドアの横にあった呼び鈴を鳴らし(左側に売店の入口がちゃんとあることに気がつかなかった)、ホテル・ル・セップから来た者ですが、と名乗ると出てきたのが、冒頭写真の女性。名前はエミリー。
エミリーは我々をまず、地下のワイン蔵に案内してくれました。そこには、出荷を待つばかりの白ワイン・赤ワイン、そして1800年代に作られたワインの「博物館」もありました。
こんな具合です。これはまだ樽の段階。
メゾン・シャンピーの地下室は、元々は、修道院が所有していたワイン蔵だったそうです。カーヴの下を川が流れていて、ほどよい湿度を与えてくれるそうな。
蔵をひと通り見学した後は、試飲の時間。冒頭写真でお見せした、エミリーの慣れた手つきの格好よかったこと!
ブルゴーニュ地方のワインについて、地図を見ながら説明してくれているエミリー。
白ワインを2種類、赤ワインを2種類試飲させてもらいましたが、ワインの味もさることながら、エミリーの試飲の格好よさに見とれていたというほうが正解かもしれません。だって、何を試飲したか思い出せないんですから。白の1種類がシャブリだったことは覚えています。赤は、後で購入した Clos des Vougeot Grand Cru がとてもまろやかで美味しかったことは思い出せますが、どうもその他の記憶が定かでない……B級グルメの哀しさです。
(ちなみに: エミリーの写真は小学2年の娘が撮ったものです。さすがに僕は遠慮したのですが、ちゃんと娘が撮影しておいてくれました。エライ!)
エミリーと出会えた記念に、じゃなくて、エミリーが紹介してくれたワインがとても美味しかったので、その記念に上記の赤ワインを買って帰りました。さすがに、そう何本も買えるような値段ではなかったです。我が家の家宝にしたいと思います。ワインの名前はすぐ忘れますが、エミリーのワインと言えば誰もが思い出せるtsujigaku家の貴重な1本です。
その夜は、上に書いたように、ホテル併設のレストラン「ベルナール・モリヨン」(数年前までミシュランの星つきだったそうです)のディナーだったのですが、エミリーの思い出に比べれば、もはや特に記すこともないように思います。強いて挙げれば、妻が途中で食事をリタイアし、デザートを食べ損ねたことくらいでしょうか。どうやら、ストラスブールで被った痛手から完全には回復していなかったようで、クリームソースがダメになったらしいです。様子を見ていると、牡蠣にあたったというのではなく、雪中行軍で疲れたあとに、分不相応なご馳走をいきなり食べたのが悪かったような感じです。ストラスブールの3つ星レストランには及ばないものの、かなり本格的なフランス料理のご馳走だったのですが、(B級とはいえ)グルメの彼女がご馳走を食べられないという悲劇。気の毒としか言いようがありません。妻が去った後のテーブルで、小学生二人とデザートを食べている自分も、何となく場違いな気が急にしてきて居心地悪かったです。
次の日はいよいよ最終目的地のリヨン。リヨンでは、研究休暇で滞在している大学の同僚が我々を待ってくれています。泣く泣くボーヌのレストランでリタイアした妻は果たしてリヨンで復帰できるのか? (続く)
コルマールからボーヌまでは約270キロ。この日は寄り道もせず、高速道路をまっしぐらです。途中、給油のため1回休憩した他はずっと、平均時速120キロでボーヌへと向かいました。
その休憩に関する余談: フランスのパーキングエリアの難は、トイレがもう一つだということです。男子小用はまぁいいとして、それ以外の場合、便座がないトイレにお目にかかることになります。トイレに関してはおそらく世界一といって良いスイスから来たから余計にそう感じたのかもしれませんが、この差は大きい(スイスのパーキングエリアに帰路で入ったのですが、その清潔さに感動しました)。
さて、ボーヌといえばブルゴーニュワイン。ここでのお目当ても当然ワインです。我々は、この旅行で唯一の上等な4つ星ホテル、「ル・セップ」を予約していました。ル・セップは、『地球の歩き方』にも出ている有名(?)ホテルです。
これがホテルの入口。見るからに4つ星って感じですね。
こちらは部屋の中。写っているのは、ソファーに腰掛けてボーヌでの行動作戦を練っている妻です。やる気満々。
シャワーカーテンの謎の件、続き。このホテルは、シャワー「カーテン」ではなく、ガラスの引き戸形式になっていたのですが、なぜか浴槽の長さの3分の2くらいしかカバーできない仕組みになっているのです。なぜ全体を覆えるようにしておかないのか? カバーされていない部分から水がはねて、床が濡れてしまうではありませんか。5つ星ホテルになると全体がカバーされるのでしょうか? この中途半端なシャワー「カーテン」は、我々の謎を一層深める結果となりました。
ル・セップは、観光や食事を混ぜたいくつかのパッケージを用意しているのですが、我々はその中から、ボーヌのワインカーヴ見学とホテル付属のレストランでの食事がセットになった "Forfait Decouverte de Beaune"(ボーヌ発見)というパッケージを頼んでいました。これは、到着日の午後に「オテル・デュー」を見学、その後にワインカーヴ「メゾン・シャンピー」を訪れて見学と試飲、夜にはホテル付属のレストラン「ベルナール・モリヨン」でディナーというプログラムです。
昼過ぎにホテルにチェックインした我々はまず、近くのカフェで軽く昼食をとった後、最初のプログラム「オテル・デュー」へ。1443年に、ブルゴーニュ公爵フィリップ・ル・ボンの宰相ニコラ・ロランが建設したこの建物は、貧しい人々のためのホスピスで、ぶどう畑や塩田によって収入を得ながら、多くの病人を受け入れて、修道女が世話をしたとのことです。
このように立派な建物で、貴族たちから得た寄付をもとに、様々な装飾を施していったそうです。
これが、病人を収容していた「貧しき者の広間」。長さ50メートル、幅14メートル、高さ16メートルの部屋の両端にベッドが置かれ、中央には食事用のテーブルとベンチが置かれたそうで、ホスピスとか病院といったイメージとはおよそかけ離れています。
オテル・デューの圧巻は、ポリプティック(衝立画の部屋)に置かれた「最後の審判」。フランドルの画家ロジェ・ヴァン・デール・ヴェイデンの作品で、審判者イエス・キリストの下に立つ大天使ミカエルの無機質な表情がなんとも、裁きの厳しさ・怖さを感じさせます(娘は真剣にビビッていました)。うまく写真が撮れなかったのが残念。この作品を解説した本が出ています(amazon.fr)。左のリンクをクリックしてもらうと、本の表紙になっているミカエルの顔を見ていただけます。
さて、オテル・デューだけで長くなってしまいましたが、さらに忘れられない思い出となったのは、続く メゾン・シャンピーの訪問です。ここが、1720年創業という古い伝統を持つ醸造所だということは、訪問して初めて知ったわけですが、場所は街の中心部から少し離れた、何となく寂しい通りで、紹介でもされなければおそらく行くことはなかったでしょう。
閉ざされたドアの横にあった呼び鈴を鳴らし(左側に売店の入口がちゃんとあることに気がつかなかった)、ホテル・ル・セップから来た者ですが、と名乗ると出てきたのが、冒頭写真の女性。名前はエミリー。
エミリーは我々をまず、地下のワイン蔵に案内してくれました。そこには、出荷を待つばかりの白ワイン・赤ワイン、そして1800年代に作られたワインの「博物館」もありました。
こんな具合です。これはまだ樽の段階。
メゾン・シャンピーの地下室は、元々は、修道院が所有していたワイン蔵だったそうです。カーヴの下を川が流れていて、ほどよい湿度を与えてくれるそうな。
蔵をひと通り見学した後は、試飲の時間。冒頭写真でお見せした、エミリーの慣れた手つきの格好よかったこと!
ブルゴーニュ地方のワインについて、地図を見ながら説明してくれているエミリー。
白ワインを2種類、赤ワインを2種類試飲させてもらいましたが、ワインの味もさることながら、エミリーの試飲の格好よさに見とれていたというほうが正解かもしれません。だって、何を試飲したか思い出せないんですから。白の1種類がシャブリだったことは覚えています。赤は、後で購入した Clos des Vougeot Grand Cru がとてもまろやかで美味しかったことは思い出せますが、どうもその他の記憶が定かでない……B級グルメの哀しさです。
(ちなみに: エミリーの写真は小学2年の娘が撮ったものです。さすがに僕は遠慮したのですが、ちゃんと娘が撮影しておいてくれました。エライ!)
エミリーと出会えた記念に、じゃなくて、エミリーが紹介してくれたワインがとても美味しかったので、その記念に上記の赤ワインを買って帰りました。さすがに、そう何本も買えるような値段ではなかったです。我が家の家宝にしたいと思います。ワインの名前はすぐ忘れますが、エミリーのワインと言えば誰もが思い出せるtsujigaku家の貴重な1本です。
その夜は、上に書いたように、ホテル併設のレストラン「ベルナール・モリヨン」(数年前までミシュランの星つきだったそうです)のディナーだったのですが、エミリーの思い出に比べれば、もはや特に記すこともないように思います。強いて挙げれば、妻が途中で食事をリタイアし、デザートを食べ損ねたことくらいでしょうか。どうやら、ストラスブールで被った痛手から完全には回復していなかったようで、クリームソースがダメになったらしいです。様子を見ていると、牡蠣にあたったというのではなく、雪中行軍で疲れたあとに、分不相応なご馳走をいきなり食べたのが悪かったような感じです。ストラスブールの3つ星レストランには及ばないものの、かなり本格的なフランス料理のご馳走だったのですが、(B級とはいえ)グルメの彼女がご馳走を食べられないという悲劇。気の毒としか言いようがありません。妻が去った後のテーブルで、小学生二人とデザートを食べている自分も、何となく場違いな気が急にしてきて居心地悪かったです。
次の日はいよいよ最終目的地のリヨン。リヨンでは、研究休暇で滞在している大学の同僚が我々を待ってくれています。泣く泣くボーヌのレストランでリタイアした妻は果たしてリヨンで復帰できるのか? (続く)