後から考えれば、次の朝にもう少しボーヌの街をぶらついても良かったのです。しかし気持ちはすでにリヨンにあったのでしょう。ホテルをチェックアウトした我々は、「愛車」ゴルフ1600に乗り込むや否や真っ直ぐリヨンへと向かいました。
2時間あまりのドライブを経て我々はリヨンの街へ。パリが突出しているとはいえ、リヨンはフランス第2の都市です。高速を降りて街に入っていった我々は案の定、曲がる道を間違えて、予定とは反対の方向に行ってしまいました。しかし最早そんなことには慣れっこになっているtsujigaku夫婦。無駄に街を半周した後、予定のホテルへちゃんと着いたのです。
今日のお宿はホテル「ラ・レジダンス」。新市街の中心ベルクール広場のすぐ近くにあるにしては値段も安い3つ星ホテル。リヨンで我々の面倒を見てくれる大学の同僚氏ご夫妻は、我々がこのホテルを予約したと聞くや、なんと事前にホテルに行って、下調べまでしてくれて、このホテルなら大丈夫でしょうとのお墨付きまで下さった。持つべきものは(いい)同僚です。
シャワーカーテンの謎、続き。この3つ星ホテルも、前日のル・セップ同様、ガラス戸のシャワー「カーテン」でしたが、長さは、浴槽の約半分。2つ星だとカーテンはなく、3つ星だと長さは浴槽の1/2。そして4つ星になるともう少し長くなる。ということはやはり、5つ星にしてシャワーカーテンは完全な長さになり、浴槽全体を覆うのに違いありません。誰か、5つ星に泊まったらぜひチェックしていただきたい。我々にはそのような経済的余裕はないので。
同僚氏には、3時ごろに着くだろうと言っていたのが、なんと1時過ぎに到着してしまったので、同僚氏に電話を入れた後、昼食を食べに街に出ることに。近くのサンドウィッチ屋でお昼を済ませたあと、近くをぶらぶらしながらベルクール広場に出ました。するとそこにあったのは、大きな大きな移動観覧車。しかも、ぐるぐる、ぐるぐると、ものすごいスピードで回っているのです。日本の観覧車の3倍くらいのスピードで。(同僚氏によれば、当初はもっと速く回っていたそうな。遠心力で子どもが飛び出るではないか!)
これにはたまげました。
近くまで寄って見てみると、なんとドイツから来た観覧車。説明がドイツ語で書いてあるではありませんか。つい懐かしくなって、というわけではなく、子どもにせがまれた我々は、半ば仕方なく、この観覧車に乗ることに。この日は、今年一番の冷え込みだったそうで、そんな中、吹きさらしの観覧車に乗って、しかもハイスピードで5周も回って、こんなものに集まるリヨン人の気持ちがわかりません。
冒頭の写真は、観覧車の上からベルクール広場を撮ったものです。奥の山上に、この後訪れるノートルダム・ド・フルヴィエール・バシリカ聖堂(とカタカナで書くと間が抜けた感じですが)が見えます。ベルクール広場には、仮設のアイススケートリンクまであり、順番を待つ人の列が……?(時間制で交替するのだろうか?)
ホテルに戻り、3時に同僚氏夫妻と落ち合った我々はまず、山の上に見えていた、フルヴィエールバシリカ聖堂へ。そこから逆に街を見下ろした風景がこれ。
これは、聖堂の内部です。
聖堂の近くには、紀元前43年建造というローマ劇場が今も残っています。時々実際に使われるそうな。
この後、旧市街に下りて、聖ヨハネ大司教教会などを見物、街をぐるぐると散策した後、夕食はリヨンの名物料理、のはずでしたが、前日ボーヌでレストランを途中退場した妻には無理だろうということで、なんとお好み焼き屋へ。その名も「ご満悦」。
看板に Goman-etsu とあるのがおわかりいただけるでしょうか。
関西人の我々が食べても、なかなか悪くない味でした。前菜・デザートもついた「ムニュ」が15ユーロ前後。リヨンの和食レストランを紹介したページにも出てきます。フランス料理で胃が疲れていた我々(というより妻)にはちょうど良い「ディナー」で、まさに「ご満悦」でした。
これとうって変わったのが、翌日、すなわち旅行最終日のランチ。同僚氏は、テロー広場にあるレストラン「レタージュ」を予約しておいてくれたのです。
これがその店なのですが、下の入口に見えるところは別の店(キオスクみたいな店)で、レストランには、その左の愛想ない扉から入るのです。しかも、呼び鈴を押し、入れてもらうという、なんとも不思議な、考えようによっては客をナメているようにも思える(だって、一見は絶対に入れない)入口です。
しかし(だからこそ?)、料理は極上でした。サーモンやフォアグラを使った前菜に、メインはクネレ(魚のすり身を茹でた後、スフレのように焼いたもの)
あるいは内臓の煮込み料理(リヨンはこの料理で有名だそうな)
そしてデザートがついたコースが18ユーロ。この値段で、こんな豪華な食事を出すとは! スイスなら(こんなごちそう、そもそもないけど)倍は軽くしそうな感じです。またしても「ご満悦」のひとときでした。ただ一つ残念だったのは、この後すぐにドライブするため、ワインを堪能できなかったことです。さすが「美食の町」と言われるリヨン。こんなおいしいものが揃った街で研究休暇とは、う~ん、同僚氏が羨ましい。
同僚氏夫妻の行き届いたガイドに心から感謝しつつリヨン観光を終えた我々は、午後3時にリヨンを出発。霧やら雨やらに見舞われつつスイスに向かってひた走り、チューリヒのtsujigaku御殿に戻ったのは午後8時過ぎのことでした。こうして我々のドイツ・フランスの旅は終わりを告げたのです。(完)
2時間あまりのドライブを経て我々はリヨンの街へ。パリが突出しているとはいえ、リヨンはフランス第2の都市です。高速を降りて街に入っていった我々は案の定、曲がる道を間違えて、予定とは反対の方向に行ってしまいました。しかし最早そんなことには慣れっこになっているtsujigaku夫婦。無駄に街を半周した後、予定のホテルへちゃんと着いたのです。
今日のお宿はホテル「ラ・レジダンス」。新市街の中心ベルクール広場のすぐ近くにあるにしては値段も安い3つ星ホテル。リヨンで我々の面倒を見てくれる大学の同僚氏ご夫妻は、我々がこのホテルを予約したと聞くや、なんと事前にホテルに行って、下調べまでしてくれて、このホテルなら大丈夫でしょうとのお墨付きまで下さった。持つべきものは(いい)同僚です。
シャワーカーテンの謎、続き。この3つ星ホテルも、前日のル・セップ同様、ガラス戸のシャワー「カーテン」でしたが、長さは、浴槽の約半分。2つ星だとカーテンはなく、3つ星だと長さは浴槽の1/2。そして4つ星になるともう少し長くなる。ということはやはり、5つ星にしてシャワーカーテンは完全な長さになり、浴槽全体を覆うのに違いありません。誰か、5つ星に泊まったらぜひチェックしていただきたい。我々にはそのような経済的余裕はないので。
同僚氏には、3時ごろに着くだろうと言っていたのが、なんと1時過ぎに到着してしまったので、同僚氏に電話を入れた後、昼食を食べに街に出ることに。近くのサンドウィッチ屋でお昼を済ませたあと、近くをぶらぶらしながらベルクール広場に出ました。するとそこにあったのは、大きな大きな移動観覧車。しかも、ぐるぐる、ぐるぐると、ものすごいスピードで回っているのです。日本の観覧車の3倍くらいのスピードで。(同僚氏によれば、当初はもっと速く回っていたそうな。遠心力で子どもが飛び出るではないか!)
これにはたまげました。
近くまで寄って見てみると、なんとドイツから来た観覧車。説明がドイツ語で書いてあるではありませんか。つい懐かしくなって、というわけではなく、子どもにせがまれた我々は、半ば仕方なく、この観覧車に乗ることに。この日は、今年一番の冷え込みだったそうで、そんな中、吹きさらしの観覧車に乗って、しかもハイスピードで5周も回って、こんなものに集まるリヨン人の気持ちがわかりません。
冒頭の写真は、観覧車の上からベルクール広場を撮ったものです。奥の山上に、この後訪れるノートルダム・ド・フルヴィエール・バシリカ聖堂(とカタカナで書くと間が抜けた感じですが)が見えます。ベルクール広場には、仮設のアイススケートリンクまであり、順番を待つ人の列が……?(時間制で交替するのだろうか?)
ホテルに戻り、3時に同僚氏夫妻と落ち合った我々はまず、山の上に見えていた、フルヴィエールバシリカ聖堂へ。そこから逆に街を見下ろした風景がこれ。
これは、聖堂の内部です。
聖堂の近くには、紀元前43年建造というローマ劇場が今も残っています。時々実際に使われるそうな。
この後、旧市街に下りて、聖ヨハネ大司教教会などを見物、街をぐるぐると散策した後、夕食はリヨンの名物料理、のはずでしたが、前日ボーヌでレストランを途中退場した妻には無理だろうということで、なんとお好み焼き屋へ。その名も「ご満悦」。
看板に Goman-etsu とあるのがおわかりいただけるでしょうか。
関西人の我々が食べても、なかなか悪くない味でした。前菜・デザートもついた「ムニュ」が15ユーロ前後。リヨンの和食レストランを紹介したページにも出てきます。フランス料理で胃が疲れていた我々(というより妻)にはちょうど良い「ディナー」で、まさに「ご満悦」でした。
これとうって変わったのが、翌日、すなわち旅行最終日のランチ。同僚氏は、テロー広場にあるレストラン「レタージュ」を予約しておいてくれたのです。
これがその店なのですが、下の入口に見えるところは別の店(キオスクみたいな店)で、レストランには、その左の愛想ない扉から入るのです。しかも、呼び鈴を押し、入れてもらうという、なんとも不思議な、考えようによっては客をナメているようにも思える(だって、一見は絶対に入れない)入口です。
しかし(だからこそ?)、料理は極上でした。サーモンやフォアグラを使った前菜に、メインはクネレ(魚のすり身を茹でた後、スフレのように焼いたもの)
あるいは内臓の煮込み料理(リヨンはこの料理で有名だそうな)
そしてデザートがついたコースが18ユーロ。この値段で、こんな豪華な食事を出すとは! スイスなら(こんなごちそう、そもそもないけど)倍は軽くしそうな感じです。またしても「ご満悦」のひとときでした。ただ一つ残念だったのは、この後すぐにドライブするため、ワインを堪能できなかったことです。さすが「美食の町」と言われるリヨン。こんなおいしいものが揃った街で研究休暇とは、う~ん、同僚氏が羨ましい。
同僚氏夫妻の行き届いたガイドに心から感謝しつつリヨン観光を終えた我々は、午後3時にリヨンを出発。霧やら雨やらに見舞われつつスイスに向かってひた走り、チューリヒのtsujigaku御殿に戻ったのは午後8時過ぎのことでした。こうして我々のドイツ・フランスの旅は終わりを告げたのです。(完)