今朝のネットで見た記事のタイトル。生まれた時は家族に喜ばれ、大事に育てられた子供ではなかったのか?それを【殺すしかない】と思い詰めるまでには我々の想像もし難い何かがあったのだろう。ただ、自分自身の経験、色々な報道や記事から、また世間を見回して、ぼんやりと浮かぶ観念がある。
親が貧乏で、生きることに精一杯の家庭からはあまりこのような子供は出て来ないような気がする。一方、親が高学歴で裕福な、幸せを絵に描いたような家庭から往々にしてこのような事例が起こるように感じる。
私自身もその気があった。母親が普通のアホでノーテンキ、三段腹のオバサンモードではなく今の言葉で言えば【意識高い系】だった。物心ついた時から【躾】とやらを厳しく叩きこまれ、学校から帰るとすぐにその日の復習や宿題をさせられ、終わるまで遊びに行く事を許されず、『あんな子なんかと友達になってはいけない』とか指図され、四六時中父の外見の不服や父方家族の悪口雑言を聞かされて育った。ウツクシイ話、立派な教訓も刷り込まれた。
それがどういう結果を生んだか?・・・大学受験に失敗して、その後の自分自身の処置の仕方をどうしていいか分からなかった。父が私を都会の予備校に連れて行った。しかし、秋になって翌年の受験が視野に入り始めるとノイローゼが起こった。『自分はハンセン氏病じゃなかろうか?』と身体のあちこちを針で刺してみたり火で焼いて【感覚がある】ことを確認したり、で、予備校には行かず一日中都会の雑踏の中を呆けて徘徊した。
今、それを説明出来る。一つには【ハンセン氏病になって戸籍を抹消され隔離されれば人間競争世界から逃れられる】、一つには【今度も入試に失敗するかもしれない、失敗したらどんな懲罰が待っているか】の恐怖。だが、【父が職にある間になんとかしなければ】との思いが強く、大学には何とか合格できた。しかし、今度は宗教にのめり込み始めた。今にして思えば【自分を鞭打ち導く何か】がないと【どう生きていいか分からない】不安があったのだろう。
こうしてズルズル・・・家庭を持ち(母親が十指に余る女性をとっかえひっかえ探して見合いさせ、挙句に自分でブチコワシ、しながら・・・)子供も出来たが【父親たるの資格】のない、息子達には迷惑な親父になった。
これらの結末は?・・・会社が倒産同然になると組織人生が嫌いだったので退職して自営を始めた。母が仕込んだ美しい毛並み、高学歴、全部捨てた、棄ててゼロからやり直した。それでも組織の拘束よりは自分としてはよかった。餌を保証された囲いのブタよりは餌を漁らなければ生きて行けない道がまだしもよかった。
親は追い出した。母は死ぬまで泣いて暮らした。怒りは収まらず猫をいびって数匹殺した。おそらくこの延長線上に今回の川崎殺傷事件があるのだろう。母親と一緒に私の血の中にあるDNAを足蹴にした祖母の納棺の時、【鬼ババめ、やっとくたばりやがった】と毒付いた。