最近【断捨離】と言う文言が飛び交う。アメリカにまで出かけてこれを指導、させる人も居るらしい。フン、余計なおせっかいだ。ゴミ屋敷は論外だが人が自分の部屋に何を置こうと、どうしようと、それはその人の勝手だ。自分の好みを他人に指導するなどとは傲慢不遜である。
この断捨離の思想が・・、その考え方を発芽させた何かの心因性病理が、現在日本にはあると思う。それは【個人情報保護】とか【自己責任】とか言う最近はやりの西洋かぶれ文言・思想と同一象限にあると思う。昔、【清濁併吞】と言う言葉があったがその対極としてのピューリタン的狭量清潔志向が・・・。【キレイキレイしましょ】と言うキタナラシイ文言があるではないか。
キッチンの茶箪笥(古い言葉だな、昔は囲炉裏の脇で飯を食う、それに口を出す猫を茶箪笥に押し込めたものだ)の中に在る器を『これはもう要らない、余り使わない』とか何とか言って片付ける、それを不燃ゴミに出す、よくある事だ。だがしかし、そのまま置いて置けば出番があったはずの什器備品を捨てる、棄てて断捨離して『運が向いて来る』とせいせいわくわくする、バッカじゃなかろか。
そのような現代日本の心因性病が人を【役立つか役立たないか】に選り分ける、暗黙の裡に・・・『こいつはカネモーケに役立つか役立たないか?』の眼でカイシャなるものの走狗が個人を品定めする。私には【ひきこもり】現象がそういう【傲慢さへの反感反逆、ピューリタン思想指向への嫌悪】と感じられる。
【断捨離】・・・余計なおせっかいだ、傲慢不遜!