夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

ひきこもり

2019年06月04日 16時38分42秒 | 日記
【中高年ひきこもり61万人】らしい。それについてどなたか書いておられるが【どのようにして脱したか】と言う意見がひとつもない、とのこと。逆に言えば【脱出は非常に難しい】と言うことにならないか?ホームレスを脱出することが易しいと思うか?【ひきこもり】とは心理的ホームレスではないか?

私思うに、社会学者とか心理学者とか仰る人々、【日本を指導している、とか一般大衆とはちと違うのだぞ】と【密かに自負】しているような方々のこの方面についてのご感想、ご意見を拝聴した記憶がない。自分が痛くなければ基本、人の痛みはどうでもいいのだろう?

凡人にしてど素人の直感・・【何もかもそこそこ中くらいの一億人が時代と共にピンとキリ、極端と極端に分離した。極端な断捨離に対するアンチテーゼとしてのひきこもり、極端に日本を片付け過ぎた、過ぎることへの集合無意識の反感が現象化している】
・・・終戦後暫くの年月、わずかながら物乞いをする人を見た。しかしそれもやがて見なくなり、一億総中流とかで日本は毎年GDP10%近い伸びがあった。しかし時代が進んで、どうしてか、ホームレスと言う現象を見るようになった。綺羅びやかな摩天楼、清潔な街路、高級車、流行の衣装で人生を謳歌しているかの如き人々の闊歩する薄暗がりにホームレス、このアンバランス、この奇妙さ。満開の桜の下で飲み食いして我が世の春を謳歌する人々を、汚れた犬を引きながら眺める中年のホームレス。日本人、仲間をこのように放置することに忸怩たる思いはないか?
これは社会全体を一個の人体と考えれば深刻な病だ。そういう見方をして何事かをコメントなさる政治家を一人も知らない。指導的立場、そのシンパの人々も口をつぐんでいるように見える。

これを言えば袋叩きに会いかねないが、言う。昔は男は二十歳になれば赤紙が来て否応なしに兵隊検査に引き出された。【兵隊検査にも落ちた】とは社会人として失格と宣言されるようなものだった。つまり徴兵入営は江戸時代までの元服に代わる男子の社会人としてのイニシエーションだった。戦後、その【緊張の箍】が外れた。加えて、昔は時代状況として戦場に出なければならない可能性は現実に目の前にあった。これが親と子、双方に暗黙の緊張を強い、同時に【安穏に溺れ傲慢が芽吹く】のを抑えていたのではないか?・・治に在って乱を忘れず、乱に遭って騒がず。

経済が停滞していると言ってもスーパーで眺めていると日本人の暮らしは昭和2,30年代とは大違いである。家電、自家用車は常識になっている。その一方で個人情報保護だの守秘義務だの自己責任だのと言うキリスト教世界被れの聞き苦しい文言が飛び交う。・・・こういうのは昔の健康体の日本社会では敢えて言葉にしなくとも胸の内に仕舞って、必要な時に実態を現わした常識だったのだ。クソいまいましい!
治安とそこそこの生活レベルを得た代わりに【極めて窮屈な管理社会・何もかも言語化する愚かな欧米式社会】になってしまった。余談だがあの【ゆるきゃら】とやらはそういうシャッチョコバッタ社会に対する反感が底にあるのではないか?
社会の形を、在り様を本来の日本に戻せ。家の造りを戸と錠前でなく障子と襖の【約束の錠前】に戻せ。【個人の緊張】は増すだろう、無意識レベルで緊張が走るが、【ひきこもり】と言う夢魔は気がつかぬ間に消えるのではないか?

加えて、・・会社とか組織とかいうものが威張り過ぎている、これを改めよ。『あなたはこの空白の●●年、何をしていたのですか?』とカイシャは面接に訪れた人に言う。求職者としてハローワークに行ったことがあるか?そこで四六時中流されている【ハウツー面接の模範口舌】を聞いた事があるか?カイシャなるものに個人は三跪九拝させられる。【こんなクソッタレ国家、カイシャ立国家に誰が居るか!】と思うぞ。

其処辺りを、現在日本の経済社会の忌々しサ、苦々しサをトコトン味わってから出直さなければ日本のこ病気は治らない、重篤化するだけだ。

歩行が不自由だから車に乗る

2019年06月04日 11時12分57秒 | 日記
スフィンクスがオエディプス王に問う、『朝は4つ足、昼は2本脚、夕方は3本脚の生き物は何か?』 王は答える、『それは人間である』

ところが先日、現代はそうではないかもしれないと考えさせられるものを見た。近所のご老体、ある会場で両手に杖でよたよた歩く、おぼつかなくて見るに堪えない。しかし要件終わって帰途に着く時、彼は駐車場に行って車を運転して帰宅した。『なーるほど!』・・・拙宅周辺は河岸段丘に開けた田圃が住宅化した地域で心臓破りの急坂や畦道ばかり。とても両手に杖で登れるような道ではない。だからオートマチック車が必需品なのだ。脚なのだ。だから超高齢者が車に乗るわけだ。そうでないとスーパーに買い物にも行けないのだ。

都会は概して平地で公共交通機関も発達整備されているが田舎はそうはいかない。車がないと非常に不便なのだ。昔のように時の流れがゆるやかな時代なら乗り合いバスや汽車を待ったり、てくてく歩いたりも有り得ようが今は外界がそういう行動と同調しなくなっている。勢い若い頃から車に乗る、必然的に脚が弱る、だから車を離せなくなる。悪循環だ。

かく言う私は・・・単身赴任せざるをえなくなって涙を飲んで愛車を手放し、都会に出た。以来、年齢の割りには脚がしっかりしている、心臓破りの急坂でも誰かが見ていそうな時は平然と上る、物陰でアイタタ、と、股関節が痛い、でも町中なら一万歩ぐらいヘーキだ。それも、気が短いので速足で歩く。アレッ、何だか自慢話になった。

今、密かに考えていることは、もう一度リュックを背負って山靴履いて2泊3日ぐらいの山歩きをしたい。

F35捜索打ち切り

2019年06月04日 10時58分51秒 | 日記
今日、この記事を見た。ご遺族の心境如何ばかりか! 私の叔父の一人は江蘇省常熟で狙撃兵にやられた。重機関銃の銃座で戦死。戦友が腕の骨3センチ切り取って遺骨として送還された。もう一人の叔父は広東省鳳山で分隊長として散兵戦で斃れた。戦友が腕の骨3センチ切り取って遺骨として送還された。今も拙宅菩提寺にある。も一人の叔父は蘭印方面海上で行方不明、何も残っていない。さらに一人の叔父は基隆沖で米潜水艦雷撃により遭難行方不明、19歳。
親族の一人はある日祖母を訪ねてやってきた。『叔母さん、今度ばかりは生きて帰れないと思います、お別れに来ました』彼はアッツ島で玉砕。

・・・軍籍に身を置けば起こり得ることではあろうが・・・。人はこのようなことの為に地上に創られたのではない。何モノかが仕組んでいる。黙示録の約束が実現することを強く望んでいる。