えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な手紙。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売問屋ニューホンコン造花提供

歴史の批判(2)

2006年05月01日 22時28分36秒 | ドンキホーテ
 以下は二年前のお正月に書いた新年の挨拶を少し修正したものです。
 前回お話した「中坊さんとは違う、私が今考える『歴史の批判に耐えられる』行動の仕方」について書いています。
 この日記で以前に書いたのと少しダブっています。ご容赦ください。
 文末に少し噛み砕いて解説しています。

ベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」
著者は
「人類の希望は未来にはない 過去から今にある」
と言います
未来はまだ存在しません
存在しない未来に希望は存在しません
希望は過去から受け継がれ今、ここにあります

その人類の希望をどうしてかなえるか
まずは歴史の希望を探さなければなりません
探し求める希望は
きら星のごとく輝く英雄たち、つまりは勝者たちの希望でしょうか
否、まばゆい星座の周りに闇のごとく広がる名も無き人たちの希望です

「歴史」に登場しない無名の希望を探る
困難な作業です
それを探り出し、かなえる
気の遠くなる使命

希望はあります
過去の人たちにとって私たちは救世主(メシア)です
それほど絶大な権力を持っています

考えて下さい
同時代の知識、技術を持って歴史を遡れば
神仏のような存在となるでしょう

過去から託され、宿された希望を
救世主ならんとかなえる

今こそ その時

かすかな希望を抱いて

以上です。

もう少し噛み砕いて言うと、
つまりは中坊さんが言う未来の子孫達の批判に耐えうる行動を目指すのでなく、過去の既に亡くなった方達の批判に耐える行動を目指す、と言うことです。それなら歴史を紐解いて過去の人たちの希望を探れば自ずと行動のやり方が見えてきます。 但し、その希望は英雄達の希望ではなく無名の人達の希望です。だからその希望を探る作業は困難を極めます。

 しかし、私達は過去の人達から比べると絶大な力を持っています。卑近な例で言えば、「戦国自衛隊」を思い起こしてください。現在の戦車や銃は当時にすれば神様、いや悪魔です。今の私達があの時代に戻れば神様・悪魔のような絶大な権力を持った存在です。これをベンヤミンはメシアと呼んでいます(私はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもありませんが)。それほどの力を持った私達は過去の人達からその希望を託されているのです。過去には出来なかったことが今の私達には出来るのです。
 それをかなえる。それこそがまさしく「歴史の批判に耐える」行動です。
 
 もうひとつ、もっと卑近な例で言うと、例えば、私が「ボインちゃんが好きだ」とすると、これは何も私だけの好み、希望じゃありません。実は何代も何代も前の既に亡くなって過去の人となられた方からずっとずっと受け継がれてきたものです。既に私達は体の中に、歴史の希望を受け継いでいます。歴史の希望を拾い出す作業は非常に困難な半面、私達の体の中に実は存在もしているのです。

 だから、今ここに『かすかな希望』があるのです。
 そして、
 『今こそ』その希望をかなえる『その時』なのです。
 それはまた、
 『かすかな希望』を抱いた作業になるのです。

 かなり脇道にもそれましたが、私の考えに少しは賛同して頂けたでしょうか。
 
 少なくともこれで、私がへ理屈言いで「ボインちゃん好きな?」そこらのおっさんと分って頂けたでしょう。

 ご清聴ありがとうございます。

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コメント (4)
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