ファーストデーということで
たまには行ったことがない映画館に行こうということで
色々調べていました。
かといって交通費を掛ける気はなく
しかも雨も降っているので長距離を歩く気にもなれず
そうなると新宿か池袋位しか選択肢は限られます。
そんなんでどうしようかと迷っていると
新宿TOKYU MILANO内の映画館が年内一杯で閉館するということで
その中の「シネマスクエアとうきゅう」という映画館で
この作品が上映されていることを知り
巷の評判もいいみたいなので決めました。
座席は指定ではなく今どき珍しい自由席で
ネット予約などももちろんなく
当日窓口でチケットを買う方式です。
12:40上映でしたが12:10に着いてしまいましたが
入場できました。
一応200人以上収容できますが、
その人数に比例した大きさのスクリーンではありません。
客席は傾斜もなく、縦に長い形で
後ろの方に座っていたら映画館に来た意味がない位、
観にくそうです。
自分は前から5列目に座りましたが
それでもスクリーン小さいなぁって感じるほどでしたが
これ以上前の列だと、首を上に持ち上げないとならないので疲れそうです。
特筆すべきは椅子で、
シネコンのようなプラスチック製の簡素なものではなく
会社で重役さんが座るようなしっかりとしたフカフカな椅子で
座り心地よく上映するまでしばらく居眠りしてしまいました。
あらすじ
自らが生み出したウイルスによって、
人類の90パーセントが死滅した2020年代の地球。
サンフランシスコでは、かろうじて生存している人類と
驚異的な遺伝子進化を遂げた猿たちのコミュニティーが
ゴールデンゲートブリッジを挟んで存在していた。
人類のコミュニティーでは、衰退を食い止めるためにも、
猿たちと対話すべきだとする者、
再び人類が地球を支配するべきだとする者たちが、
それぞれの考えに従って動き出す。
一方、猿たちを率いるシーザー(アンディ・サーキス)は、
人類と接触しようとせずに文明を構築していた。
猿と人間の戦いだということは行く前から分かっていて
実際そうなんですけど
色々考えさせられることがありました。
戦争って、ある一部の好戦的な人(猿)が起こしていて
その人がある種の力、能力を持っていたら
それを避けるのはほぼ不可能なんだろう、ということです。
戦争を「起こした」人を罰することはできても
「起こそうとしている」人を罰するのは容易ではありません。
しかもその人も絶対的な悪というわけじゃなく
初めの概念では、自分の仲間たちを守る為であったりとか
闘いという形を望んでいなかったとか
そちらにはそちらの理念もあったりして
理屈通りの一筋縄ではいかないものです。
人間側も猿側も、仲間割れしまくります。
本質的に、それぞれ相手との戦いというより、
身内との戦いの方が比重が高くなる皮肉な結果となっています。
「分かり合う」っていうのは非常に困難な行動で
例えば一生を誓い合った夫婦でも4分の1は離婚する位です。
そう考えたら家族、同僚、同級生、友達位の関係で
完全に信頼しきるというのは不可能に思えます。
劇中ではコバという人間にひどい目に遭った猿が戦争を仕掛け
リーダーのシーザーと反目しあう関係になってしまうのですが
もしシーザーとコバの過去の境遇が逆だったら
シーザーが反逆の立場に立っていてもおかしくないわけで
周りの環境から受ける影響というのは計り知れないものがあります。
先日、すごく性格のいい人に出会いまして
こういう人に会うのは久しぶりで
ここ数年、荒んでいた心が多少和らいだ気がしました。
「朱に交われば赤くなる」とはよく言ったもので
良くない人たちに囲まれれば悪くなるし
いい人に接すれば良くなる、
そんなことも感じました。
たまには行ったことがない映画館に行こうということで
色々調べていました。
かといって交通費を掛ける気はなく
しかも雨も降っているので長距離を歩く気にもなれず
そうなると新宿か池袋位しか選択肢は限られます。
そんなんでどうしようかと迷っていると
新宿TOKYU MILANO内の映画館が年内一杯で閉館するということで
その中の「シネマスクエアとうきゅう」という映画館で
この作品が上映されていることを知り
巷の評判もいいみたいなので決めました。
座席は指定ではなく今どき珍しい自由席で
ネット予約などももちろんなく
当日窓口でチケットを買う方式です。
12:40上映でしたが12:10に着いてしまいましたが
入場できました。
一応200人以上収容できますが、
その人数に比例した大きさのスクリーンではありません。
客席は傾斜もなく、縦に長い形で
後ろの方に座っていたら映画館に来た意味がない位、
観にくそうです。
自分は前から5列目に座りましたが
それでもスクリーン小さいなぁって感じるほどでしたが
これ以上前の列だと、首を上に持ち上げないとならないので疲れそうです。
特筆すべきは椅子で、
シネコンのようなプラスチック製の簡素なものではなく
会社で重役さんが座るようなしっかりとしたフカフカな椅子で
座り心地よく上映するまでしばらく居眠りしてしまいました。
あらすじ
自らが生み出したウイルスによって、
人類の90パーセントが死滅した2020年代の地球。
サンフランシスコでは、かろうじて生存している人類と
驚異的な遺伝子進化を遂げた猿たちのコミュニティーが
ゴールデンゲートブリッジを挟んで存在していた。
人類のコミュニティーでは、衰退を食い止めるためにも、
猿たちと対話すべきだとする者、
再び人類が地球を支配するべきだとする者たちが、
それぞれの考えに従って動き出す。
一方、猿たちを率いるシーザー(アンディ・サーキス)は、
人類と接触しようとせずに文明を構築していた。
猿と人間の戦いだということは行く前から分かっていて
実際そうなんですけど
色々考えさせられることがありました。
戦争って、ある一部の好戦的な人(猿)が起こしていて
その人がある種の力、能力を持っていたら
それを避けるのはほぼ不可能なんだろう、ということです。
戦争を「起こした」人を罰することはできても
「起こそうとしている」人を罰するのは容易ではありません。
しかもその人も絶対的な悪というわけじゃなく
初めの概念では、自分の仲間たちを守る為であったりとか
闘いという形を望んでいなかったとか
そちらにはそちらの理念もあったりして
理屈通りの一筋縄ではいかないものです。
人間側も猿側も、仲間割れしまくります。
本質的に、それぞれ相手との戦いというより、
身内との戦いの方が比重が高くなる皮肉な結果となっています。
「分かり合う」っていうのは非常に困難な行動で
例えば一生を誓い合った夫婦でも4分の1は離婚する位です。
そう考えたら家族、同僚、同級生、友達位の関係で
完全に信頼しきるというのは不可能に思えます。
劇中ではコバという人間にひどい目に遭った猿が戦争を仕掛け
リーダーのシーザーと反目しあう関係になってしまうのですが
もしシーザーとコバの過去の境遇が逆だったら
シーザーが反逆の立場に立っていてもおかしくないわけで
周りの環境から受ける影響というのは計り知れないものがあります。
先日、すごく性格のいい人に出会いまして
こういう人に会うのは久しぶりで
ここ数年、荒んでいた心が多少和らいだ気がしました。
「朱に交われば赤くなる」とはよく言ったもので
良くない人たちに囲まれれば悪くなるし
いい人に接すれば良くなる、
そんなことも感じました。