ツルミンのコンサートの後記事も掲載されて、落ち着いたところで・友人としてツルミンではなく、作曲家としての鶴見幸代について語ってみようと思います。
コンサートにいらした方は、「相撲と音楽を融合させた試み」としての鶴見作品が、日本語のタイトルとはほど遠い、土臭くない、オシャレな感じで驚かれたと思います。
私もツルミンの講釈を聞くまでは:「スティーヴ・ライヒのカワイイ感じ」と思ったり、他の曲でも「ツルミンの特徴は、やっぱ『カワイイ』なんだな」と思っていました。
今でも「カワイイ系現代音楽」とは思うんですが、この度、初めて鶴見作品でステージに上がって色んな楽器とのアンサンブルをして、「とても日本的だ」と感じたことがあるので、例によって・自分のために・書き留めておきます。
ツルミンも熱演した鍵盤ハーモニカは、西洋音楽のクラシックという土壌では、地位の低い楽器です。
というと:「楽器に地位とかランクなんてものがあるの」と思われるかもしれませんが、邦楽でもこれは厳然とあるもので、例えば三味線は芸者が弾く楽器であるとか、雅楽の楽器群はステータスが高いとかあるわけです。三味線と一緒には決してやらないですよ。
アメリカ在住の華僑のピアニスト、マーガレット・レン・タンが広めたトイ・ピアノも、その高額な委嘱料にも関わらず、トイ・ピアノのための作曲を拒否した作曲家が何人もいました。
アカデミック系(ミルトン・バビット、エリオット・カーターなど)ではない、ダウンタウン・コンポーザーと言われるジョン・ゾーン、スコット・ジョンソンも「トイ・ピアノ ハッ」という反応だったのを覚えています。
「ジョン・ケージはトイ・ピアノの曲を書いてるのに、ジョンもスコットも実はアカデミック志向なんだな〜」と驚いた内心を悟られないように苦心した覚えがアル
ジョン・ゾーンは何曲かオーケストラの曲も書いてますが、「ジョンもスコットもオペラとか書いてみたいのかな?まさかね・・」とも思ったことも悟られないようにしてました笑
でもフツーに聞いたら:「もちろんオペラならやりたいよ。ベルカントの歌手かどうかはともかく」とはフツーに答えたような気も今ならする。
西洋はアメリカも含めて、なんだかんだ言っても厳然としたクラス社会で、それは日本における邦楽の世界のようにクラシック音楽にも適用されているわけです。
スコット・ジョンソンはエレキ・ギターをクラシックのアンサンブルに取り入れた「革新的」な作曲家ではあるんですが、エレキ・ギターはロックの世界では確立された地位の楽器であり、クラシックとのコラボレーションは「ボーダーレスな作品」として成立し得るという美意識の元に作られた実験的かつ革新的な音楽と評価されました。
それでもスコットの後に続く作曲家がそう多くないのは、やはりクラシック音楽としては異色すぎるし、邪道感もあるためでしょう。それにクラシックを勉強する人はエレキギターの電子音にはアレルギーすらあることもあるのでね。
もし、スコット・ジョンソンとかジョン・ゾーンに「鍵盤ハーモニカの曲を作って欲しい」と頼んだら、作るだろうか絶対・受けないだろうなーと思うわけです。ヨーロッパの作曲家は言うに及ばず。
ツルミンはバック・グラウンド的には東京芸大で、ジョンやスコットよりずっと正統派アカデミック、なんと言っても小学2年生から音大で使う和声本にママが「ふりがな」をルビして勉強したという英才教育の作曲家。
そのツルミンが「面白がって」鍵ハモでけっこー難しい曲を作ってしまったり、オーケストラの楽器でのアンサンブルに鍵ハモやら三線を使うということが、「みんな一緒。中(流)の上」的、とても日本的リベラルというか平等意識が反映されていて、音楽自体はオシャレでレベルが高いながら、西洋では絶対にありえないアナーキーさ(←西洋から見て)が、カワイイ感じでまとまった『サザエさんバンド』のようなクール・ジャパンを体現してたと思います。『サザエさん』をフランス語の吹き替えで観てるような感覚もアル:笑
余談ですが:武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』は、色モノというか笑、全然・オケと琵琶が融合していないのでパンクというか笑、ともかく話題作りのような曲に私には思えて。何度も再演して繰り返して聞くようなクオリティとは思えないんです。他の武満作品はピアノ曲はもちろん、ほとんど好きなんですけどね。
ジョン・ケージの「4分44秒」が現代音楽というよりはコンセプチュアル・アートというのと一緒な感覚。4分44秒もPetersから出版されてるんですよ 。そのこと自体もアート行為だなぁと思う。沖縄のギャラリー、Arts Tropicalに置いてあって、「やっぱりケージのコレは現代アートなんだよね」と思った。音楽家はあの楽譜は買わないですよ
あ〜 アタシもやっぱオタクだなー・・と思う
まあ、女で・現代音楽なんて弾いてるようなヤツがオタクじゃないわけないけどさ
こちらは去年の「人工知能展覧会」オープニング・コンサートの平石博一作品を、ご本人の指揮で弾いてる本番ちう。衣裳はかなーり人工知能を意識してますよ
平石さんも、ものすごく日本的、もうジャポネスクと言っていい作曲家。ツルミンとは世代も違うし、バック・グラウンドも違う(平石さんはポップス出身)けど、「日本的」「日本人らしさ」という点では作風を越えた共通点を感じる。平石さんも鍵ハモ・アンサンブルの曲とか作ってるし。それはまあ頼まれたからにせよ、「鍵盤ハーモニカはプロの楽器ではない」という意識はツルミンよりあっても、どんな楽器でも自分の音楽ならステキなはず、という自信だったんだろうな〜
日本でトイ・ピアノを弾く現代音楽のピアニストがいるのも、あまり「楽器の格式」とか意識してないからでしょうね。「面白けりゃいーじゃん」というリベラル思想。着物とかはキッチリ、格式通りに着付けてもね。ガイジンだとガウンみたく着たり火鉢を植木鉢にするような感覚。仏壇をTVキャビネットにしたり
ツルミンはネオ・ジャポネスクなのかな?
お二人とも作曲家のせいか、基本・内省的でもの静かではある。まあそれは別に日本人だからじゃなくて世界中の作曲家に共通する気質。平石さんはこの時(去年のコンサート)以外は指揮もしないし。指揮をする作曲家というのは、性格も悪かったりするんだよね 指揮者って政治家みたいなものだから。自分は音を出さないで、他人にあーしろこーしろとか言うんだからね。
久しぶりに(1年ぶりに)日本ぽいなー と思ったのでした。クール・ジャパン