しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

本土旅(その1)18号を押さえつけて

2024-10-11 14:47:24 | 旅先

先週のエースナンバーの台風クラトーン。

台湾南岸で停滞したうえ南北に迷走し、結局その場で命を絶ったという前代未聞のならず者。

その行方を心配しながら、下地島空港から直行便にて本土上陸。

その目的の謎を解き明かしながらお伝えする2024本土旅の一席。

さてはじめはというと

       

何やら駅前広場の光景。工事中のご様子。高架駅でやたら細長い形状と高架部の壁はいかにも新幹線のお通りだというふぜい。

工事の為、据えられていたモニュメントが左のブルシートのそばの駅舎側に移設されておりました。

       

そういわずと知れた桃太郎君。

今回の工事は、駅舎とは交差点を隔てて位置していた岡山電気軌道駅前電停を広場内に引き込み、利用者の利便性向上を図るという目的で広場内のレイアウト変更を行うというもの。

従前の東口(新幹線口)駅前広場は、山陽新幹線新大阪~岡山間が供用した1972年には仮設状態で、何となくバスやタクシーや自家用車が乗入れていたもので1980年代に入り、岡電の駅前広場乗り入れがいわれはじめましたが整備には至らなく紆余曲折を経てようやく実現の運びとなったということだそうです。

なんでこのようにぐちゃぐちゃと言っているかというと、実は1985年から1986年にかけて岡山駅東西の駅前広場計画に携わっていたことがあったのです。当時は西口広場も小さく、西口駅舎は映画「鉄道員(ぽっぽや)」に出てくるような代物。

たしか、鉄道を超えて最短で東西を行き来したければ入場券を購入していたような。

現在は東西の自由通路整備のみならず、カバヤ食品の工場がイオンに変わり、西口の再開発で大きな変化を遂げておりました。驚愕の西口変貌ぶり。

当時から変わっていないのは東口駅前の「髙島屋」、東西を結んでいるはずなのになぜか岡山駅は南北に。

そういえば広島駅も多少南北に傾いていましたなぁ。

私も入社13~14年とやる気満々のころ。40年近く昔のことであります。

というわけで第1話は岡山駅駅前広場でございました。

この旅、岡山を起点としてどこへ向かうのでしょうか。

はたして北なのか南なのか。


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