ヒデ坊!の?つれづれ道草(´ω`;)

memories & ... そこはかとなく書きつくれば

三陸海岸被災地④両石地区

2011年04月26日 | 東日本大震災


三陸海岸では、もれなく総ての浜が津波に襲われています。
名も無いような、この小さな浜にも津波が押し寄せて、高台にある地元の厳島神社の境内真近にまで迫ったようです。
テレビやマスコミに取り上げられず、アクセス道路も寸断されて、やっと仮設道路が通って、地元の人たちが、流された漁業用網やガレキの撤去を、見るところ2台だけのの重機で作業していました。
そしてここにあった葬祭場はかろうじて残ってしまった?ので、近隣から連日悲しい別れを送らざるを得ない方々がひっそり集まっているようです。
山側を通るJR山田線の鉄橋は、かなり高い場所を通っていたので残っていました。

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三陸海岸被災地③大槌町

2011年04月26日 | 東日本大震災


大槌町は、私の父の戦友が復員後亡くなるまで暮らした町です。
小さい頃には、送ってくれる海産物を通じて交流がありました。
国道から入ってすぐの市街地は火災が発生したらしく、燃え尽きていました。
その先はガレキに埋もれ跡形も無く、JR山田線は高架のコンクリート製橋脚が倒れ、線路は無残に湾曲切断されています。
さらにその先には高さ5m位の防潮堤を越えて、鉄骨2階建ての民宿の上に乗っかってしまった大きな観光船が見えます。
釜石湾の観光船「はまゆり」がその時、大槌の港で点検中だったのでここにいて、流された。
(このモニュメント?を、「つらい悲しい思い出は撤去して欲しい」と言う地元民の声と、原爆ドームのように、あの時「つらい悲しい思い出は撤去して欲しい」声はあったけど残した決意、今「残す!残さない!」の議論が対立しているようです。
今は穏やかになった海の向こうには「ひょっこりひょうたん島」(正式名は宝来島ですが、形があの島にそっくりで)が浮かんでいますが、灯台と鳥居は被災していました。

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三陸海岸被災地②吉里吉里海岸

2011年04月26日 | 東日本大震災


井上ひさしの小説「吉里吉里人」で一気に知名度が上がった地区。
(小説の舞台は東北本線沿線で宮城と岩手の県境にある町なんですけど、それっぽい地名が無いもんで)
この地区は大槌市内でも小さな浜に面した集落ですが、ほぼ壊滅状態で行方不明者も含めて甚大な被害を受けました。

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三陸海岸被災地①浪板海岸

2011年04月26日 | 東日本大震災


20年ぐらい前に、わが家族、妹家族、それに両親の計10人でこの浪板海岸に海水浴に行った、思い出の地。
波打ち際から遠浅の海に続く砂浜が、削られたみたいに消失していた。
浜辺の松の木も多数折れて消失していて、国道45号線をまたいで山側にあった住宅、建物もガレキ化していた。
海水浴場では無くったら、人も来ない只の海岸線になってしまうのか。
国道45号線から波打ち際の砂浜に降りていく入り口に今も建つホテルも被災しており、復旧した後も変わらずお客さんが来てくれるといいなと思っています。

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いとこの温泉宿・震災後

2011年04月20日 | 東日本大震災


内陸部で地震の被害が無かった地域に、東日本大震災で被災した沿岸部の方が一時避難していて、いとこの温泉宿にも30人ほど宿泊している。
近くの温泉宿も受け入れていて、それぞれ分散して避難生活を送っている。
他にふるさと体験館や雇用促進住宅等にも入っていて、日ごと増加傾向にあるようだ。
とりあえずは個室が確保され、食事が出来、風呂にも入れるので多少は気がまぎれるとは思いますけど、現地に建てられる予定の仮設住宅に当選するまでは帰れないようなので、いつになるのか見通しが立たないとの事だ。
悲しいけれど、がんばれ岩手!

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