赤穂義士討ち入り後の経路を辿ってみたいとチャレンジしてみました(旧暦12/14は今年の1/28)。
両国3丁目にある「吉良上野介屋敷跡」(本所松坂町公園)から、回向院の脇を通って南下、永代橋を渡って鉄砲州の聖路加病院(ここに浅野内匠頭上屋敷があった)を通り、築地本願寺の脇から歌舞伎座前を通って銀座4丁目から南下、途中新橋4丁目にあった田村右京大夫上屋敷跡(ここで浅野内匠頭が切腹、余談ですが近所の和菓子屋さんで切腹最中なるお菓子を売っているらしい)をチェックして、金杉橋を渡って浅野家の菩提寺「泉岳寺」まで約11㎞を、時々脇道に逸れつつ5時間かかって歩き通しましたが、ややヘタリましたね。
赤穂義士は2時間ぐらいで歩いたらしいですが、現代人は脇目も振らずに歩いても3時間はかかるんではないでしょうか。
堀部弥兵衛さんは77才で、たしか鎖帷子を着けて刀を差していたはず、昔の人は超健脚だったんですね。