さあ 今日はテレビでちなつさんが見られるわよ~
朝刊のテレビ欄を見たら・・・
無いぢゃん・・・ 番組
さっそくテレビ東京の番組表を検索
世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~
2015年10月26日(月) 21時00分~21時54分
来週のようです
さあ 今日はテレビでちなつさんが見られるわよ~
朝刊のテレビ欄を見たら・・・
無いぢゃん・・・ 番組
さっそくテレビ東京の番組表を検索
世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~
2015年10月26日(月) 21時00分~21時54分
来週のようです
楽しかった旅も終わり・・・ドゥブロヴニクともお別れ
こんな所にも大型客船停泊
ドゥブロヴニクの空港→ヘルシンキ→日本へ
観光している時
ちなつさんはたくさんのガイド仲間やドライバーと会う
みんな満面の笑顔でちなつさんを迎え入れ、ハグする
最初は(顔が広いんだなぁ)と思っていたが
徐々に、(みんなに可愛がられ、愛されているんだなぁ)
そして、そのたびに我が子がみんなに愛されているような・・・誇らしい気持ちになり・・・
そして異国の地で生きている、日本人女性のたくましさに感動すら覚えた
今回の旅でたまたま出会ったちなつさん
彼女のおかげで数倍にも素晴らしい旅になった気がする
ちなつさんがどんな女性か気になりませんか?
こちらの ブログ を訪問してみてください
スロヴェニア・クロアチアの魅力も満載ですよ
そして、10月19日 テレビ東京の「世界なぜそこに日本人」?だったかな に出るんだって!
でも番組上では専業主婦・・・らしい
興味のある方はこちらもどうぞ!
まだまだこんな素敵な出会いがあるんだから、またどこかに行かなくっちゃ
=完=
予定では、観光後 15:30~18:00はフリータイムだった
でも
(この暑さの中1日観光し、その後旧市街で2時間半も・・・みなさん体力的に大丈夫かな?)
ちなつさんはそう思ったそうだ
一度ホテルに戻ればいいのだが、旅程には無い事で
それでも戻るとなるとバスの駐車場代等が別途掛かる事になる
そこでちなつさん、エージェントに「ホテルに戻らないと、この暑さでは命に関わります!」と 交渉
そのおかげで無料でホテルに戻れ、一休み出来たのだ
ちなつさん、ありがとう!
おかげでみんな元気 夕方から観光再開~
ケーブルカーでスルジ山へ
ドゥブロヴニクは過去に何度も大きな被害を被った
その最も甚大な被害は1667年の大地震の時で、街の中心プラッツァ通り沿いにある建物で
残ったのはスポンザ宮殿のみ、それ以外は瓦礫と化したほどだったという
また1991年のユーゴ連邦軍による攻撃も悲劇的な出来事で
「危機にさらされている世界遺産リスト」に載るほどの破壊だった
ピレ門近くにあった看板
黒いマークは爆撃の場所
よくぞここまで修復してくださいました
反対側は荒野な感じ
最後は旧市街に戻り、城壁の上を歩きま~す
瓦の色が違うのは爆撃後の修復跡だそう
手前の古い瓦は・・・爆撃されず無事だったってことね
プロチェ門 横のレストランで最後の晩餐
サラダ
イカのグリル
柔らかくて美味しかった~
デザート・プリン
=7日目=
部屋からの眺め
7:00朝食
9:30 出発
ボカール要塞横、ピレ門から旧市街へ
オノフリオの大噴水
今でも飲めるんだって
今日も暑い
外敵から守るために14世紀に現在の場所に移された
フランシスコ会修道院
修道院内にはヨーロッパで3番目に古いマラ・ブラーチャ薬局がある
ここでローズウォーターを買いたかったのに、この日は日曜日でお休み・・・残念~
ならば・・・1・2番は?
そういえば、古い薬局ザグレブに1軒あった~!あと1軒はどこだ???
プラッツァ通り
なるべく日陰を歩きましょう
グルージュ港に何艘も大型客船が接岸してたけど、今日はまだ空いている方だとか・・・
大型客船の方々は、胸に番号のワッペンを張っているからすぐわかる
奥様は介護のために不参加・・・という男性参加者Kさん
「妻にバッグを買って帰りたい」とおっしゃる
「奥様はお悦びでしょうね、いつも買っていった物は気にいってくれるんですね」
「いやぁ・・・なにこれ!・・・といつも言われてます」
それでも旅行中に3バッグお買い上げ~
なんと奥様思いな!
でも私は、思われるより自分で買いたい
聖ヴラホ教会
聖ヴラホはドゥブロヴニクの守護聖人
聖母被昇天大聖堂
聖堂内の宝物殿にはドゥブロヴニクが中世に貿易都市として繁栄していた当時を回想させる
財宝の数々が保存されている
残念ながら は
それはそれは素晴らしい財宝でした
でも中世の人々はその存在をご存じだったのか・・・
この頃、教会の財宝を見るたびに思う・・・
右は総督邸
正面はスルジ山 、あとで 登りましょう
セルビア正教会
ランチは・・・テラス席かぁ
タコサラダ
シーフードピザ(ハーフサイズ)
ハーフサイズでもおなかいっぱい!
デザート・レモンアイス
徒歩で船着き場へ
遊覧船でショートクルーズ
アドリア海から城壁・旧市街を望む
私?
船酔い?
するする~
みんなは「 揺れない から大丈夫だよ 」って言うけど・・・
船酔いで半日もいやだし
お昼にビール飲んじゃったし
クルーズ辞退しま~す
1時間 一人街歩き~
高速道路でボスニア・ヘルツェゴビナ/ モスタルへ向かう
青く見える所が国境
ボスニア側では「袖の下」を要求される事があるとか
クロアチアとはまるで違う空気感
ブドウ畑
車も古め
バスから降りると・・・
暑っつ~~い
なんだ~この暑さ! 肌に刺すような暑さだ~
バスの温度計では38℃だったけど・・・40℃はありそう
ネレドヴァ川添いのレストランでランチ
・・・あ~室内でよかった~
伝統的ボスニア風パイ 味はいいんだけど・・・ちょっと硬かった
レピニャ(自家製ブレッド) チェヴァプチチ(焼挽肉ケバブ)
レピニャに挟んで食べると
バクラヴァ(ペーストリーのシロップ漬け)
では観光しましょ とはいうものの
この地域で激しい銃撃戦があったと思うと・・・なんとなく肩に力が入っちゃう
それにしても人が多い
土産物もすっかり オリエンタル~
この橋がスターリ・モスト
水着の男性が橋の上からダイブするという。その手にはかご。
「50クーネ出せばダイブするよ」「今40クーネ貯まっているからあと10クーネ出す人はいないか~」
と言ってるとちなつさん
モスタルはネレトヴァ川が中央を流れ、その両側を美しいアーチを描いた石橋によって繋がれている町
この橋は紛争中の1993年に破壊されたが、ユネスコの協力で2004年に再建、世界遺産登録された
アングルを変えると丸いアーチと高さが良く分かるでしょ
橋を渡るだけでまた雰囲気が違う
町は川を挟んで東側はムスリム人、西側はクロアチア人と住み分けがされていて、互いの往来はほとんどないそうだ
なんとも複雑な・・・難しいなぁ
建物の修復はだいぶ進んでいるとはいうものの・・・
気持ちも重いけど・・・ここでは暑さとの戦い
ドブロヴニクへ移動 (140km)
来る時に通った国境が混んでいるとの情報があり、ちなつさんからの提案
「高速を通らずに、もう一つある小さな国境へ行ってみるのはどうでしょう?」
ってことで
小さな街を通りながら地元御用達の国境へ
空きすきでした~
クロアチア入国
この辺りはミカン畑
甘くて美味しいらしいよ
それもそのはず、日本の温州ミカン 美味しいに決まってる
水路で運搬するんだって!
ドゥブロヴニクは飛び地だってご存じ ?
私は来るまで知りませんでしたけど
だから今日は
クロアチア→ボスニアヘルツェ・ゴビナ→クロアチア(今はここ)→ボスニアヘルツェ・ゴビナ→クロアチア
その都度イミグレーションがあり、ドライバーがバスを降り手続きをするのだ
だからドゥブロヴニクへ向かう最後のクロアチア出入国は海沿いの一本道
ベストシーズンは混雑して大変だとか
さあ最後の訪問地 ドゥブロヴニクに近づいてきた~
ホテルはこの半島の先っぽ
大型客船やクルーザーがいっぱいのグルージュ港
最後のホテル 2連泊
この旅初めてのアメニティグッズ
夕飯はホテルのレストランでビュッフェ
= 6日目 =
部屋からの眺め
ホテルに到着し、カーテンを開けたら通行人が あ~びっくりした!
奥はクロアチアの代表的なスーパー 「KONZUM」
朝食 7:00
出発 8:00
スプリットはアドリア海沿岸最大の港町
ローマ皇帝ディオクレティアヌス が引退後に住んだ宮殿 がある
その城壁
ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿が、そのまま旧市街になったという珍しい起源を持つ街
ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙してこの地に入り込んできたのが7世紀の事
近郊のサロナから追われた人々が、頑強な城壁に囲まれている宮殿内に避難してきた
今の難民問題と同じような・・・歴史は繰り返すのか・・・
昔は城壁まで海だった・・・の図 立派だったのねぇ
魚市場を通り
ここも迷路みたい
人々は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から建物を増築する形で街を築いていった
宮殿の地下に入っていく
宮殿の上部と同じ作りになっていて、中世には倉庫やワイン・オリーブオイル造りなどがされていたが
都市化が進むにつれ、ゴミ捨て場として使われるようになった
石積みは3世紀頃のまま
地下もブレブレだった
大聖堂前は大混雑
大聖堂
洗礼盤
天井
円形の広場
アカペラの男性コーラスのパフォーマンス
素晴らしい歌声だったけど、終了後はCD販売よ
生活臭プンプンの世界遺産の宮殿
今でもたくさんの住人がいます
「高い所登り隊」出動
赤い屋根と白い壁がきれい~
モスタルへ移動(165km)
モンサンミッシェルに似てる~ ・・・って行ったこと無いけどね
トゥロギール到着
市場を通り
トゥロギールは城壁に囲まれた小さな島
橋を渡り北門から城壁内に入る
迷路のような石畳を進むと、
もう島の反対側に到着
向こうに見えるはチオヴォ島 (大きさはこちらの方が断然大きい)
本当に小さい島だね~
実は、敵の侵略に備えて水路を作って島にしたんだって
さっき橋を渡ったけど、それが水路・・・というわけね
岸壁沿いに進み
南門からもう一度城壁内へ
それにしても細い道
でもいい雰囲気
そしてゴミが無くきれい
世界遺産・聖ロヴロ大聖堂
13~17世紀に建築され、ロマネスク様式とゴシック様式が調和している
主祭壇
両脇の聖歌隊席・・・以前は金箔で覆われていたそうだ
天井のレリーフ
ん?真ん中注目~
写真をズームアップ!
そして天地にしてみると・・・
聖人だって
「高い所登り隊」5名出動
この中のIさん(夫)は現在ある病の治療中
6月に転移判明、余命半年~3年と言われている
毎朝食時「おはようございます」の後の
「今日も生きています」 に
「当たり前でっす!」
と言いつつもちょっとそわそわ・・・
しかし、ジムで体も鍛え元気なので、登り隊 隊長任命
がんばれ隊長!負けるな隊長!
チオヴォ島側
残りのメンバーは時計台の下のあたりで
こっち見て手なんか振ってるよ
反対側
シベニクもトゥロギールも城壁に囲まれた小さな街
小さいけど風格のある、素敵な街だったなぁ
でもちょっと暑くて、 も少なかったね
スプリットへ移動(約30km)
今日のホテル
なんともニトリちっくな・・・
一休みして海沿いのレストランへ
二色のサラダ
手作りニョッキとパスティツァーダ(牛肉の煮込み)
デザート・ワイルドベリー添えパンナコッタ
= 5日目 =
部屋からの眺め 空気もひんやり 気持ちいい
朝食6:30
出発8:00
シベニクへ(約200km 3時間)
牧草地帯を進むと連峰が見えてきた
あの山の向こうに行くみたい
山を越えると風景も気候も変わる
大陸性気候から地中海気候へ
アドリア海が見えてきた~
ここは深く入り込んだ入江
日本のアブラゼミは「ミ~ンミ~ン」
この辺りのセミは「ミン!ミン!ミン!」
大きさも小指半分 で 小さい
セミじゃなくて背景にピントが合っちゃった
シベニクはアドリア海のほぼ真ん中に位置し、クルカ川の河口に開けた歴史の古い街
暑っいわ~ さすが地中海気候
クルーザーのガソリン(?)スタンド
旧市街の細い道を進み
大聖堂に面しているレプブリカ広場
大聖堂 北側入口
この大聖堂は完成までに100年以上掛かり
その間にゴシック様式→ルネッサンス様式と変化している珍しい聖堂
第二次世界大戦では爆撃を受け、甚大な被害を被った
その修復の際に、この大聖堂の建築技術の高さが再認識された
大聖堂の周囲には顔の彫刻
総勢71人!
正面
内部は改修中
木材やレンガなどは使わず、石材だけで出来ている
バラ窓と回廊
洗礼室 天井の素晴らしい彫刻
洗礼室全体の はうまく撮れず・・・
夫が指さし「つっつんみたい」と言ったのは、
洗礼台を支えている肉厚男児
あ~昨日までの涼しさが懐かしい~~
日差しが痛い~
犬用の水飲み場だって
迷路のような細い道を
今日のランチは
ツナのパテ
ワインに合いそうだけど・・・暑さのため「私ビール!」
だって席は屋外なんだもん
ブロデット(クロアチア風魚のシチュウー)
ポレンタ(コーンミール添え) これは珍しくだったね
デザートはアイスクリーム
トロギールへ移動 (約65km)
大小16の湖と92か所の滝を持つ
ユネスコ世界遺産 『 プリトヴィッツェ湖群国立公園 』
標高約640m~約500mまでの16の湖を階段状の滝が結んでいる
朝の が嘘のよう!
整備された坂をどんどん下ります
人がいっぱい。登ってくる人もいるのでよそ見をしてたら危な~い
落差78m 園内最大の滝
この滝まで来たら、少しづつ登って行く
のおかげで、きれいなブルー
じゃこの色は出ないんじゃな~い?
魚もいっぱい!
子供が石を投げたら餌だと思い寄ってきた
とにかく、前に歩いている人と同じスピードで
木道を進む
45分~1時間くらい歩き、船着き場に到着
ここも大混雑
30分ほど待ち、遊覧船に乗って対岸へ渡る
船が動き出し・・・
前列に座っている7~8人が手拍子をしながら歌いだした
あら?楽しそう
一瞬・・・そう思ったけど・・・
どこの国の人が、どんな歌詞を、どんな思いで歌っているのか・・・不安な気持ち
スマホで動画も撮り出すし
結局対岸につくまで歌い続けたが、それに乗ったのは上半身裸ん坊の青年4人だけ
単純には楽しめないよねぇ
今日のホテル
ガイドブックにはプリトヴィッツェで一番高級なホテル
期待したけど・・・
あくまでもプリトヴィッツェでは!だからね
狭いよ
夕食はホテルのレストランで
昔の広い社員食堂みたい
サラダがあり
白身魚のフィレ・パリジェンヌ風 サクサク~
茹でジャガイモとフダンソウの付け合わせ
デザート
アイスはいつでも美味しいね!
このホテル、橋〇寿〇子さんと〇ピ〇子さんも宿泊されたそうで
その際、「あの入口のはく製が気持ち悪い?怖い?から動かしてほしい」と
ホテル側は動かせないからと滞在中シーツを掛けて対応した・・・らしい
はい、そのはく製がこちら
↓
話の真偽のほどはともかく・・・
さすがです、〇ン子さん
=4日目=
部屋からの眺め
朝早いのに、もうテニスしている人がいる~
9:00ホテル出発・・・だけどやっぱり6:00から朝食を食べちゃう
レストランは薄暗く、品数も少な目
ハンドボール?バスケ?ヨーロッパチャンピオンズリーグのイスラエル選手も宿泊
背が高くて超イケメ~ン
食後のお散歩へ
小さなパン屋さんが何軒もあり、焼き立てパンのいい香り~
みな車で買いに来ている
郵便ポストは黄色
プリトヴィッツェ湖畔国立公園へ
当初の予定では、観光後16:30ホテル着 16:30~19:00自由時間
自由時間といっても、ホテルの周りには何もないので
「午前中にもう少しザグレブ観光をプラスしてはどうか」とちなつさんから提案。もちろんドライバーも
相談の結果、プリトヴィッツェ湖畔国立公園では結構歩くので、体力温存を選択
それで、高速道路ではなく一般道を走り、野外戦争博物館に寄ることに
微調整が出来るのはありがたい
野外戦争博物館(無料)
博物館といっても広場に戦車などが陳列してある
この辺りは激戦地だったとか
廃屋も多く、ちなつさんによると
「殺されたか逃げたか・・・あの家々にはセルビア人が住んでいました」
「土地登記はまだセルビア人のままなので建て替える事も出来ず、廃屋のままで・・・過疎化が進むんです」
朝の車内での注意
「まだまだ心に傷が残っている人々がたくさんいます。地元の人にむやみに戦争の話をしたり、"セルビア"と言わないでください」
この 内戦で 2万人の死者が出て
クロアチア国内には今でも地雷が埋まっている場所があるそうだ
(ここ数日、シリア難民がクロアチアルートを移動中と新聞記事にあるが、大丈夫だろうか)
どんよりした空が、気持ちを余計に重くする
紛争の爪痕を見て、日本の平和のありがたさをしみじみと感じる
しかし、 今の日本はどこへ向かっているのか
どんな理由であれ、戦争をしてはいけない!
人間同士殺し合うなんてしちゃいけない!
国道沿いのレストランで昼食
(追加)
ロシア風サラダ
ポテトサラダの様でちょっと違う
でもとても美味しくて、完食
豚肉とジャガイモのペカ(鉄鍋蒸し焼き)
皮はパリパリ身はジューシー
ジャガイモもエキスを吸っていいお味
レモンのアイスクリーム
そうそう我らのかわいい "緑のバス" も紹介しなくちゃね
"緑のバス"ではなく"緑のホイールのバス"・・・だけどね
ここに10人+ちなつさん
風景や日差しによって左右の席に移動
座席使いたい放題
ちなつさんは2000年に交換留学生でスロヴェニアに来たそうだ
でも、その頃ラフティングに夢中になっていたちなつさん
ラフティングの世界チャンピオンがスロヴェニアにいたから来たのがホントのところ・・・だそうで
その後、スロヴェニア人と結婚し、今では2児(2歳半・5カ月の男児)の母
ち「仕事中は同じアパートに住んでいる義母が、子供達の面倒を見てくれています」
お義母さんのおかげで、私達はちなつさんとこんなに楽しい旅をさせてもらっています
私達からも・・・・ ファーラ ありがとう
「もう少しするとコウノトリの巣が見えます。もう少しですよ~はいこの木の上~」
「実は以前、大好きなピーマンの肉詰めでおなかを壊し、大変な目にあいました」
「はい~左側~そのお店で~す」
ちなつさんの楽しい話 はつづく