リバーエンド・カフェ 1巻
漫画、たなか亜希夫
石巻の震災から数年後のお話。
とても不思議で、傷を癒したい人たちの物語。
(何度も書き直して言葉を探したけど
語彙力なくてニュアンスが伝えきれない…)
主人公の入江サキはイジメを受けてる高2。
タチの悪い嘘を流され花火大会の日に
男たちに襲われそうになり、
謎の男に助けられる。
夜にうなされてベランダに出たら
中瀬にポツンと灯りがあり気になる。
次の日行ってみたら謎の男と再開し
色々と手伝わされ、そこが
“リバーエンド・カフェ” という店だわかる。
日当だと出されたコーヒーを飲み
不思議な感覚を味わったが、マスターには
「苦い けど眺めはいい」と答える。
学校でイジメが始まったのは、サキが
復興のために描かれた『絆』の文字をみて
「絆の文字嫌い この文字を見ると
心も身体もすくんでしまう。
何本ものロープで繋がれて牛や馬が
苦しい働きを強いられてる感じがする」
と言ってしまったことが、瞬く間に拡散され
それから4年半ずっとイジメを受けている。
サキは仕方ない、あと1年半と言い聞かせるが
泣きながらリバーエンドカフェに向かい
マスターに泣き顔に爆笑されるが
話を聞いてもらい、
そのイメージは合っていると言われる。
カフェに来ていたおじいさんが
高橋英吉という彫刻家の未発表作が
津波に流されたから探しているという。
もう見つからないだろうというサキを連れて
マスターは謎のお姐さんのとこに。
彼女は
「私の占いはほとんどがデタラメだと言われる
けど…でもね たま〜に本当に見えるんだ」
という。
御礼の1万円を払い、
「今なら奇跡の大霊水1本1万円」に対しては
素気なく「また今度」とかわすマスター。
そのお姐さんの言った場所に行くと
本当に菩薩像が見つかる。
おじいさんに返すが
サキはそれは高橋英吉の作品ではないのではと
聞くと、おじいさんはバツが悪そうに
自分の作品だという。
そして、この菩薩像の中には女優の高宮セツの
ブルーフィルムが隠してあった。
夜にそれをマスターと一緒に見るおじいさん。
(サキは誘われたけど断る)
「高宮セツまさに菩薩様ありがたやー
これでもう思い残すことはない」
と涙するおじいさんなのでした。
(マスターはブルーフィルムに大興奮)
気がつくとリバーエンドカフェに足が向いてて
気に入ってるのかと愕然とするサキ。
しかし橋の上で意識が朦朧となり
飛び込もうとして、気がついたらカフェに。
助けてくれたのは他校の3年生佐々木亮太だと
マスターに教えてもらう。
イケメンで照れてるとマスターに気づかれて
マスターはリョータに
「こいつ友達いないから かまってやって」
と言われて「ボクでよければ」と
連絡先を交換できる。
浮かれるサキだが、リョータはマスターに
『蛇沼伝説』って知ってるかと聞く。
最近『蛇沼伝説』の続きで
“会いたい人に会える” という噂があるらしい。
リョータは彼女に会いたいのだという。
(ここでサキが意気消沈するけど、
この伝説の雰囲気とこの言い方だと
彼女は…と思うのですが…)
マスターなら詳しい人とか知ってるのではと
いうリョータに、マスターとサキは同時に
謎のお姐さんを思い出す。
3人で訪ねていって聞いてみるが、
『蛇沼伝説』は知ってるが その続きは知らない
という。
それでも行きたいというリョータに、
嫌な予感がするから神社に寄って『影鏡』を
持って行きなさいと言われる。
(お約束の 大霊水は→また今度で(笑))
後日、3人で蛇沼へと向かう。
途中、言われたとおり『影鏡』がある神社へ。
ちょっと借りるだけと神社の影鏡を
みつけたところで、以下次巻。
かなりしんどい内容なハズなのに、
謎のお姐さんやらオカルト話やらで
オブラートに包んで、
マスターの胡散臭さやブルーフィルムやらで
頬を緩ませてもらって、緩急があって
読みやすくしてくれてます。
サキちゃんの震災のPTSDは重そうです。
サキちゃんの絆という言葉への思いはわかる。
本当に辛いことだろうと思う。
でも みんなが一団となって助け合わなきゃと
思っているだろう時に、
中学生という まだまだ精神的に未熟な子供達は
絆という言葉を否定する行為は戦犯ぐらいの
衝撃を感じてサキへ嫌悪を感じてしまう子も
いただろうこともわかる。
だからってイジメちゃいけないけど。
しんどい状況で捌け口を見つけた子どもたちが
最初の理由なんか忘れて行為を続行してしまう
怖さに、サキちゃん頑張ってるなと。
マスターと出会えて良かったね。
ここから、どんどんもっと濃い話も出てくるん
だろうと思われますが、
きっと サキちゃんとマスターと
時々 謎のお姐さんが笑えるようにしてくれると
信じて応援しながら読みたいと思います。
今年の能登半島地震。
東日本大震災から13年。
阪神淡路大震災から29年。
関東大震災から100年。
私が被災したのは阪神淡路大震災。
あの日のことは忘れられないでしょう。
どんどん震災の間隔が短くなり、
日本の色んな場所で起こり、
こんなにも震災が身近で
常に隣り合わせと感じながら生活するように
なるとは思いませんでした。
少しでも安心して安全に少しでも笑顔で
日々を過ごせますよう 心から願っています。