緑の5月
みんな一緒に
日本 復活 !!
GO!GO! NIPPON ! 大和魂を見せる時だ!
東日本大地震の被害に遭われた多くの方々へお見舞いを申しげます。
そして、この災害で天国に召された、たくさんの方々の尊い命へ、
そして動物さん達の純粋な魂へ、心からご冥福をお祈りします。
一日も早く、原発事故の復興復旧がもっともっと進みますよう
これからもずっと、自分でもできる事を続けましょう!
心と気持ち、物の大切さを見直そう!
がんばれニッポン 新幹線全線開通!!
つながるよ! 日本
こんにちは。
今日は母のお誕生日です。
またしてもケーキ作ろうかなと思いながら、
忙しくて【社内まかないクッキング】ができなくて…
(あ、普通ですね…)
何をプレゼントしようかな~~
さてさて、本題です。
昨年の6月に一度母のお姉さん・私の伯母の不思議なお話を書きました。
母の家系は、オネエ曰く
陰陽師・安倍清明の系統で、阿部一族の末裔(まつえい)とか何とか
私は、相変わらず歴史が苦手でして、そう言われてもなと思うのですが
確かに母も不思議な能力がある人でして
私達姉妹の不思議な能力については母の血筋なのかなと思うところもあります。
ご先祖様は、きっとすごかったのでしょうね…
私の家族は、かつて、私の両親、オネエ、父の両親(祖父母)の6人家族でした。
祖父は実業家でしたそうで、私が小学生の夏に亡くなりました。
それから10年に祖母も亡くなったのですが、
granma.「おじいちゃんが亡くなった年齢よりも歳とっちゃって嫌だな…」
なんて言っていました。
祖母は、おしゃれでとってもハイカラな人でした。
明治生まれの女性で、当時の自分の生まれた地元で
「お蚕さん(おかいこさん:養蚕のこと、カイコを飼って絹を取ることを指しています)」
をするのが嫌で
横浜の実業家であった祖父の元へ嫁いできた人。
新しい事に次々チャレンジし行く人。
祖母が60代位だった頃・昭和40年代に、
まだ、「お婆さん」と呼ばれる年代の人は着物を来ていた時代でしたが、
祖母は普通にスカートをはいて、
伊勢佐木町のショッピングモールを闊歩(かっぽ)していた人。
着物が大好きで、反物選びから、帯、小物に至るまでの選び方が
物凄くセンスの良かった人。
お友達が多く、また、そのお友達の面倒見がとっても良くて、
一大事には、ひと肌でも二肌でも脱いで助けにってしまう人。
そして、生きていく上で大切なたくさんの格言を残してくれた人。
最後は、ちょっとボケてしまいましたが、母を慕って
最後の最後まで母を頼っていました。
そんな祖母が亡くなったのが5月10日
亡くなる時に母にこう言っていたそうです。
granma.「おかあちゃん(母の事)は忘れっぽいから…」
それを聴いた母は、
mama 「多分お祖母ちゃんは、私が忘れっぽいから、お祖母ちゃんの命日を忘れないように
私のお誕生日の近くで亡くなったのかな」
祖母はそんなシャレた人でした。
私は、良くその祖母に助けてもらいます。
あ、見えない祖母です。いろんなアドバイスをしてくれます。
生きていた時は、私は祖母に孝行しなかったのに
祖母は、亡くなっても未だに私を助けてくれます。
もちろん私だけでなく、私の家族みんなをいつも助けてくれています。
祖父はそんな祖母の後ろで支えてくれています。
そう言う事を、いつも私は強く感じています。
先日、何気に書いたブログ・5月8日にアップしたブログなのですが、
読み返してみて気付いたのです。
だって、祖母の格言の事が書いてあるじゃないですか。
あら、お祖母ちゃんは、私のブログにも自分の命日を忘れないようにって
登場してくれたのかな?
本当に、なにも気付かないで、祖母の事を書いてしまい、後になって思うのです。
いつもありがとうございます。
生かされている自分に感謝し、守ってくださっているみなさんに感謝です。
さて、今日のところはおしまいにします。
もしかして、今日このブログを書いているのも、また、祖母が
「忘れるなよ~」って遊びに来ているのかもしれません。
何か、大きな節目がまたやってくるような気がします。
みんな一緒に
日本 復活 !!
GO!GO! NIPPON ! 大和魂を見せる時だ!
東日本大地震の被害に遭われた多くの方々へお見舞いを申しげます。
そして、この災害で天国に召された、たくさんの方々の尊い命へ、
そして動物さん達の純粋な魂へ、心からご冥福をお祈りします。
一日も早く、原発事故の復興復旧がもっともっと進みますよう
これからもずっと、自分でもできる事を続けましょう!
心と気持ち、物の大切さを見直そう!
がんばれニッポン 新幹線全線開通!!
つながるよ! 日本
こんにちは。
今日は母のお誕生日です。
またしてもケーキ作ろうかなと思いながら、
忙しくて【社内まかないクッキング】ができなくて…
(あ、普通ですね…)
何をプレゼントしようかな~~
さてさて、本題です。
昨年の6月に一度母のお姉さん・私の伯母の不思議なお話を書きました。
母の家系は、オネエ曰く
陰陽師・安倍清明の系統で、阿部一族の末裔(まつえい)とか何とか
私は、相変わらず歴史が苦手でして、そう言われてもなと思うのですが
確かに母も不思議な能力がある人でして
私達姉妹の不思議な能力については母の血筋なのかなと思うところもあります。
ご先祖様は、きっとすごかったのでしょうね…
私の家族は、かつて、私の両親、オネエ、父の両親(祖父母)の6人家族でした。
祖父は実業家でしたそうで、私が小学生の夏に亡くなりました。
それから10年に祖母も亡くなったのですが、
granma.「おじいちゃんが亡くなった年齢よりも歳とっちゃって嫌だな…」
なんて言っていました。
祖母は、おしゃれでとってもハイカラな人でした。
明治生まれの女性で、当時の自分の生まれた地元で
「お蚕さん(おかいこさん:養蚕のこと、カイコを飼って絹を取ることを指しています)」
をするのが嫌で
横浜の実業家であった祖父の元へ嫁いできた人。
新しい事に次々チャレンジし行く人。
祖母が60代位だった頃・昭和40年代に、
まだ、「お婆さん」と呼ばれる年代の人は着物を来ていた時代でしたが、
祖母は普通にスカートをはいて、
伊勢佐木町のショッピングモールを闊歩(かっぽ)していた人。
着物が大好きで、反物選びから、帯、小物に至るまでの選び方が
物凄くセンスの良かった人。
お友達が多く、また、そのお友達の面倒見がとっても良くて、
一大事には、ひと肌でも二肌でも脱いで助けにってしまう人。
そして、生きていく上で大切なたくさんの格言を残してくれた人。
最後は、ちょっとボケてしまいましたが、母を慕って
最後の最後まで母を頼っていました。
そんな祖母が亡くなったのが5月10日
亡くなる時に母にこう言っていたそうです。
granma.「おかあちゃん(母の事)は忘れっぽいから…」
それを聴いた母は、
mama 「多分お祖母ちゃんは、私が忘れっぽいから、お祖母ちゃんの命日を忘れないように
私のお誕生日の近くで亡くなったのかな」
祖母はそんなシャレた人でした。
私は、良くその祖母に助けてもらいます。
あ、見えない祖母です。いろんなアドバイスをしてくれます。
生きていた時は、私は祖母に孝行しなかったのに
祖母は、亡くなっても未だに私を助けてくれます。
もちろん私だけでなく、私の家族みんなをいつも助けてくれています。
祖父はそんな祖母の後ろで支えてくれています。
そう言う事を、いつも私は強く感じています。
先日、何気に書いたブログ・5月8日にアップしたブログなのですが、
読み返してみて気付いたのです。
だって、祖母の格言の事が書いてあるじゃないですか。
あら、お祖母ちゃんは、私のブログにも自分の命日を忘れないようにって
登場してくれたのかな?
本当に、なにも気付かないで、祖母の事を書いてしまい、後になって思うのです。
いつもありがとうございます。
生かされている自分に感謝し、守ってくださっているみなさんに感謝です。
さて、今日のところはおしまいにします。
もしかして、今日このブログを書いているのも、また、祖母が
「忘れるなよ~」って遊びに来ているのかもしれません。
何か、大きな節目がまたやってくるような気がします。