新1万円札の肖像は渋沢栄一です。
この渋沢栄一にも、当然若くしてまだ頭角を顕わす前の時はありました。
埼玉の農家に生まれた渋沢は、徳川昭武に随行して欧州各国を回り、先進的な社会・経済の仕組みに感銘を受けたらしい。
明治維新後は旧大蔵省の役人になりますので、まあ優秀な人材だったのでしょう。
そこで日本の弱点は、民間の経済だと考え、その職を辞することを考えます。
しかし、官僚の同僚は卑しい商売人よりも、国家のために尽くす方がはるかに有益だと諭したそうです。
そんな時渋沢は。
◆嫌味を言われても心はブレない
当時は、お金は卑しいもので、天下国家を論ずることに価値観があった時代です。
それに対し、渋沢はきっぱりとこう言い切ったそうです。
「私は、論語で一生を貫いてみせる。」
そして、論語の言葉を引き合いに出し、君のように金銭を卑しむようでは国家は立たぬ、人間の勤べき尊い仕事は至る所にある、
官だけが尊いのではない、と自らの考えを述べたそうです。
このように自分の柱となる先人の言葉を持っていれば、他人に何を言われようと心が揺らぐことはありません。
なにしろ論語は孔子の言葉で、2500年の時を経た現代にも読み継がれるほどの書物です。
それほど長く生き抜いてきた優れた言葉なのだから、自分は周囲の人間が言うことよりも、孔子を信じて人生を貫いて見せる。
渋沢は、そう覚悟を決めて経済の道を進んでいったわけです。
実際のところ、論語は経済の本として読めるのではないかと渋沢は発見したそうです。
そしてその結果が、新1万円札にも採用されるほどの偉業の数々の積み重ねです。
ストレスの多い今の時代ですが、ビジネスパーソンに必要なのはメンタルタフネスですよね。
いろいろの人がいろいろなことを言ってきます。
そんなときは周囲の雑音ではなく、心の内で古典の言葉に耳を傾ければ、その波は静まっていくものです。
私は、古典の言葉で一生を貫く!
と決めれば、それが心のよりどころとなります。
我々もぜひ、そんな座右の書を見つけたいものです。
と、明大の斎藤教授は語ってくれました。
この渋沢栄一にも、当然若くしてまだ頭角を顕わす前の時はありました。
埼玉の農家に生まれた渋沢は、徳川昭武に随行して欧州各国を回り、先進的な社会・経済の仕組みに感銘を受けたらしい。
明治維新後は旧大蔵省の役人になりますので、まあ優秀な人材だったのでしょう。
そこで日本の弱点は、民間の経済だと考え、その職を辞することを考えます。
しかし、官僚の同僚は卑しい商売人よりも、国家のために尽くす方がはるかに有益だと諭したそうです。
そんな時渋沢は。
◆嫌味を言われても心はブレない
当時は、お金は卑しいもので、天下国家を論ずることに価値観があった時代です。
それに対し、渋沢はきっぱりとこう言い切ったそうです。
「私は、論語で一生を貫いてみせる。」
そして、論語の言葉を引き合いに出し、君のように金銭を卑しむようでは国家は立たぬ、人間の勤べき尊い仕事は至る所にある、
官だけが尊いのではない、と自らの考えを述べたそうです。
このように自分の柱となる先人の言葉を持っていれば、他人に何を言われようと心が揺らぐことはありません。
なにしろ論語は孔子の言葉で、2500年の時を経た現代にも読み継がれるほどの書物です。
それほど長く生き抜いてきた優れた言葉なのだから、自分は周囲の人間が言うことよりも、孔子を信じて人生を貫いて見せる。
渋沢は、そう覚悟を決めて経済の道を進んでいったわけです。
実際のところ、論語は経済の本として読めるのではないかと渋沢は発見したそうです。
そしてその結果が、新1万円札にも採用されるほどの偉業の数々の積み重ねです。
ストレスの多い今の時代ですが、ビジネスパーソンに必要なのはメンタルタフネスですよね。
いろいろの人がいろいろなことを言ってきます。
そんなときは周囲の雑音ではなく、心の内で古典の言葉に耳を傾ければ、その波は静まっていくものです。
私は、古典の言葉で一生を貫く!
と決めれば、それが心のよりどころとなります。
我々もぜひ、そんな座右の書を見つけたいものです。
と、明大の斎藤教授は語ってくれました。