つぶやき、遊び・仕事・日常

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始末の悪い善人

2020-11-29 06:33:45 | 日記
普通は悪人とはお付き合いはしたくないし、できれば善人とお付き合いをしたいものだ。
だが、作家の中野好夫氏は「悪人とはゲームができるが、善人とはゲームはできない」と言う。
そんな逆説的な考え方は、こういうことらしい。
たしかに、参考になる考え方だと思われた。

◆「自分は善人」と思い込んでいるのが善人
 人間関係においてしんどいのは、「無知の善人」です。
 向こうは悪気がない分、こちらとしては対処に困るものだ。
 こういった善人に遭遇した場合は、数字・ファクト(事実)・ロジック(論理)で、相手の思い込みを打破するしかない。
 そうしないと、相手は気づかないし変わることもできないし、多くの人々に困惑をまき散らすものだ。

 留意が必要なのは、自分が気づかぬうちに「こういった善人」になっていないか、ということです。
 自分の独自の正義感や潔癖感、計数感などがあります。
 クルマのステアリングに遊びがあるように、まっすぐ進むためにはある程度の許容が必要なのです。

 反して、「悪人」とは取引ができます。
 「悪人」とは、なんらかの意図を持っていることを自覚して、それを実行しようとする人です。
 その実行には手に入れたいものがあり、それはお金だったり名声だったりします。
 しかし彼らの目的が明確であれば、彼らとは取引ができるものです。
 この部分はお前に渡すから、それでどうだ、といった具合に取引ができ、相手もそれならわかった、と返事をしやすい。
 結局のところ、こうした「悪人」よりもはるかに恐ろしいのが「善人」というわけです。

 なるほどねぇ たしかにおいらの正義感は、他の大多数のひんしゅくを買っているのかもしれませんねぇ・・