週刊新潮誌の受け売りなのだが、こんな記事があった。
第二次世界大戦の開戦前に、時の首相近衛文麿が山本五十六に対米戦争の見込みを訪ねたシーンでの台詞だ。
「初め半年や一年の間は、随分暴れてご覧に入れる。しかしながら、二年三年となれば、全く確信は持てませぬ。」
これは、当時の米国と日本では国力が圧倒的に差があり、長期戦では全くの勝ち目がないということを述べている。
翻って、現代の対コロナ戦でも似たような状況が見られるという。
◆近代日本は国力が足りなかった
日本は一定の文明国ではあった、そして欧米列強の植民地にはならなかった。
しかし、仮想敵国である米英やソ連に対しては、いつも国力(産業力)が不足していた。
戦争では長引いたら地力の差で負けるのは明確だ。
短期でケリをつけるしかない。
真珠湾攻撃や東南アジアへの進出もこういった考えのもとになされた。
だが、戦争が長引くことにより精兵の補充はできず兵器類の量産もままならない。
結局は国力の差で敗北していく。
対コロナではこうだ。
中曽根内閣の第二次臨時行政調査会以来、医師数や病床数は厳しく制限されてきた。
医師個々を精兵化し、設備や薬品の質を高めれば大丈夫との発想だ。
そこに新型コロナだ、短期ではなんとか対応できた。
だが、敵ウイルスは新型も加わって長期持久戦の様相となってきた。
医師数も病床数もすぐには増やせない。
日本の不得手とする長期戦だ、果たして現在日本の国力で対コロナ戦で勝つことはできるのだろうか。
なるほどと言う感じもしますが、平時にお医者さんやベッドがあり余ってるというのもそれはそれでねぇ・・・
第二次世界大戦の開戦前に、時の首相近衛文麿が山本五十六に対米戦争の見込みを訪ねたシーンでの台詞だ。
「初め半年や一年の間は、随分暴れてご覧に入れる。しかしながら、二年三年となれば、全く確信は持てませぬ。」
これは、当時の米国と日本では国力が圧倒的に差があり、長期戦では全くの勝ち目がないということを述べている。
翻って、現代の対コロナ戦でも似たような状況が見られるという。
◆近代日本は国力が足りなかった
日本は一定の文明国ではあった、そして欧米列強の植民地にはならなかった。
しかし、仮想敵国である米英やソ連に対しては、いつも国力(産業力)が不足していた。
戦争では長引いたら地力の差で負けるのは明確だ。
短期でケリをつけるしかない。
真珠湾攻撃や東南アジアへの進出もこういった考えのもとになされた。
だが、戦争が長引くことにより精兵の補充はできず兵器類の量産もままならない。
結局は国力の差で敗北していく。
対コロナではこうだ。
中曽根内閣の第二次臨時行政調査会以来、医師数や病床数は厳しく制限されてきた。
医師個々を精兵化し、設備や薬品の質を高めれば大丈夫との発想だ。
そこに新型コロナだ、短期ではなんとか対応できた。
だが、敵ウイルスは新型も加わって長期持久戦の様相となってきた。
医師数も病床数もすぐには増やせない。
日本の不得手とする長期戦だ、果たして現在日本の国力で対コロナ戦で勝つことはできるのだろうか。
なるほどと言う感じもしますが、平時にお医者さんやベッドがあり余ってるというのもそれはそれでねぇ・・・