行即是空(ぎょうそくぜくう)とは、仏教の用語らしい。
おいらは、別に仏教に帰依しているわけではないのだが、適切な訳語がないのでそのまま用いさせていただく。
その意味はこういうものらしい。
◆人の行いに固定したものはない
自分だけが正しいと思うから苦しくなるそうだ。
世の中には、早めに床に就いて朝早く起きるのが気持ちがいいし、時間効率もいいという人が居る。
反対に、やるべきことを十分やってからゆっくりと床に就いて、朝もゆっくり朝寝坊の方が調子がいい人も居る。
あるいは、自由業の人は、寝たいときに寝て起きたくなったら起きて働くのがいい仕事のコツだという人も居る。
これはつまり、いいとか悪いという事は定まってはいないという事。
多くの人々の生活は、生まれつき無意識のうちにそうなっているということらしい。
自分の行動パターンだけが正しいと思うと、自分の心が苦しくなる。
行足是空とは、人の行いや行動は、固定したものはないという理解のようだ。
その人その人の生まれつきのものなので、自分は思う通りに行動すれば良いし、他人のことはほっておけば良いということ。
→他人のことはほっっておけ、というのは最高の教えなのかもしれませんね。