本来人は、生活の中で自分で何かに気づき、そして自身を修正していくことが成長するということだと思う。
だが、自身でそれができなければ、次善の策として他の人が気づいたことを学ばせてもらうのもいいのかもしれない。
あまりよく存じ上げてはいない方なのだが、お茶の水女子大名誉教授の土屋賢二氏だ。
◆「トルティーヤがあれば何もいらない」
トルティーヤとは、メキシコ料理のとうもろこしや小麦粉をすりつぶして薄く延ばし焼いたものだ。
いろんな具材を挟んだり巻いたりして食べるのが一般的だが、この薄焼きがトルティーヤだ。
ある日、氏がテレビの娯楽番組を見ていた時に、メキシコ原住民の老人の言葉に雷に打たれたかのような衝撃を受けたという。
この老人は、毎食付け合わせも味付けもなしでトルティーヤを食べている。
そしてただ一言、「トルティーヤがあれば何もいらない」だ。
老人の言葉は衝撃だった。
その無欲さに比べれば、わたしは欲の塊だ。
考えてみれば、毎日毎日次から次へほしいものを求めて駆けずり回る日々だ。
欲に目がくらんで、いかに多くのことを見逃していることか。
自分の人生がひどく貧しく思えた。
生き方の見直しを迫る一言で、それを聞けたわたしは幸運だった。
→気づける人というのは、休日に自宅で寝転がってテレビの娯楽番組を見ていても気づけるんですね。
その気づきを学んだおいらも幸運だったのかもしれません。