もうバックナンバーとなってしまったプレジデント誌からだ。
たしか、養老先生と和田先生との対談だったと思う。
そこに、こんな興味深い一節があった。
◆医療には限界があるらしい
人間の寿命は、栄養が規定する部分が大きいそうだ。
さらに、遺伝の影響も大きい。
だから、日本人の寿命が延びたと言っても、それは医療の進歩だけの手柄ではないということだ。
耕さない農業がある。
じゃがいもの種イモを単に土の上において、枯れ草をかけてほっておくだけだ。
収穫期になれば、枯れ草をどければ育ったジャガイモが並んでいる。
これは、額に汗して一生懸命世話しないと収穫できないわけではないことを証明しています。
医療も同様で、手を掛ければ結果が向上するわけではないのです。
医療を手厚く受けた方が長生きできるというのも思い込みにすぎません。
北海道の夕張市の状況が、社会的な実験とも言えるかもしれません。
財政難で、公立病院の医療が縮小されました。
さらに、公共交通機関も削減され、一般の人々が公的な医療を受ける機会がずいぶんと削減されました。
そこで起きる結果を推定すれば、死亡しやすい→寿命が短縮するはずですが、結果は異なっていたのです。
夕張市での結果はこうだったのです。
病院に行って先進的な治療を受けないほうが寿命は延びるということだ。
結果だけを簡結に述べれば、夕張市の死亡率に差はないということなのです。
そして、死因は「老衰」によるものが、圧倒的に増加していた。
つまりは、現代の適切と思われる医療を受けないほうが、生物学的に自然な死を迎えられるらしいのだ。
→これは考えさせられる結果です。
手をかける(手厚い医療を施す)ことだけが、寿命を延ばす(ジャガイモの収穫量を増やす)わけではないようです。
財政(費用)についても、考えどころがあるのかもしれませんね。