昨年の春に旅行し、辺境の自然と文化を味わった石垣島だ。
今般、自衛隊の駐屯地が開かれ、これで南勢諸島の力の空白地域が解消されたそうだ。
もちろん国境や国土は大事なもので、それについて反対するものではない。
だが、一方で失っていくものにはさびしさを感ずるものだ。
◆固有の文化は少しずつ失われていくのかもしれない
石垣島にはたしかに、独特の文化や独特の言葉(方言)があった。
赤瓦住宅もあったし、シーサーもあった。
水牛車で流れるゆったりとした時間もあった。
台湾に近い与那国島も含めてなのだが、独特の経済や文化があったはずだ。
辺境ゆえの密貿易もあったらしい、希少種の乱獲もあった、奴隷的労働のサトウキビ栽培もあったかもしれない。
それでも独特の旋律は、訪れる者の心に響く。
野鳥の宝庫で、アカショウビンも簡単に観察でき、サシバなんかは渡りで疲れた個体をただ拾うだけだ。
あの独特の旋律は伝承されるのだろうか。
ソーキソバ等のあの食文化は伝えられるのか。
あの熱帯魚のようなカラフルな漁業や、絶品の石垣牛はどうなっていくのか。
パイナップル畑は、より南国にとってかわられるのか。
→そういったものを無くすのが発展というならば、それには賛同できません。
なくなってからそれを惜しんでも、もう復活はできないものだと思いますから。