毎日が山のこと

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下吉田駅から杓子山(2019年9月27日)

2023-11-01 14:54:50 | 中央線・富士急線周辺の山

富士山の北側には、御坂山塊など富士山の展望台として楽しめる山がたくさんあるが、その中でも杓子山は富士山はもちろんその周辺を含め360度の展望がある山だ。

2019年の9月に富士急の下吉田駅から往復したので、その時のことをご紹介。

 

吉田町は、今は富士山駅と名前を変えたかつての上吉田駅とその2つ手前の下吉田駅のあいだに細長く連なっている。

富士講で栄えた町で、下吉田はその入り口にあたる。

 

9:12 下吉田駅におりた。

 

駅には外国の観光客が結構な人数いた。

日本人観光客ならまっすぐ富士山駅に向かうところだが、外国の方々には富士講の歴史も興味深いのだろう。

 

たしかに、駅から町の中へとむかうと浅間神社など富士信仰にまつわるものが見られる。

 

小室浅間神社の鳥居の前を通って、吉田町のちょっとレトロな雰囲気の商店街へと歩く。

途中で左に折れて、杓子山の方へとむかった。

 

町を出ると黄金色に染まった田んぼが広がっていた。

前方にめざす杓子山が見えてきた。

今日は明見(あすみ)尾根を使って杓子山をめざすという計画。

 

桂川をわたる。富士山は残念ながら上部は雲の中だ。

 

すでに稲刈りが終わった田んぼもあって、なつかしい稲干し風景が見られた。

 

こちらではちょうど稲刈りの最中。

 

南北朝時代の南朝側の忠臣のためらしい石碑があった。

この先、明見尾根の取りつき口まで道路が大きく迂回しているので、ここからショートカット。

 

地図には、駅前にあった小室浅間神社の古宮と書いてあるが、御覧のような小さな石の祠だけがあった。

このわきから急斜面を登って上の道路に出た。かなりのショートカットになる。

 

ここが明見尾根への取りつき。

尾根に橋が架かっている。

 

その橋の上から道路を見下ろす。

 

山への入り口に墓石が立っていた。

 

ご覧のように南朝側の忠臣の藤原藤房という人の墓だと書いてあるが、初めて聞く名前だ。

 

さて、ここから明見尾根を忠実にたどって登っていく。

古いけれどはっきりとした山道があるのだが、だれも歩いていないらしくたくさんの木の枝で道が埋め尽くされていて歩きにくい。

この尾根を使う登山者は、ほとんどが林道を使って、途中から尾根にとりついているようだ。

 

少し登ると林道への分岐の標識が。でもこの道もあまり使われていない感じ。

 

トリカブトの花が咲いていた。

 

この間は歩く人はほとんどないのだろう。踏み跡ははっきりしない。

でも尾根をはずさず登れば間違いないが歩きにくくて疲れる。

 

また小さな標識があった。

 

尾根が少しやせてきたので道ははっきりしてきて松が増えてきた。

でも予想以上にアップダウンがこたえる。

 

またまたたくさんのトリカブト。

 

またまた分岐の標識。ここの道ははっきりしていてかなり整備されている。

これが林道からの本来の登山道なのだろう。

 

ロープの急登。疲れた足がさらに重くなる。

 

そこを登るとようやく展望の開けたところに出た。

これは忍野の方向だ。もう12時半近くになっている。

 

駅からもう4時間近く歩いている。林道をつかって登れば3時間40分くらいで山頂のはずなのに・・

 

きれいなサラシナショウマ。

 

山頂が近づいた。山中湖がちらりと見えてきた。

 

山頂近くにトリカブトの大きな群落。

 

ようやく山頂だ。もう午後の1時50分じゃないか。ほとんど5時間、疲れた。

 

それなのに、なんだなんだ、この山の上だけ雲があるよ。

 

まわりは見えているのに富士山は見えない。山中湖だけは少し見えていたけど。

 

西の空は晴れ上がっているけど南アルプスは雲に隠れている。

こんなわけでこの意欲的プランは、大外れ。やはり途中までは林道を使うのが正解だね。

帰りは大権首(おおざす)峠から不動湯を通って下吉田駅へともどった。

駅に着いたのは午後4時だったので山頂から3時間だった。

最後に下吉田駅からの富士山の夕景でお別れ。

 


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