中古工具屋で日立工機のACのインパクトドライバ。プロが使い倒したやつなので まあ見た目は酷いが使える。6000円 新品だと3万しないのだが この当時は貧乏だったからこれでやっと。まだ木工や建築の知識はゼロだったのだが 友人の内装屋さんや 東京から田舎暮らしで移住してきた友人の力を借りて ぼちぼちと。台湾製の鋳物の薪ストーブだったので 夏場にはチェーンソー借りて 製材所の端材が2トンいっぱいで 1万だったかな。ほったらかしておくと すぐジャングルになるので 東京のホームセンターで見つけた在庫処分のエンジンの草刈機が1万 タダでもらった土止めの板が 2トンロングに一山。昭和記念公園の植木の添え木の払い下げが2トンロングにいっぱい。よろよろしながら運び上げたっけ。 町場の大工が建てた小屋なので軒の張り出しが足らずに 雨の跳ね返りで腐る。お金があれば一缶2~3万のキシラデコールが買えるのだが貧乏なので2000円強のクレオソート。毎年寒くなると必ずパンクする水道を 道具を買って 夜中に着くたびに恐る恐る止水栓開けて あーまたダメじゃん・・と氷点下の中 床下潜ったり。結局蛇口が止水のコマを強制的に引き上げるタイプで無いと水抜きができないのがわかるまで5年w だんだん中古工具も増えてきて 友人は潰れた木工所から 自動かんなだの 丸のこ盤なんか運び込むし まあもろに田舎暮らしだったのだ。そりゃ 緑の中で 標高も1200あるから夏場も涼しいし 冬は町場が快晴でも雪30センチとか・・まあ 苦労はあるけど 星はきれいだし 熊は出るわ 猪が出て怪我人は出るわ 鹿は鳴くわ まあ山奥w 年がら年中 平日はITだから遅くまで残業して 稼いだ残業代でローン払って 20万のボロ車乗って 膝の抜けたよれよれの汚いジーンズ穿いて バンダナ巻いて鉛筆はさんで メジャー振り回して まー世の中に別荘という言葉あるけど 縁遠いよなぁ・・という生活をしてた。10年やって 大怪我して あーこりゃなんかあったら 運ばれる間に死ぬなw・・と気がついて こういう生活は若いうちしか出来ないんだな・とも気がついて でも相変わらず汚い格好で 足場に上がってたw 同僚なんかは4000万強の一戸建てをローンで買ってたけど興味が無くてね。汚い格好して 汗だくで1日の仕事が終わって道路に座り込んで飲むビールだけが楽しみで生きてた。なんで 長く東京にいるのだが 池袋だの原宿だの行ったことが無いんだよw
松山の友人夫婦が宇和島にいたころ遊びに行って 地元のスーパー買い物に行くと普通にイシダイとか売っててびっくりw で 鯛めしというと焼いた鯛が炊き込みご飯に乗ってるやつしか知らなかったのだが 宇和島のは真鯛の刺身を 酒 醤油 みりん だし汁と卵黄を混ぜたものに漬けるのだが 友人はめんつゆ+みりん風調味料+卵黄でやってたw これに真鯛の刺身を漬け込んで 炊きたてご飯にのせて ちょいと漬け汁をかけ 白胡麻と万能ねぎの刻んだやつ もみのりを散らす。あればみかんの皮の千切りね。あたしは 生卵はだめなんだが これは食えるw 旨いのである。まあ宇和島だけのローカルフードだが ほかにも じゃこ天 現地で言うおてんぷら・・とかね まあ素朴で美味しい宇和島の味である。試してみたければこれを参照されたい。http://www.uwajima.org/special/vol8/recipe.html#recipe1
降りてみたい駅がある。あたしのチャットは昔から四国のメンバさんがいて 彼は徳島だが 最近は来ないからJAICA経由で東南アジアに出たのだろう。大学出て農業やってた青年である。坪尻は 秘境駅の番組には必ず出てくる 構内にスイッチバックのある無人駅。駅だが駅しか無いので どこにも行けないw 元同僚の友人が実家が松山で 某総合電機の関連を辞めて地元に帰っちゃったので 何度か遊びに行った。もう10年以上顔みてないなぁ 今は実家でゴールデン2頭が座敷犬らしいw 以前に宇和島にいたので そちらにも遊びに行ったが いい土地である。四万十だの桂浜だの彼らのレガシィで遊びにいったのも懐かしい記憶である。一緒に行った共通の友人は 今あたしの元の部屋で惰眠をむさぼってるが 相方はあたしが死んだら部屋ごとあげるか?・・なんて無茶な話してるw 四国って 壮大な田舎というか昭和から時計が止まってるような土地で セルフのうどんのファミレスがあったり 海が緑だったり 海辺の傾斜地はみかん畑だったり まあ気楽な田舎暮らしにはいい土地だろう。北海道や東北と同じで 仕事は無いのだが。一時期お遍路さんにあこがれて シェルパ斉藤の本なんか読んでたのだが 歩き遍路は贅沢遍路と言われるらしく1日の行動費は1万円くらいだそうだ。なんで 八十八箇所周ると ほぼ60万くらいかかるらしい。お接待や遍路宿にはあこがれるが こんな体じゃ歩き遍路は無理っぽい。既出の駅と松山の友人宅くらいは 死ぬ前に行きたいもんだ。
笑止・・である。まあ名古屋人も含めて 天むすは名古屋の名物(名古屋めし)って思ってる人が多いのだけど あれ実は三重県津市の立町の裏の千寿って店が発祥の地。津の人ならみんな知ってる。まあ あたしも津なんで知ってるわけだがw まあこんな具合に名古屋はなんでもパクリが多い。なので三重県の 特に若い人は近鉄電車一本で1時間ちょいなのに 名古屋の大学に行かないで みんな京都の大学に行く。 あたしも京都に出たクチだ。 まあ 昔から名古屋ってぼーっとした街で まあサイズはでかいが薄いイメージが強い。で 戦争で焼け野原になったので 戦後復興でむやみに広い道路を作っちゃったので 尚更薄い感じが強い。道が広いので車は名古屋ルールだし。まあ三河ナンバーほど酷くは無いのだが 黄色は注意して進め 赤は用心して進め・・て思ってるから 交通ルールはお世辞にもいいとは言えない。下手に地下街が発達してるので 地上には人がいないので 益々薄いw まあ純粋に名古屋めし・・て言えるのは きしめん すがきや コメダ 大須ういろう イチビキくらいのもんだろう。人間性は普通だけど なんというか大きな地方都市なので いつまでもメジャーになれないのである。学校出て最初に就職した会社が名古屋のIT会社だったのだが なんか名古屋の記憶ってほとんどない。いいんだか悪いんだかすら 薄いのである。まあ 今でも津の名物を名古屋発祥の・・なんていうので 個人的には名古屋は嫌いである。 森本レオ氏は好きだけどね。