趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探訪取材日記:余呉湖から高時川上流域-03

2013-09-02 18:48:45 | ブロガー:滋賀県の企画

 余呉湖周辺から高時川上流域
   を訪ねて
 滋賀県長浜市余呉町
第3
(最終編)、神社、古刹、リゾート、食文化

弘善館
管山寺
の寺宝を収蔵、展示しています。奈良時代の木心乾漆像
十一面観音像は稀観品です。 北国街道(国道365)沿いにあります。


              管山寺への入口


                               弘善館


                                 展示物  (弘善館)

何度か管山寺を訪れたが、当寺は辿りつくにも一苦労です。このよう
な宝物は許される限りここ、弘善館のように保全が出来てしかも人里
にあれば簡単に見学も可能でいいですね。

      
        管山寺 (写真は滋賀県公式観光サイトより拝借)


                             管山寺とは



                  
                        写真の上をクリックして、解説、地図をご覧ください

今回は時間の関係で(見学・登山に往復90分を要す)訪問はしていません。

茶わん祭の館


                     茶わん祭の館  余呉町上丹生

地元の茶わん祭の山車のレプリカを展示した施設です。他に同町の
祭りも紹介しています。なお、常時は開館しておらず、見学には予約
が必要です。 連絡先は最後に
記載してあります。


                    観光協会のパンフレットより


       
             同パンフレットより

何年かに一度のお祭りで、次回は2014年5月4日だそうです。本
来は3年毎のお祭りだったようですが。


    これらの茶わんなどを主軸につなぐ方法は秘伝(極く少人数のみ)とか


洞寿院


           なんと荘厳で大規模な曹洞宗のお寺が余呉町に 

湖北を代表する曹洞宗寺院です。観音菩薩立像(重要文化財)など
多くの寺宝があります。 予約で座禅修行も可能です。

 
              当寺の案内板          写真をクリックし拡大してご覧ください


                                本堂

このお寺も本堂内の見学は予約が必要です。連絡先は最後に記載
してあります。

乎弥神社(おみじんじゃ)
江戸時代以来、下流の村々は干ばつ時にこの神社に参拝してから、余
呉の水を引く海尻堀をおこないました。境内の造形物には白鳥の文様
が刻まれています。天女伝説に関係するのでしるょうかここでもみること
が出来ます。 余呉湖から引いた江土川が赤い橋の下に
流れています。 
(注) 江土川  慶長年間に余呉湖の水を引く為に切り開く




            
               白鳥の文様です



菊水飴
菊水飴は、滋賀県長浜市余呉町の名産として親しまれています。350
余年の伝統の味を今に伝えている無添加食品の飴です。菊水飴本舗
は旧北国街道に位置し、江戸時代から旅人の疲れをいやしたといわ
れる「飴」です。私も18歳まで木の枝や箸に巻き付けてペロペロと、懐
かしい飴さんです。でも本舗を訪ねたのは初めてです。

           


  なんだったか、京の高貴な所からその昔に送られた暖簾やそうです

菊水飴本舗のHP http://www.kikusuiame.com/

北国街道、国道365号線沿い、坂口という集落にあります。

ウッディパル余呉
リゾート施設です。一年を通じて楽しめます。私もロッジの利用、郷土
史などのセミナー、子供が幼い時にはスキーも。また余呉町のイベン
トなどで何度も訪ねています。


                  ウッディパル余呉のパンフレットより


               近江水の宝、その取組、水力発電装置です


                              ウッディパル余呉のHPから                                      

    ウッディパル余呉のHP   http://woodypal.jp/

賤ヶ岳サービスエリア


                          北陸自動車道 賤ヶ岳SA です


              国道365号線 坂口と云う集落のこの看板が目印です

なんと、北国街道、国道365号線からとことこと歩いて(勿論車はIC
からでないと入れませよね
)辿れる所にあります。レストランなんぞそう簡
単に見つけられるはずがない風光明媚で長閑な町です。腹が減った
ら・・、ありました、立派なレストランです。 だって
高速道路のSAです
ものね。 探索時にお勧めです。

余呉湖観光館
余呉湖畔にあり、観光案内の他、道の駅風の店舗があり、地元の
特産品、書物などがそろっています。

観光に関するお問い合せは:奥琵琶湖観光協会 余呉支部 
                 
0749-86-3085

終わりに
三回に分けて、余呉町(滋賀県長浜市)の是非訪ねて頂きたい、とっても
いいところを滋賀県の専門員の先生のご案内で観てきました。

私達、滋賀県の認定ブロガーは、滋賀県教育委員会主催で9月14日に
実施される余呉町探訪の先発隊として探訪し、各人のブログから情報発
信しています。詳細はこのシリーズの表紙のページをご覧ください。

  今日もご訪問下さいましてありがとうございました

 

 


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Kennyの歴史探訪取材日記:余呉湖から高時川上流域-02

2013-09-02 17:43:43 | ブロガー:滋賀県の企画

余呉湖周辺から高時川上流域
  を訪ねて
 滋賀県長浜市余呉町
           第2
(全3部)、余呉湖

今日はこの町の宝、余呉湖。この鏡面のように神秘的で
美しい湖が、ええー、ダム湖になったって! のお話です。


 
周囲6Kmの余呉湖、元々は流れ入る川も出て行く川もはなかった湖
                         (2007年10月撮影)


 余呉湖と琵琶湖は繋がっていなんですよ  約50mの標高差があります
               (2011年11月 横山岳 1132m から撮影)

余呉湖:
地元出身なので、以下全文Kenny独自の解説です。すごい、流石地元!
私が汽車(当時は電気機関車が客車を引っ張っていたSLとちゃいまっせー、私
もうちょっと若い爺です
で高校に通学時、余呉湖の水が空っぽに干上が
った時がありました。社会
人になってからですが、何の為に水が無く
なったのかを理解しました。 余呉湖をダム化の工事だったのです。


  2007年10月 撮影 その日は晴天でもあり湖面がこんなに綺麗でした

この湖には川はなかった
この湖周辺は標高132m、琵琶湖と同じ陥没湖ですが 、元々川が全
くない、それでも
周囲の山から また湧き水もあるのかな? 本当に透
明な、凪いだ時は、湖面が鏡のような本当にきれいな湖(鏡湖)でした。

古い湖
北の端には3000年前の埋没林を地元の確か中学生が見つけました。
頂いた資料では縄文時代の土器や、6000年、8000年前の地層が
二層もあるそうで、兎に角随分なんども水没を繰り返してできた水湖
です。

 
       ここで話題の余呉湖、および周辺の絵図   拡大してご覧いただけます
                                                                          
  (写真をクリックしてください)

そして今の余呉湖
川はなかったと書きましたが、実は慶長年間に余呉湖の水位を調整
して農地を守る川を掘りました。 江土川です。その川は今も余呉湖
から外へ流れています。

 
                                江土川

人工河川を作る、美しい湖をダムにする
上の江土川についで、昭和に入り余呉川から分水して余呉湖まで人工
の川を作っています。これは上流氾濫の治水対策事業でした。これで
余呉湖も入る、出る川のある湖となりました。 ところが昭和30年代に
入り湖北平野一帯の灌漑用水として余呉湖のダム化が実行されました。


水草が湖面に浮かぶ今の余呉湖 上に掲げた2007年の写真と見比べると・・
        (その日は曇天でもあり、写真の写りとしてはちょっと不利ですが)


その結果、今は
勿論湖岸から眺める景色は今も美しさを保っていますが、残念な
がら水質は少し落ちていますし、水草も繁殖しています。琵琶湖から
水をポンプで汲上げている影響が大と思います。湖の魚も琵琶湖の
ブラックバス、ブルーギルなどが汲み上げる水に混じって入り込み、
本来の魚、わかさぎ等の保護に尽力されています。


               冬にはこの筏でわかさぎ釣りが盛んです



                     資質保持装置

しかし、ちゃんと手は打たれています
特に水質の管理には力を入れておられます。設備の難しい用語は
「深層曝気装置」といいます(上の図)。 解説は省略して平たく「金魚
鉢のブクブク」と云って大きくは外れていない
のではと思います(?)

ん? あかん、ちゃんと解説しろってですか? ではN兄貴より・・

                          
                        この写真をクリックして下さい
               

 
       この人工島に設置            湖岸の管理棟

現在の余呉湖の役目、水瓶:なぜダムにする必要があるの?
ダムとしての重要な機能です。 余呉湖、入る川が一本あると言って
もダムとなれば水量が足りません。そこで琵琶湖から汲上げて、そ
の水を湖北地区の川(高時川)に放流して地元の水資源として供給
しています。昔、餅の井落としと云う水争いがありました。この放流
で高時川の水量が豊富になり、その騒動は終了しました。

      餅の井落としの私の過去のブログは ここを

取水、高時川への放流の様子を写真で
残念ながら見学の日は水の補充が必要なく、稼働していませんでした。

      
   飯浦送水隧道吹き出し口  約50mの高度差を汲みあげています


           余呉湖放水隧道入り口


   放水隧道出口 余呉湖からの放水が余呉川に合流

そうか、そう言うことだったんだ・・
川の下流域で水争いにまで発展する水不足があり、その川への導入
川を新設して補給するためのダムでした。実は余呉川は逆に下流で
水が溢れて毎年困っ
ていました。今の西野水道、歴史的には「近江
青の洞門」が琵琶湖へ水を放つ為に西野集落の僧によって掘ら
れたという史実があります。


     余呉湖からの水はこの余呉川で合流  そして高時川へも供給され
  (ダムと同時に新設の水門から先は正面の山のトンネルを通って下流へ)


余呉湖の北から西側(湖の半分)を歩き、南端に。こんな話も・・


                      国民宿舎 余呉湖荘  湖畔の宿です

余呉湖の南端にあります。余呉駅は北側です。この庭先から古戦場
賤ヶ岳(420m)の登山も楽しめます。一泊旅行にいいですね。他に
も余呉ウッディーパルや民宿が沢山あります。青色の県のバスが待
ってくれています。湖の西側以外はこのバスも通れます。

(他のブロガーの記事を見て)、知りました。この余呉湖荘は9月末を
持って営業を終えるようです。ご利用の説はご確認ください。何度も
利用させて頂きました。残念だなー (-_-);;


                               賤ヶ岳登山道口 山頂まで1.5km

      今日もご覧くださいましてありがとうございました

                               ********

                             次は最終、第3部に続きます
                           神社、古刹、祭、食文化の紹介です
                               ご訪問頂けば嬉しいです
                               (ブログ管理者:Kenny)

 


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Kennyの歴史探訪取材日記:余呉湖から高時川上流域-01

2013-08-21 07:57:41 | ブロガー:滋賀県の企画

余呉湖周辺から高時川上流域
  を訪ねて
 滋賀県長浜市余呉町
             第一部 (全3部)

   第一部は余呉湖周辺の伝説です

JR余呉駅から出発です
やって来ました、滋賀県の最北の町、余呉町です。隣りは福井県です。
戦国時代風に言えば、近江から越前の国境の町で、当時のメイン街道
北国街道が町の中心を走っています。長閑です。駅前の駐車場は無料
です。すぐ横は田んぼ、ちょっと先に目をやれば余呉湖の湖面が光って
います。更にその先には賤ヶ岳(古戦場)が見えています。私は今、その
昔、羽柴秀吉と柴田勝家が争った戦場のその正にまん真ん中に立って
おります。


            余呉湖の一角にある案内板  (撮影 2007年10月)

で、この一部では、戦国物の無粋な類のお話ではなく、余呉湖周辺
に伝わる伝説、ロマンを味わいに
探索をします。


          JR北陸線、余呉駅     駅前の広い駐車場は無料でーす

天女衣掛けの柳

むかし、余呉湖のほとりに伊香刀美いかとみ)という男が住んでいた。
桐畑太夫とする伝説もある:慶長17年 1612年の説)。男はある日、
湖畔に8人の
天女が舞い降り、水浴びするのを見つけた。その美しさ
に心惹かれた男が柳の木に掛けてあった羽衣ひとつを隠したので、一
番年下の天女(不運やなー)は天に帰れず、しかたなく男の妻となって子
を生んだ。 この後登場の菊石姫がその一人です。


                        天女衣掛けの柳

それから3年後、唐櫃にしまってあった羽衣を見つけた妻は、これを身
にまとって天にのぼり、姿を消してしまったという。なお、菅原道真がそ
の子であると伝える説もあります(後述)
。 

ところで、衣を掛けた木がこの余呉は柳、他の二か所は(後述)は松
の木
やそうです。ここの柳はしだれ柳とは違いますでしょう、アカメヤ
ナギ
と云って枝がだらりとはならない品種です。

場所は、JR余呉駅から余呉湖に向かって徒歩 4
,5分、すぐそこです。


                               現地の案内板

天女の銅像
余呉の天女伝説は日本最古の羽衣伝説の一つ。
天女の像が湖の近
くに建てられている。 ここ余呉湖の伝説、静岡県静岡市清水区の三保
松原に残る伝説、京都府京丹後市峰山町に伝わる伝説など、天女の
羽衣伝説は日本各地に残っている。一般的には①「羽衣をまとった天女
が降り立つ」②「天女に恋をする男が登場する」というのがどの物語にも
共通していることである。 場所は天女衣掛け柳
から100m位かな、の
所です。



                   天女像   後方は天女衣掛け柳

桐畑太夫屋敷前
昔、湖辺の村・川並に桐畑太夫という漁師がいた。あるとき、芳しい香り
にひかれるまま、一本の柳に歩み寄ると、色鮮やかなうすものが掛かっ
ている。うすものを取った太夫が振り返ると、美女がいて「私は天国の者。
余呉の湖の美景に憧れて年に一度、水浴びをしています。どうか羽衣を
返してください。」と懇願した。が、太夫は羽衣を隠して返さない。争った
果てに美女は天に帰ることを諦めて、太夫の妻になった、と・・・。先述は
伊香刀美説、ここでは桐畑太夫説を紹介しています。


       桐畑太夫屋敷があったとされるところ:正面の三角の木のあたり

      余呉湖を目前に見下ろせる山手にあります

ところで、この羽衣伝説は「帝王編年記」 養老7年(723)伊香刀美と
天女をめぐる白鳥伝説を伝える余呉郷南の伊香の小江は当余呉湖と
考えられていることから来ているそうです。

蛇の目玉石
桐畑太夫は余呉湖より二丁余り西、桐畑口というところに住んでいました。
都からの落人だそうです。やがて
太夫最愛の一人の女の子が生まれまし
た。
菊石姫です。ところが7、8歳になると次第に蛇体の姿となったので、
太夫も家に置いておくものではないと、屋敷から一丁余り東北の屋賀原と
いうところに仮家を建て、捨て置きました。

     
                            蛇の目玉石
     

この伝説、ちょっと長い文書ですが引き続きを・・、

食物も与えられなかったので、菊石姫のお守係の下女が憐み、自分の食
物を与えて養育していました。
18歳になると菊石姫は、ここにもいられない
と、ついに湖水に入ったのです。


そのとき、片目を引き抜き、「龍の目玉は宝や金では求め難いもの。大切
にしなさい。」と長く養育してもらったお礼として下女に与えました。
形見の
品として大切にしていた目玉だったが、やはり病を治すのによく効き、
その
他にもいろいろ不思議なことがありました。 

このことが上の人の耳に達し、差し出すように命じられました。
下女は仕方
がなく差し出しましたが、龍の目は両眼とも持参せよとのご上意で、片目し
かない訳を話しても追及は続きました

耐えられなくなった下女は、湖の西、新羅の森から「菊石姫、菊石姫」と呼
びました。
するとにわかに湖水が波立ち、水を左右に分けて乱れた髪がや
って来ました。
下女は「両眼を差し出せねば、火責め水責めにあう。」と訴
えた。
菊石姫は「養育の恩は深い。自分は両目を失っても命の別状ない。

しかし、盲目となったら時刻を知ることはできないから、湖水の四方にお堂
を建て、時を知らせる鐘をついてくれと、太夫に伝えてください」 といって
目玉を抜き、石に投げつけました。
目玉のあとが石に鮮やかについた。こ
の石を名付けて「目玉石」といいます。 石の裏(湖)側です。

蛇の枕石
目玉石の近くの湖中に長さ3尺横1尺ばかりの石があり、これを枕に菊石
姫はしばし休みました。
「これからは私を呼んではなりません。もし会いたく
なったらこの石を見なさい」 そういって湖中に消えていきました。
この石を
「蛇の枕石」と呼んでいます。 湖岸から覗き込みます。


                        蛇の枕石             

両眼を地頭に差し出した下女は助かったが、菊石姫の母はこのことを聞
いてから病の床につき、ほどなくしてなくなりました。
それからは太夫も病
弱になって、菊石姫のことを案じ、湖畔の7つの森にお堂を建てて、時の
鐘をつかせました。
菊石姫が盲目となってより、水青く晴天の日でも底が
見えなくなったといいます。

ところで、この菊石姫は天女と太夫に生まれた一人で、この伝説もやはり
天女伝説と関係します。もう一人の男の子は後の菅原道真と言い伝えら
れています。


                      鳥帽子岩・お膳岩

鳥帽子岩・お膳岩

余呉湖放水隧道(第2部で触れます)の近くにあります。 鳥帽子岩・お膳
岩、この岩を北側から見ると烏帽子に見える ことから烏帽子岩の名
で親しまれていますが、男岩・女岩の2つの岩がひとつに重なって い
るところから、『結びの岩』とも呼ばれています


 
             烏帽子岩                    お膳岩

また、菅原道真が烏帽子を掛けた岩、供え物を載せたと伝わる岩とも
伝承されています。

引用させて頂いたHP,ブログ
探索地の説明については当日配布の資料を参考に、そしてその殆どを
下記各団体HPにあります記事から引用させて頂きました。 
奥びわ湖観光協会 余呉支部            
http://yogokanko.jp/node/60 

滋賀の文化魅力再発見
http://mizutakara.shigabunka.net/e808392.html

これらの地の探索
余呉湖の周囲は6Kmです。ここまで記載した観光箇所はすべて余呉湖
周辺にあります。また、第二部でUPの余呉湖送水、放水隧道も同様です。
JR余呉駅からぐるりと一周をレンタルの自転車で、または歩いてみるのも
選択肢の一つかと思います。


        余呉湖の西側半分は自家用車一台が通れる狭い道です

なお、車での移動は、特に余呉湖の西側は車、一台の道幅の箇所
何か所もあります。カーブではスピードを落とし、すれ違いスペースを利
用して譲り合い、安全運転をしてくださいね。

******
 
                           第二部に続く・・・

さてこの次の第二部は「余呉湖の今と昔」です。 ご訪問いただければ
幸いです。 ありがとうございました。
                                                (ブログ管理者、Kenny)


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Kennyの滋賀から情報発信:ようこそ滋賀へ(Bコース)

2013-07-21 15:05:27 | ブロガー:滋賀県の企画

「滋賀県のいいところ」紹介
 =蒲生氏郷の町・蒲生郡日野町
          (探索 Bコース)
  
  Bコースの表紙と目次です
      滋賀県蒲生郡日野町の紹介です

 
英雄伝説の足跡を訪ねて:日野町 

         探訪日記一覧

本能寺の変直後の蒲生氏郷の足跡辺を訪ねて -日野町
と題して滋賀県
および日野町の専門研究員さんのご案内で
蒲生郡日野町を歩いてきました。日野町で生まれた蒲生
氏郷足跡辺、そしてまた日野商人の町を紹介します。

  各文化遺産(そのー1~そのー3)の日記は下の項目にある
      ここを  の部分をクリックして頂き ご覧ください。

そのー1:英雄伝説:蒲生氏郷の足跡を尋ねて
              氏郷とは? 菩提寺や、遺髪供養塔、関連す
              る神社、
蒲生家の居城を紹介します: ここを      

そのー2:英雄伝説:蒲生氏郷の足跡を尋ねて
          
      
城下町、現日野町。 一向一揆の舞台となった
       お
寺、その他、お城跡などの紹介です
ここを 

そのー3:英雄伝説:蒲生氏郷の足跡を尋ねて
     
 日野町のこと、歴史秘話、その地の食文化、
                     名産品などの紹介です: ここを


  
                     
滋賀県蒲生郡日野町


 日野町へのアクセス 

1)公共交通機関を利用の場合
  JR東海道線、近江八幡駅で下車、バスか近江鉄道の
  利用が便利だと理解します。

2)車の場合
  名神 八日市ICか竜王IC。 新名神 甲賀土山ICが
  それぞれ便利です。 ICを降りてからのルートは下の
  解説写真(観光案内ちらしを撮影)をご覧ください。

  下の写真をクリックしてください。(800ピクセルに拡大)
              

   ありがとうございます (ブログ管理者:Kenny)


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Kennyの滋賀から情報発信:蒲生氏郷:そのー3

2013-06-26 14:09:53 | ブロガー:滋賀県の企画

  本能寺の変直後の蒲生氏郷の     
   足跡辺を訪ねて 日野町

                 Part-3

蒲生氏と日野商人の町:日野町
これは私、Kennyがほんの数時間バスで見学させて
戴きほとんど何も知らなかった日野町にこ
のような印
象を受け、題名を付けました。この二つを軸にして現
在に引き継がれているお祭りや美味しいお菓子、日
野菜に代表される特産物などもここに生まれ この地
を語る伝統の産業、文化となったんですね。

日野町の観光案内地図を頂きましたのでお出かけの
時のご参考にして頂ければ幸いです。

観光マップぐるり HINO まっぷ」
                 
1200ピクセルの拡大地図はここを


 

日野町
滋賀県の南東部、鈴鹿山系の西麓に位置する町です。
霊峰・綿向山を東に望む日野町は、町の花である「ほん
しゃくなげ」が咲き誇る、自然環境に恵まれた町です。

蒲生氏
町の繁栄の基礎を築いた蒲生氏は400年以上この地を治
め、商工業の保護・育成に努力し、鉄砲や鞍などを特産品
として生み出してきました。

        
                      蒲生家略系図

江日野商人
滋賀県湖東地方で江戸時代より漆器薬売りの行商から
発展した商人を近江商人といい、日野地方を中心とする商
人を特に日野商人と呼んでいます。日野商人は千両たま
れば新しい店を出すという小店経営に主流を置き非常に多
くの店を出しました。

多くの社会事業も行った日野商人の心は彼らが築いた静
かな街並みとともに現在も大切に引き継がれています
(現地で入手の案内ちらしから引用加筆)

美味しいもの、お土産 


                   近江日野観光特産品館


                     名産 日野菜漬


  
  婦人部の方から頂戴しました   当館から頂いたもなか「蒲生」

       
       ” 三方よし ”  近江商人の魂で有名です


 
    当地の老舗 かぎや 「いが饅頭」 を頂きました

 

 
       近江牛のお昼です 当地のレストラン 岡崎


 日野町へのアクセス 

1)公共交通機関を利用の場合
  JR東海道線、近江八幡駅で下車、バスか近江鉄道の
  利用が便利だと理解します。

2)車の場合
  名神 八日市ICか竜王IC。 新名神 甲賀土山ICが
  それぞれ便利です。 ICを降りてからのルートは下の
  解説写真(観光案内ちらしを撮影)をご覧ください。

  下の写真をクリックしてください。(800ピクセルに拡大)
              

お礼
3編にわたりご訪問くださいましてありがとうございました。
どうか、滋賀県にお出かけください。そしてこのブログでの
情報が滋賀県にお越しの際の何かの参考となれば幸い
です。

私は生粋の滋賀県人なんですが、今滋賀県のこの企画に
参加させて頂き、過日の高島市(継体天皇、ほか)と共に
滋賀県には
文化遺産の多い事、美味しい食べ物がなんぼ
でも(沢山)あることを改めて認識しております。

今後も これを機会にさらに歩き回り、時には私のブログで
情報発信して行こうと意を新たにしております。どうかこれ
からもよろしくお願い致します。 (ブログ管理者 Kenny)

 


 


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