趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探訪取材日記:沖島周辺を訪ねて:目次

2013-09-12 14:20:11 | ブロガー:滋賀県の企画

沖島周辺を訪ねて:近江八幡市
 シリーズ4回目(D)の
目次ページです 
     
近江八幡市のお話です

   
                       琵琶湖に浮かぶ  沖島
                    (写真:近江八幡市のHPより拝借
                   

  さて、それではDコースの探索開始です
       
三回(部)に分けてこのブログでUPします

3部の各日記は下に掲げます目次(ここをリックしてください

1.第1部: 沖島(おきしま)とはどんなとこ? 
 (ここを)     ・7つの姓(小川、北、茶谷、中村、西居、久田、南)
           でこの島の姓の殆どです。なぜ??
                  ・住民の殆どが漁業関連の仕事に関わっておられる
         ・信長から褒められて、漁業区の特権を与えられた
                  ・石材業が盛んだった  石切場も残っています
         ・支えあい・ふれあい 島のコミュニティー                         

2.第2部沖島の観光スポット    
  (ここを)  ・西福寺
          ・願證寺
         ・弁財天 
                     ・奥津島神社
         ・おきしま資料館
                     ・小アユの佃煮などなど 

                      
3.第3部:  沖島周辺の神社仏閣  
  (ここを)
    ・長命寺
                     ・伊崎寺
         ・権座(ごんざ):田んぼだけの島
         ・ちょっと一息、小さな喫茶、地元の野菜など

   
               長命寺  西国第三十一番札所 (近江八幡市)

              ありがとうございます 


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Kennyの歴史探訪取材日記:沖島周辺を訪ねて-03

2013-09-08 12:30:13 | ブロガー:滋賀県の企画

沖島周辺を訪ねて:近江八幡市
            第三部、最終章 (全3部)

   さてこの三部では 沖島周辺の
名所探索です
    =それらはもの
凄く大きな干拓地の周りにあります=

先ずは大中干拓のことを
 ・伊崎寺・長命寺 ・権座(ごんざ):田んぼだけの島  ・ちょっと一息
小さな喫茶、地元の野菜などのお話なんですが、その前に滋賀
で大変有名でもの凄く大規模な干拓が近江八幡市にあるんです。

それを先ず紹介したいのです。


          赤い点線内の3つの内湖が干拓されて陸地になりました

この干拓が出来たので歩いて行ける
というのもこれから行く名所はこの干拓があってこそ今は車で簡単
に辿れます。干拓される前は伊崎寺なんかは船でないと行けませ
んでした。
現在は陸地で、県道26号線などは日ごろ別に意識なく
車で走っていますが、元々は湖だった所です。

なぜ琵琶湖の内湖を埋立てたの?
今から70年ほど前の事 戦後の食糧量産体制として内湖を田んぼ
にする干拓が始まり40年前には現在の地形となりました。
干拓さ
れた内湖は、弁天内湖、伊庭内湖、大中の湖で1,450ヘクタール
と広大な陸地の誕生です。

安土城 天主の下は湖だった
信長
が安土に城を築いた理由の一つが琵琶湖を押さえること。城
の下が湖でした。今、天主跡から西側に見える平野は干拓地です。

大中干拓:絵図で見れば一目瞭然
以下3点の写真、絵図は東近江市のHPから拝借しました。また
これらに私が文字などの加工をしております。
ありがとうございます。


              干拓する前の4つの内湖

大中の湖、伊庭内湖、弁天内湖そして西の湖の4つの内湖の内、
西の湖を残して埋立てました。この絵図でも明らかなように安土城
のそぐ傍まで湖でしょう!


     この写真では伊庭、弁天両内湖は埋め立てが終わっている

弁天内湖、伊庭内湖が干拓化されています。もう安土城は田んぼ
の真ん中です。


               大中の湖も干拓された現在  西の湖は残された

西の湖を残して大きな農地となりました。コメは勿論、だいなかス
イカ
と県民は呼びますが絶品です。そしてモノクロの上の写真をご
覧ください。赤い線(私が線を入れました)が県道26号です。そしてそ
の道を進めば伊崎寺に行けます。1,450ヘクタールなんてピンと
来ませんが、上の写真の右方向(東)なんか、26号線から見てそ
の端は遠くはるかに霞んでいます。 兎に角 すごく大きな面積です。

さて、本論です:名所を案内します


         今回歩いた名所、旧跡での位置関係です

伊崎寺
一般に伊崎不動と呼ぶ天台宗寺院。 修験道の捨身の行法に由来
するという竿飛びが有名です。


           竿飛び:例年8月2日に行われている (見学時は確認よろしく)

 
                                               境内

天台比良修験道のもとに成立した寺院と考えられる。


               寺院の門が山を下って湖の位置にあります

これなんですよ、先ほど干拓を最初に取り上げましたのはね。干拓
される以前は、船でしかこのお寺には参拝出来なかったのです。
私はこのお寺での興味はこの船でしか・・、と有名な竿飛びでした。

長命寺



境内には、本堂(国宝)、三重塔、鐘楼、護摩堂など(いずれも重文)など
が立ち並んでいます。


                      本堂、三重塔など、荘厳な境内です

このお寺の特徴の一つが八〇八段の石段です。これを登ればご利
益があると参詣者は頑張って登っていきます。


                            八〇八段の石段

参詣曼荼羅
あくまでも私の興味ではありますが、石段の他のもうひとつの珍しい
宝が参詣曼荼羅です。長命寺山を背景に、伽藍やルート、さらには
賑わう参詣者、町屋、湖辺に浮かぶ参詣船などが詳しく描かれてい
ます。 ただ写真でここに掲載すことは許されていません。

三重塔再生:見学できます
こけら葺き屋根の葺替修理が行われています。平成26年3月31日
までの10か月です。10月下旬から平成26年1月下旬まで修理を
自由に見学できます。これは結構な時流で、ありがたいことです。
さらに、
専門員の案内で特別現場見学会なども予定されていますが、
詳細は確定次第、追記します。

    
                かなり傷んだこけら葺きの屋根

なお、本堂など他の建物の屋根は檜皮葺です。この三重塔のみ
こけら葺です。

   
                 こけらの解説をされる県の専門員さん

なんでも手作業で材木(柿?)を板状に割って作るそうで、また板は
ベコベコしていないと雨水が浸透して屋根の機能が果たせないとか。

 

これも手作りの竹釘です。専用のハンマーで口に含んだその竹釘
一本一本手早く打っていきます。よくTVで見る光景です。 口に含む、
これって職人さんの誰か、
一回位は飲み込んでいない? 気になるよ。


            境内からの絶景: 近江富士・三上山がきれいです

権座(ごんざ)
「権座」は、内湖の藻や水草を刈り、それらを埋め立てて出来たと
される島で、石垣に囲まれています。昭和30年代まで湿地面積を
広げていく作業が行われ、「権座」も、先人たちの手で造られ守ら
れてきました。そのような過程を経て出来た湿地は、内湖が干拓
される昭和39年以前まで「権座」を含め7箇所もあったそうです。
しかしながら今日では、耕作地として残っているのは「権座」だけと
なってしまいました。 (滋賀県農政水産部農村振興課 HPより引用)

  
     正面の濃い緑の横筋が権座です 西の湖に浮かぶ島です

味菜村
干拓地で伊崎寺近くにあるカレーと 牛丼だけの小さな喫茶・レス
トランです。地元の産物も並べられており、ちょっと一服には最適
です。そこで昼食を取りましたが家庭的な雰囲気で大変よかった
です。

  
           味野村 干拓内に敷かれた県道26号線沿いです

これらのアクセス
バス利用の場合:
JR近江八幡駅からバスが出ています。ただし本数が少ないので
あらかじめスケジュールをたててのお出かけがいいかと思います。
その上、バスは長命寺経由、堀切港までの折り返し運行です。
伊崎寺へは行きません。 

なおバスは堀切港からの定期船と必ずしも接続はしていない
とのこと
です。本数が少ないのでバスを利用の場合はご注意
ください。


近江鉄道バスの電話: 077 589 2000 (確認しました。素晴らしい対応です)

車の場合: 
沖 島:    起点の堀切港には駐車場がありません。
         どうすればいいのか・・・・・?
伊崎寺:     堀切港から歩いて20~30分で伊崎寺に着きます。
        そこには駐車場があります
長命寺:   バス、車共に問題ありません。石段が苦手な方は
        本堂への道を歩くか車で本堂下まで上がれます。


お礼
これで、Dコース、沖島とその周辺紹介シリーズは終わりです。長々
とした記載で申し訳けございません。また中には聞き違いや勘違い
で間違いがあるかもしれません。どうかお許し頂き、日にちなど数字
については見学前にご確認の程、何卒よろしくお願い申しげます。
これから訪問をご予定の皆様にはいい思い出の旅となりますよう
お祈りしております。 ありがとうございました。
                                           (ブログ管理者 Kenny)

 

コメント (4)
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Kennyの歴史探訪取材日記:沖島周辺を訪ねて-02

2013-09-08 12:15:07 | ブロガー:滋賀県の企画

 沖島周辺を訪ねて:近江八幡市
              第二部 (全3部)

さてこの二部では沖島のお寺、神社、資料館などの見学です
           =すべて歩いてとことこの距離です=


             西福寺本堂

西福寺
7人の落武者の一人 茶谷重右衛門の子孫が蓮如に帰依し開
いた真宗寺院。 蓮如筆の虎斑(とらふ)の名号(みょうごう)
等の
寺宝を有します。

 虎斑の名号:蓮如が幽霊を教化するため六字(南無阿弥陀仏)の名号を与
          えられた。それはムシロの上で書かれたので文字に虎班のよ
          うな濃淡があるので俗に「虎班の名号」と呼ばれています。幽霊
          は茶谷重右衛門の妻で産後亡くした子供が愛おしく現れていた。

        
             下の写真、絵図などはクリックで拡大します

         
                   
               虎斑の名号     その名号を書く蓮如

                     
                       虎班之御号御絵図      西福寺の説明
           (その時の様子の絵図)  

   他にも正信偈
(しょうしんげ)、それは
蓮如上人が島を去る
  時にお別れの形見として残された寺宝、四句の御文、など
  珍しいものが見学できます。
 

 (上の写真:虎班の名号は私の撮影。他は同寺の西福寺略史から拝借)




                            
                           同マップ拡大図(クリック)



                        ガイドマップー2
         (当マップは近江八幡市観光部産協会冊子より拝借)

願證寺
沖島の住人 西居某が蓮如上人に帰依し、法名を釈願證と授け
られたことに始まります。今回は訪問しておりません)


                    弁財天 赤い鳥居のところです
 
弁財天
長松寺(彦根)の僧が記した沖島弁天記に弁天を祀ったとの記
録が残されている。雨乞い弁天として信仰されている。 (今回は
訪問しておりません)


                             奥津島神社本殿

奥津島神社
藤原不比等(*)の創建といい、延喜式神名帳所載(**)
の奥
津島神社の比定社(***)のひとつです。鳥居の社標は憲政の
神様という尾崎行雄(****)の揮耄による。宮世話は島で42
歳になった者が1年間行い、その交代式は大晦日の深夜に行わ
れます。


              奥津島神社鳥居:この社標は尾崎行雄の筆

(*)藤原不比等
ふじわらのふひと)
   飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿・政治家。正二位右大臣。
   藤原氏の始祖である藤原鎌足の次男であり、4人の息子らと共に藤原
   氏繁栄の基礎を固めた。

(**)延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう):
    延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当
    時「官社」とされていた全国の神社一覧である。

(***)比定社(ひていしゃ):
     
延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社
   のことを論社(ろんしゃ)・比定社(ひていしゃ)などと呼ばれる。

(****)尾崎行雄:
    戸籍上は安政(あんせい)6年(1859)11月20日神奈川県生まれ。
    号は咢堂(がくどう)。 国家主義自由主義的政党政治家。

すんません、柄にもなくえらい硬い文章、面白くもない構成になりました。
私も知らない事ばっかりなもんで、この際と思い調べまして記録しました。


              おきしま資料館:空き家となった民家を再利用

おきしま資料館
築100年以上の民家を改築し、平成17年にオープンした。沖島の
生活資料などを収蔵、展示する

 
            おくどさん                 展示室

このおくどさんなんて、私の小さい時の主要台所 装備でございまし
たんや! 他に今ではプラチックに変わった容器や被り物。そうなん
ですか! もはや資料館に置く生活用品ですか、複雑でございます。


小アユの佃煮などなど 


                  小鮎の佃煮  琵琶湖、滋賀の名産です

沖島の小鮎の佃煮、大フアンになりました。勿論好みは人それぞれ
です。私のような左党の者にとっては水あめを使っていないんでしょ
うね甘過ぎず、ベトベトとせず、程よい硬さ(歯ごたえ)、そして山椒が
しっかりと効いています。 沖島
港で売っていました


結構多い乗船客

 
   定期船、結構多いお客が降りてきました         喫茶店もあるよ

離島の指定を受けたこともあるんでしょうか、二組のツアー客と狭い
道路ですれ違いました。定期船が入ってきました。結構沢山のお

さんが降りてきます。 この手書きの喫茶店の看板が嬉しいですね。

     今日もご訪問くださいましてありがとうございます。

      次の第三部では沖島を後にして周辺の名所の
         ご紹介です。よろしくお願いします。


      


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Kennyの歴史探訪取材日記:沖島周辺を訪ねてー01

2013-09-08 12:12:07 | ブロガー:滋賀県の企画

 沖島周辺を訪ねて:近江八幡市
              第一部 (全3部)

    沖島(おきしま)、こんなところです

  そうかー、沖島ってこんなに特徴のある島なんだ


                     沖島  堀切港へ帰路の船上から

沖島(おきしま)所在地

 
           近江八幡市観光物産協会のリーフレットより拝借

第一部では先ずは沖島の紹介です。以下の情報は、県から配布
の資料、前述の観光物産協会、現地おきしま資料館で入手の資
料から引用、一部はその情報を私の言葉で記載しております。


                   堀切港  沖島への港

7つの姓(小川、北、茶谷、中村、西居、久田、南)
この島の姓はこの7つで殆どです。なぜ??現在の島の人たちの
直接の祖先は、1156年~1159年の「保元・平治の乱」の戦い
に破れて武士が漂着して住み着いたことに始まるようだとのこと
です。山裾を切り開き漁業を生業とし居住しました。

 
  
彼ら源氏の落武者の姓名:小川光成、北兵部、茶谷重右衛門、、中村磐徳、
                   
西居清観入道、久田源之亟、 南源吾秀元

 
                    ぎっしりと狭い通路を挟んで家が建つ 

何時から人が住む
もっとも、島には数千年前の縄文時代の遺跡もあり狩りをして生き
た時代から人が住んでいたと思われます。また713年頃、藤原不
比等が奥津島神社を建立しています
第二部で詳細)。


                         沖島港  早朝 漁から帰り係留

住民の殆どが漁業
住民の殆どが漁業関連の仕事に関わっておられます。その証は、
なんと言っても港に係留された漁船の多いこと。面白いと言っては
怒られるかもしれないですね、「漁師さんは深夜から早朝が仕事
の時間です。お昼は睡眠の時間につき見学時の大声は禁物」と
注意がありました。本当に狭い居住区です。家の間を縫って狭い
道路があります。配慮は当然だと思います。


  信長が沖島に出した手紙 (私は古文書は読めません、お褒めの?)
                       おきしま資料館)

信長から褒められて
織田信長から感謝状と沖島へ琵琶湖での漁業の特権が与えられ
ています。これは戦後の漁業法改正時まで継承されました。褒めら
れた背景は戦国時代の事、信長が浅井攻めの際に島民に船を差し
出すよう命令を出し、この時の一戦で活躍したことによります。

  
           石切場  地肌が見えているところ 跡地は畑に

石材業が盛んだった  
島は良質の石英斑岩が採れます。 享保19年(1734)の近江
興地誌略」にも記載があるなど古くから石材の切り出しが行われ
ており、コンクリートブロックの時代に入り、また陸上輸送との競争
にも力を失い、昭和45年に歴史の幕を下ろします。今も石切場跡
があります。琵琶湖疎水、南郷洗堰、東海道線の鉄道にも使われ
ています。


            島民は島の東南の湖岸 600mの範囲に居住
         (島の沿岸部、写真中央にその集落が見えています)


支えあい・ふれあい
島内には元気なお年寄りが多いそうです。なんでも要支援・介護率
が市全体の半分で、高齢化は逆に2倍。なぜ? 支えあい・ふれ
あい
、島のコミュニティーの賜物です。島全体が家族のように支え
あっているという事です。 


                     移動手段の三輪車

居住区・
 の交通手段
島内の移動は三輪自転車、後部荷物台付です。自動車は勿論、
オートバイもありません。必要がない
のです。島の居住区が600m
位の間でしたか、島の南東の南西寄り沿岸にあります。 自転車で
十分です。ところが島では自家用車並みに、一軒に一隻以上の船
が所有されているそうです。

島の大きさ、人口
周囲6.8km、東西 2.5km、対岸から1.5kmです。 人口は
現在300人。元は800人いたのですが・・・、 と西福寺の住職さ
んが、寂しげに。  
             

 沖島、堀切港(沖島への港)、長命寺、伊崎寺へのアクセス

 
                     同観光物産協会のリーフレットより拝借

                  
              (H23年9月7日現在)
                  写真の上を クリックして拡大版をご参照ください

            あのね・・・・、堀切港には駐車場がないんやわー (-・-)
                         JR近江八幡駅からバスが出ています
           近江鉄道バス 077 589 2000 (
同 協会パンフレットより)
                  
沖島を訪問、観光もしたいが・・・
私自身も今回、沖島の歴史を学び、それを今に伝える遺産を見る
機会に接して、沖島の魅力を感じました。 淡水湖で唯一人が住む
沖島、船で渡り、ちょっとした異国情緒、見所いっぱいです。民宿も
あります。なお、お寺、資料館などは予約をしてのお出かけがいい
です。観光客が増えて係員他が常駐され、予約不要になれば最高。

沖島が離島地域の指定 
沖島を離島地域に加えることが事実上決定した。湖沼の島の指定
は全国初。国交省によると、離島全体の人口は、約60年前に比べ
て50%以上減少している。沖島は今回の離島指定に伴い、深刻な
人口減少を防いで定住を促進するため、ハードとソフト両面で国など
からの支援を受けやすくなる。(京都新聞より抜粋引用)


   沖島の文化、観光など、続きは第二部をご覧ください

           ご訪問いただきありがとうございました



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Kennyの歴史探訪取材日記:余呉湖から高時川上流域

2013-09-02 18:49:17 | ブロガー:滋賀県の企画

 「滋賀県のいいところ」紹介
   近江歴史探訪取材記(Cコース)
      Cコースの表紙と目次です
 
余呉湖周辺から高時川上流域を訪ねて

             (滋賀県長浜市余呉町)
      滋賀県教育委員会文化財保護課の企画
      ブロガーとして参加させて頂きました

              今回は
高島市、日野町(蒲生郡)に次いで3番目、余呉町のお話です

下記に目次がありますので、1部、2部、3部とそれぞれ (ここを)
   をクリックしていただき ご一読下さいますようお願いします。


 賎ケ岳山頂から余呉湖周辺 左上に行市山のピークが (2007年10月撮影)

余呉町は、こんなところです
私、Kennyの生まれた琵琶湖の北端、塩津しお:現長浜市西
浅井町と行市山(佐久間盛政の砦)を隔てた隣どうしの町です。なんと言
っても「賎ケ岳の合戦」のど真中、その激戦地だった所です。

今回の探索はこの戦国時代の遺跡ではなくて、まだまだある余呉町
の魅力です。余呉湖、それにまつわるお話、天女伝説、奇祭、神社仏
閣。他にも湖北ならではの食文化、
リゾート地。最近では奥深い山岳
地帯を歩く余呉トレール等々、それらは本当にこの余呉町の魅力で

す。結構面白いところですよ!
今日はその内の幾つかを紹介します。

JRで余呉町にお越しの場合は
北陸線、余呉駅
です。駅にはレンタルの自転車もあり、歩いてはねー、
の方には余呉湖 周囲6kmを楽ーぅに自転車で一周して探索できます。

        さて、それでは探索開始です
       三回(部)に分けてこのブログでUPします

3部の各日記は下に掲げます目次(ここを)リックしてください

1.第1部:  天女伝説    ・天女衣掛けの柳
  (ここを)                   ・天女の銅像
                   ・桐畑太夫屋敷前

          蛇の目玉石、 蛇の枕石
 
                  鳥帽子岩・お膳岩

2.第2部:  余呉湖今昔  ・飯浦送水隧道
  (ここを            ・余呉湖放水隧道
                   ・同、放水隧道

3.第3部:  神社仏閣   ・乎弥
おみ)神社・乎彌神社            
  
(ここを                        ・洞寿院
                                       ・弘善館
                  
         祭り、文化   ・茶わんの館

          特産物、賤ケ岳サービスエリア


      余呉湖(鏡湖) 国民宿舎 「余呉湖荘」
前から 2007年10月撮影


             余呉町へのアクセス

                          
                     クリックで拡大してご覧ください

                 奥琵琶湖観光協会のパンフレットより

    

       今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

 

コメント (2)
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