野洲市内の 城址巡りをしています
滋賀県野洲市
(第9回:全10回)
Kennyの滋賀から情報発信
野洲市内の城址
今日見てきた市内のお城址は今から450年以上も前の六角氏の家臣
の城址です。
岩倉城址
馬渕氏の居城との説
近江の守護、戦国大名六角氏の有力家臣で、守護六角氏の守護代として
活躍した人物です。
毎回ここに集まり、目的地確認です
今にも雨が・・、でも決行です。 三上山山頂もガスの中
5爺、希望が丘文化公園、中央道を漕いで
せいぜい標高200mちょい。 でも普段登山なんか、の爺にはね~
岩倉城址(古城山) 到着です
主郭と思われる広場(曲輪)で語り合う 5爺にわか歴史学者
曲輪を探索です
周囲は土塁に囲まれています
桜本の池
底なし池で、干ばつでも枯れないと言われています
掘切でしょうか
虎口(城の入り口)の石垣とのことです
何を語る5爺にわか考古学者
5爺が見つけました!! 矢穴(やあな:石を割るときの楔穴)
皆さん、見る目が変わってきましたな~~、凄い!
Kennyの確かそうやったはずやが・・・
この岩倉城やその両隣の小堤城山城、星ケ崎城、さらには三雲城等は
六角氏が信長の攻撃など危機を迎えた時に居城の観音寺城から甲賀
郡中惣へ逃げ込む時のルート上に築いた城だと専門の先生の講演で
お聞きしたように記憶しております。さらには信長は恐れをなしてこの地
には近づかなかったとか。
なにせ、ど素人の私、聞き違いなどであればお許しを・・・
甲賀群中惣とは、滋賀県甲賀郡甲南町にある土豪、地侍といった小領
主による連合で形成された自治組織でお城の数は400とも言われて
います。甲賀忍術武士団とも呼ばれ、全国の各藩で活躍し、戦乱の世
を生き抜いたと語り継がれています。伝説の猿飛佐助は甲賀忍者です。
詳細は 甲賀郡中惣
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(12月12日UP)