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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの山のお話:伊吹山

2012-12-05 05:28:11 | 伊吹山

   伊吹山のここがわからん
     =なるほどそうやったんや=
  県主催の講座、伊吹山の文化的景観に参加して
              (Kennyの滋賀より情報発信)

 
講師先生の紹介
米原市教育委員会文化財保護室の高橋順之氏です。先生は地元の
お生まれで伊吹山を見て 歩いて育ち 伊吹山そのものでしてお話しに
現実味、迫力があります。講座の会場は県立安土城考古博物館です。



             名神高速 伊吹SA付近から早朝の伊吹山

いい山です、伊吹山
毎年少なくても3回は伊吹山に登ります。麓の上野から2時間50分
もあれば山頂です。真冬は誘われてもごめんですが春、初夏、晩秋
伊吹山は山でこその風景が格別です。それは平地での、800m
1370mのそれぞれの自然がそこにはあるからです。また伊吹山は
お花の山で有名です。


                     日本武尊石像 (大正元年建立)

ここになぜこの像が
日本武尊(やまとたける)が東の国征伐から帰る途中伊吹山に荒神
がいることを聞きその荒神を征伐するために伊吹山に登ります。

山頂近くに達すると大きな白いイノシシが現れたため弓矢で威嚇し
さらに進んだところ急に熱を出し気を失います。このイノシシは山の
神の化身で怒りにふれたからです。 怪我をして退散、醒ヶ井に流れ
る地蔵川の湧水、居醒の清水で傷を癒すがその時の怪我が元で能
褒野(三重県亀山市)亡くなりました。石像は亡くなった三重県の方を向
いています。(この項、ブログ伊吹山もりびと会から大意を引用させて頂きました)


                 講座当日の画像資料


伊吹山のここがわからん
ところで、1合目を過ぎると視界を遮る樹木がない。その上一部を除
山頂までは草原を歩いているようで夏は日陰がなくて難儀します。
崖っぷちにお堂が、あれは何んだ? なんで伊吹山に山容を変える
程のセンメント工場が出来たの? 伊吹もぐさ、等々他にも私にとって
この山には知らない事がまだ一杯ありますがこれらの疑問がこの講
座で一気に解消です。

   
            草刈り場 (長方形の白い部分)

雪がれば五合目から上の草刈り場がなお一層はっきりします。
そうか
草刈り場でしたか、それでここは下から見ても いつ歩いても草原に
見え 草原そのものだったんです。昭和30年頃までは一合目から山頂
までお花畑だったそうです。そしてここは地元住民の生活の糧を得る
重要な山でした。それは薬草、農耕用牛馬の餌、肥料用の草をここ
で採取し、麓に降ろしていました。薬草は元々あったそうですが 織田
信長がポルトガル宣教師に命じてヨーロッパから持ってきた薬草を植
えて薬草園を開かせたことで伊吹山は薬草の山となりました。

高橋先生は当時の何枚もの写真(モノクロ)で解説されましたが残念な
がら写真提供者の許可を得ていませんのでここに掲載は出来ません。
作業の様子、背負子での用具の荷揚げ、放牧など、当時の非常に貴
重な映像です。

                            


                   行導岩 (八合目の西方向に)

伊吹山修験の霊場です。三修上人(さんしゅうしょうにん)が奈良時代に
山岳信仰の霊地として伊吹山を開いたそうです。(現地解説板の情報です) 
江戸時代には山岳信仰の霊地として槍ヶ岳を開いた幡隆上人(ばんり
ゅうしょうにん
)もこの行導岩
で修行をしています。

                
             詳細はここをクリックしてください

                         手掛岩 (九合目の西方向)

その昔は山の六分より上
は女人禁制だったそうです。そんな中修行
中の夫に会いにきた
が強風が。その岩にしがみ付き岩には今も手の
跡がとあります・・。(現地解説板の解説)

            
          詳細はここをクリックしてください


                    当日の資料映像

伊吹山は戦国時代の戦場、砦でもありまた。上平寺館跡、上平寺城
跡、弥高寺跡 これらは鎌倉時代~戦国時代 北近江を支配した名族
京極氏にかかわる遺跡として史跡指定されています。例えば
弥高寺跡
は上平寺遺跡の西側尾根上に位置する寺院跡で、天文5年(1536)
には40坊以上があったと記録されます。竪堀等もみられることから京
極氏によって上平寺とともに城郭として改修されたとのことです。

                 弥勒堂 (山頂)

弥勒堂(みろくどう)は伊吹山山岳信仰の中心的な施設だったそうです。
詳細は下の現地解説文をご参照きださい。


                  
                 現地案内板(拡大します)


    伊吹山は海底火山が隆起して生まれました (当日の映像資料)

セメント工場:山容の変形は、
隆起は1億5千年前のことです。 ウミユリやフズリナの化石が発掘さ
れています。このことがセメント会社が進出した背景です。

伊吹山は約3億年前に噴火した海底火山でした。地層は約2億5千年
前の古生代に海底で形成されその時期にサンゴ礁が出来たため、良
質の石灰岩が産出する場所として着目されました。セメント需要の急
増により伊吹山の石灰岩も大量に採掘されてきました。そのため、山
容が変形する程になりました。(ウキペデアより抜粋引用)

   
                    石灰石採掘前の山容(赤い線)

上の写真は当日資料として使われたスクリーン映像を参考に私が
同じ角度から撮った写真に赤い線を引きました。


いぶきやま(さん)
伊吹山を いぶきやま いぶきさん、皆さんはどっちで呼びますか?
私は最近まで いぶきさん です。 先生のお話では滋賀南部は前者、
北部は後者 いぶきやま のようだと。しかし北部生まれの私は前者
(さん)です。
先生はこれに関しては信仰心の強い、または何らかの繋
がりがある地域では さん というそうです。確かに私の生まれ育った村
には白山神社という小さな祠が村の鎮守さまの中にあります。そんな
土地柄だったのかも知れません。

追記(12月15日)
今日、同郷の友が来訪。我家に掲げている伊吹山の絵画を見て、おお
「いぶきさん」やな、と。 事前の話はなしにです。確信です。


世界記録
それは降雪量です。伊吹山は有人観測史上1位の1182cmの積雪記
録を持っています。これは日本記録と同時に世界記録でもありギネスブ
ックに登録されています。1927年(昭和2年)2月14日のことです。また
一日に降った
量でも2.5mの記録を持っています。その有人の観測所
は今はもうありません。

 
            伊吹山気象観測所          解体現場 2010年10月

まだまだ話題は尽きないが
お花畑には固有種がどっさりと。そばどころ、古い歴史のスキー場が
あった。石材も豊富でした。伊吹山は
日本の中心、くびれの部分に位
置するんですね。しかも東山道が横切る位置でもあるんです。等々い
ずれまた機会を見て取り上げます。


                当日の映像資料

お断わり
この日記は先生のお話と私が実際に山を歩いて、またネットで得た情
報の
補足で書いています。先生のお話を聞き違えたり勘違いがあるか
も知れませんがどうか素人の日記とお許しください。

高橋先生のお話は「伊吹山の文化的景観」と題して1時間半、風土と
人々の営みに至るまで多岐に亘る内容でした。ここではその内関連
する内容を引用させて頂きました。


この講座、先生のお話を掲載することについては主催者、講師先生の
ご了解を頂いております。

       Kennyのこの秋の伊吹山登山記録はここから         

      今日も訪問いただきありがとうございました


 


 

 

 

 

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8 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-12-23 06:45:54
Rieさん、ご無沙汰です。コメントありがとうございます。 木曽にスキーに行ってましてお礼コメント遅れました。これからはスキーが日帰り、泊でとほぼ毎週とこかに出かけます。3月末まではね。雪が解ければ山だし。

伊吹山、本当に楽しい山です。目的は同比重で登山とカメラです。登りも下りも這いつくばっての撮影など一度行くとだいたい500枚位。お花は弱いです(これまであまり興味がなくて)が最近は撮ります。ものすごい数のお花に驚いています

敦賀経由の8号線、実家に200mの大接近で通過ですね。私達のことをそのように言って頂き、嬉しいです、ありがとうございます。

Kenny
返信する
お久しぶりぃ。。。 (Rieちゃんです)
2012-12-23 01:40:00
忙しくて なかなか読みに来れませんでした。お久しぶりですぅ~ 足を傷めてから なかなか山に行けなくて 皆さんとも会えずに とっても淋しいですが 今しばらく我慢して もう少し足が良くなってから 行こうと思います。

さて
伊吹山には 今年初めてママさんとスーパー女史のお二人に連れて行ってもらいました。 小雨まじりの梅雨時だったのですが、 幻想的でいろんなお花が咲いていて感激しました。

先日、福井の小浜へお墓参りに行ったら 通行止めで
高島から入れずに 敦賀回りで迂回 帰りも敦賀から塩津街道を通って 8号線、2号線を走って帰りました

その時に 伊吹山を近くで見て また 春には行きたいなぁ~と 思いました。。。

こんな処で 御挨拶も変ですが・・・
今年は kennyさん御夫婦と出会いがあって とても
幸せでした。 有難うございました。 来年も宜しくです
返信する
知りたかった事が一つひとつ自分のものになる (kenny)
2012-12-17 07:41:14
ポエムさん、おはようございます。趣味もそうなんですが興味は尽きません。 添えた資料や写真に触れて頂き嬉しいです。結構出かけますが景色や趣味に関する何かが目に入るとこれも必ず持って歩くカメラで記録する習慣がついてしまい こんな偉そうな事を書く時に確かこんな写真があったなとなります。 本当に継続は・・・と実感します。

私達が登る殆どの山は山岳信仰の山ですね。その背景もだんだん分かってきました。この頃登山は辛くて、もっとも身に合ったですが、それでいいんだと思うようにしています。

毎日ギターを触らない日はありません。精霊流し、白いギター、なかなかいいですね。ところで今度のギターお休みさせて頂きます。 

いつもコメントありがとうございます。

返信する
内容が厚いですね。 (ポエム)
2012-12-16 20:34:33
多くの資料、解説に添えられた写真に、Kennyさんの知識が伺えます。興味を持たれる分野での講義は楽しく、益々奥深い部分の知識も増やされると思います。

伊吹山は眺めるだけですが、滋賀の誇る雄姿の山だと思います。三上山も綺麗ですね。
手掛岩、興味が湧き解説を読みました。神の域に一度立ちたいと思いますが、、、残念です。

今日は色々仕事が捗りました。
返信する
伊吹山にお城があったことに驚きです (kenny)
2012-12-16 17:30:47
八幡遊人さん、今日もN先生のお話は面白くあっと言う間の時間でしたね。最近小堤城山を城跡見学付の山として紹介をとこの3か月ほどで10回以上登っています。早速過日はブログを見てお話下さった写真のH先生をご案内しました。

ところがいつも疑問を抱いていたのが今日はこれはお聞きしたいと思っていた質問です。先生は星ケ崎は城ではないかも?と。ならば理解できるなー、でした。でも六角が逃げる手段として幾つもの城(砦でしょうね)を作ったから 並んであっても不思議ではないとの事でした。六角はいつも甲賀に逃れるのは聞いていましたがその手段としての築城は初めての情報で勉強になりました。

伊吹山を認識(?)したのは中学時代以降で、それもあまり興味はありませんでした。極く最近ですが山仲間が弥高寺や上平寺城跡に誘ってくれて初めて戦国時代とのつながりを知りました。 こうなると次々に知っておきたいことが出てきますね。困ったことです。 そして記憶力がゼロに等しくなった今こんなことでブログに記録しております。

是非、真夏は避けて涼しい日に登ってみてくださいね。いつもコメントありがとうございます。 次は京極氏の菩提寺、柏原にある徳源院を書くつもりです。
返信する
私も伊吹山はこちらで (八幡遊人)
2012-12-16 11:21:24
Kennyさん、こんにちは。
伊吹山について詳細なご紹介ありがとうございました。
滋賀県へ移り住んだ私にとっては伊吹山はあまりなじみが
ありませんでした。しかし、今の住まいからは晴れた日には
遠くに伊吹山を望めます。冬の冠雪は特にきれいです。
で、遠目に眺めながら最近歴史講座で伊吹山(京極氏)
上平寺城とお話を聞くと、俄然興味がわいてきております。
セメント原料採掘で山容が変化するほどとのことで残念ですが
それも遠い昔海底でサンゴが発生していたところが
現在隆起して山になっていると聞くと大自然のすごさに
驚いているしだいです。
さらに茲愉有人さんのコメントでまたいろいろな知識が
増えました。このブログ、楽しくてまたためになります。
今後ともよろしくお願いします。
本当に一度伊吹山に行かないといけなくなりました。
返信する
私にとって伊吹はこの項を! (kenny)
2012-12-15 07:01:10
茲愉有人さん、おはようございます。長い間そのままになっていました。最近はネットで簡単に勉強出来ますのでその内、がいけないのですが、今回は何んとぴったりの講座でした。 色々な関連情報、ありがとうございます。お蔭さまでこれから伊吹山に関してはこのブログを開けば完璧となります。ブログはそういう面でも有難いですね。何処にいても検索が出来るところが嬉しいです。それと「伊吹山もりびとの会」が素晴らしいです。今日も嬉しいコメントありがとうございます。やり甲斐が出てきます。Kenny
返信する
参考になります! (茲愉有人)
2012-12-14 22:49:41
私も数回伊吹山に登っいますが、伊吹山を総合的に考えてみたことはありませんでした。
行導岩のこと、初めて知りました。見ていても素通りしていたのでしょうかねえ。

読ませていただき、なるほど・・・です。伊吹についての知識が整理でき、楽しく読ませていただきました。また好奇心への刺激も。
早速、「伊吹山もりびとの会」のサイトにもアクセスしてみました。

久しぶりに手許の『日本百名山』(深田久弥著)の「伊吹山」を読み返してみました。
昔読んだのに、こんなことに触れていたのか・・・と愕然です。全く記憶にありません。
信長が命じて、「方五十町の薬園を作った」ということにちゃんと触れていますね。
藤村の詩の一節「懐へば琵琶の湖の ・・・ 東胆吹の山高く」や百人一首にも言及していたなんて。

山岳信仰というと修験道、役行者や不動明王を連想してしまいます。
弥勒堂ということは、延暦寺に回峰行があるように仏教での修行の一つだったのでしょうか。「伊吹山もりびとの会」では、「実践者を修験者または山伏という」と記されています。仏教と修験道の関連、私には今一つその関係が整理できていません。

ちょっと興味を抱き、ネット検索してみて、
山頂を大乗峰といい、登頂することを「伊吹禅定」と言っていたというのを知りました。
白龍神社の鳥居が東散歩道の方にあるということも。     (登っていても、見ていないところがある!)

伊吹山文化資料館といいうのもあるのですね。
http://www.zb.ztv.ne.jp/mt.ibuki-m/

こんな資料を偶然に見つけました。「伊吹山の歴史・文化」
http://www.pref.shiga.jp/d/shizenkankyo/ibukiyama/20080529/siryou2-2.pdf
たぶん、拝聴された講義で触れておられた内容だろうと思いますが。

「伊吹山再生全体構想」という資料もありました。上記資料はどうもこのまとめの一部のようです。
http://www.pref.shiga.jp/d/shizenkankyo/ibukiyama/20090216/kousou.pdf

他にも有益な情報が得られそうですが、マニアックになるのでここらで止めておきましょう。

今回の拝読が、伊吹山登山、醒ヶ井を訪れたことなどと重なって、また一つ、トリガーになりました。
ありがとうございます。
返信する

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