多治見・中津川間 中津川電化目前の多治見
瑞浪電化から2年3ヵ月が経過、昭和43年10月、ヨンサントオと呼ばれた白紙ダイヤ改正で中津川電化が開業した。
このダイヤ改正で無煙化が大幅に促進され、全国各地で多くの蒸気機関車が姿を消すことになった。
「9月30日14時4分、最後の蒸気機関車D51-777が下り列車を牽引して多治見駅を発車」と地元紙が報道。
この電化開業までの間、家から比較的近い多治見・中津川間には何度もD51の撮影に行く機会に恵まれた。
電化に備える無粋なコンクリート架線柱は随所で見るものの、東濃路の急勾配に挑む迫力ある姿は今でも忘れない。
43年7月14日、中津川電化を目前にして1年ぶりに多治見近辺で撮影。
駅北側の跨線橋から土岐市方面を望む。D51が牽引してきた上り列車は多治見でEF60に機関車を交換する。
D51-528[中]を先頭に重連で到着する上り松本発名古屋行826レと待機するEF60
虎渓トンネルの上から見た多治見市街の風景。複線化で新設の下り線トンネルに向かいD51が20‰勾配を登ってきた。
D51牽引の下り中津川行621レ
汽笛を鳴らしてトンネルに入る
キハ91系が定着した下り急行"第2しなの"
新虎渓トンネルに向かう 後尾から
1968.7 多治見・土岐市
機関車交換のため上下線とも旅客列車の多治見停車は7、8分、長いもので9分。土岐市側の跨線橋から多治見駅構内を望む。
D51-827[中]の機関車付替え作業
D51-827[中]に機関車交換して発車する下り長野行829レ
D51牽引の上り中津川発名古屋行628レの到着
この頃、長野工場式集煙装置を付けたD51が目立ち始めた。
集煙装置取付けのD51牽引の下り塩尻行833レの発車
集煙装置取付けのD51-265[中]牽引の上り長野発名古屋行828レの到着
中津川機関区のナンバープレートは青地塗装。煤けて機番が明瞭でないのはトンネルが多いので当たり前のことであった。
1968.7 多治見駅