ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(59・無煙化が進行する高山線美濃太田③)

2015-11-18 | 昭和40年代の鉄道(高山線他)

D51と貨物列車

昭和43年3月当時、高山線の貨物列車は美濃太田機関区のC58と高山機関区のD51が牽引していた。
この日、岐阜からD51が牽引して下り貨物列車がやってきた。おそらく臨時貨物であったと思う。

D51-338[高]牽引の下り貨物

1968.3 坂祝・美濃太田

美濃太田で45分間停車して北上していった。先に急勾配は控えていないが、爆煙の発車風景。C58とは迫力が違う。
フイルムは当然手動巻きだが、何枚か撮れた。駅で撮る楽しみはここにあった。

D51-338の高山線下り貨物







1968.3 美濃太田駅

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(58・無煙化が進行する高山線美濃太田②)

2015-11-14 | 昭和40年代の鉄道(高山線他)

機関区とC58

美濃太田駅から400m程西に美濃太田機関区があった。配属のC58のナンバープレートは名古屋機関区と同じ赤色。
美濃太田機関区のC58は、高山線の旅客列車及び岐阜・美濃太田間の貨物の一部、太多線の貨物列車を牽引していた。
43年10月に岐阜・高山間が無煙化されてから1年間、美濃太田構内の貨車入換で使用されたようである。

美濃太田機関庫 C58とDD51の姿も


ターンテーブル上のC58と扇形機関庫


C58-280[美]と給炭槽、右にガントリークレーン


DD51-559と並ぶC58(機番不明)


美濃太田から岐阜方向は15‰の上り勾配。前照灯シールドビーム化の美濃太田機関区のC58が貨物列車を牽引してきた。

C58牽引の上り貨物



1968.3 美濃太田・坂祝

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(57・無煙化が進行する高山線美濃太田①)

2015-11-11 | 昭和40年代の鉄道(高山線他)

C58と旅客列車

昭和43年3月10日、高山線の美濃太田を訪れた。高山線起点の岐阜から東へ約27キロ、美濃加茂市の中心である。
分岐する越美南線(現在は第三セクター長良川鉄道)の起点、太多線の終点で美濃太田機関区があった。

高山線は45年3月を目標に全線ディーゼル化が計画され、すでに蒸気機関車からの置換えが進行中であった。
岐阜・高山間の無煙化はこの年10月に完了したので、写真は同区間で蒸気機関車が終焉する半年程前の光景になる。

旅客は美濃太田、高山機関区のC58か前者のDD51が牽引、一部は美濃太田以北をDD51に交換する運用であった。
美濃太田区のDD51は、主に半重連形(501~592)が配属されていた。

C58は、戦前から戦後にかけて431両が製造された。客貨両用、地方線用の中形蒸気機関車である。
撮影する機会が少なかった機関車であり、高山線に行ったのもこの日限りであった。

美濃太田を発車するC58-368[美]牽引の高山線上り岐阜行826レ    左の線路は越美南線、奥に機関区の煙






午後、C58-368が下り高山行833レを牽引して岐阜から戻ってきた

1968.3 坂祝・美濃太田

833レはDD51-556に機関車を付替えて美濃太田を発車 

1968.3 美濃太田駅

岐阜からDD51ー554の牽引できた下り高山行831レ

1968.3 坂祝・美濃太田

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和40年代前半の鉄道写真(56)

2015-11-08 | 昭和40年代の鉄道(高山線他)


名鉄"たかやま"号の時代

昭和40年8月、名鉄は8000型気動車を新造して、準急"たかやま"号として高山線への直通運転を開始した。
名鉄神宮前・高山間の運行で名鉄犬山線の鵜沼から国鉄に乗入れ、国鉄の制度改定で翌3月には急行に格上げされた。

8000型は、キハ58系に準じた機器を使用して、名鉄パノラマカーの固定式連続窓、ミュージックホーンを継承。
側面のエンジン冷却の大きな通風口が特徴で車体幅が狭く華奢な印象であった。国鉄の気動車急行色に塗装されていた。
二等先頭車8001、02、中間車8051、52、一等先頭車8101、中間車8150の計6両が製造されている。
準急にして国鉄の特急車並みの設備を誇り、全車指定席で運行される等人気の高い列車であった。

45年から、立山までの急行"北アルプス"に改称された後、51年に格上げされて最後は特急として走った。

名鉄線内を走行する準急時代の上り"たかやま"号

1965.8 名鉄金山橋・神宮前

名鉄神宮前に到着した上り急行"たかやま"号

1967.6 名鉄神宮前駅

43年3月、美濃太田に向かう途中、名鉄犬山線からスイッチバックして高山線に入る"たかやま"号を撮影した。
新鵜沼駅の手前の犬山寄りにあった名鉄と国鉄の短絡線が完成して47年に使用開始されたが、それ以前の写真である。

写真は時系列に並べているが、記録していなかったので説明記事に記憶違いがあるかもしれない。

名鉄新鵜沼で客扱い後、一旦バック


前進して引込線に向かう 後尾から


引込線から再びバックして高山線に入り、鵜沼に停車して高山方面に向かう

1968.3 高山線 鵜沼駅付近

当時、名古屋発着の循環列車、気動車急行"しろがね"、"こがね"が運行されていた。
"しろがね"は東海道・高山線経由で、富山から北陸線に入り米原を回って帰ってくる。"こがね"は逆回りで運行された。

"たかやま"号に30分程先行して高山方面に向かう、キハ58系、55系混成の急行"しろがね"と腕木式信号機


後尾から

1968.3 高山線 鵜沼・坂祝

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする