名古屋・多治見間 電化後の神領駅周辺
勝川・春日井・神領・高蔵寺・定光寺と進む。
この5駅は春日井市に位置する。春日井からは現在も王子製紙春日井工場への引込線がある。
来る中津川電化に備えて沿線に大規模な電車基地建設が計画された。春日井・神領間にある神領車両基地である。
瑞浪電化から約1年後、昭和42年8月に起工された。写真は、一大基地の影も形もない起工した頃の神領周辺。
測量が始まった頃 神領の高蔵寺方向の北側
神領に入線する上り電車 最後尾クハ68形
1967.8 神領駅
下り急行第3"しなの" 右手前方に神領車両基地が建設された
上り中津川発名古屋行550D 先頭キハ17
EF60牽引の上り中津川発名古屋行628レ
1967.8 高蔵寺・神領
名古屋・多治見間 電化前後の新守山駅周辺
大曽根から新守山・勝川と続く。
新守山は昭和39年4月に中央西線で最後に開業した駅で、北に進み市境の庄内川を越えた勝川は春日井市にある。
千種駅が移転して貨物扱いを廃止した後、新守山が貨物扱い駅になった。今や住宅街であるが、田畑の中にあった。
40年頃は入換専用の稲沢第一機関区のC58が見られたが、瑞浪電化後はDD13に置換えられた。
C58-230[稲一]の入換作業
1965.11 新守山駅
41年6月、電化まで後僅かの新守山で撮影。最後に名古屋機関区の赤ナンバープレートのD51を見ておきたかった。
EF60の練習運転が始まり、D51牽引の旅客列車は最早少ない存在になっていた。
D51-826[名]牽引の上り中津川発名古屋行634レの新守山到着
停車中 奥は貨物入替作業のD51-698[稲一]
田畑のなかの新守山に停車中の上り貨物
1966.6 新守山駅
41年7月、42年8月に電化後の新守山周辺で撮影。
電化直後、EF60-7牽引の上り名古屋行旅客
1966.7 新守山・大曽根
EF60牽引の上り臨時急行"彩雲" 前から2両目が1等車の7両編成 庄内川を渡る
1967.8 勝川・新守山
瑞浪電化を機に一部の旅客列車は多治見以北も無煙化されて、名古屋からDD51が牽引していた。
投入されたDD51は、稲沢第一機関区配属の非重連形の基本番台、初期量産型(20~53)であった。
DD51ー48牽引の上り長野発名古屋行828レ
キハ17の4連、下り太多線経由の美濃太田行551D、暑いので窓は全開
1967.8 勝川・新守山
名古屋・多治見間 EF60と暖房車
前回の写真にある暖房車について記しておく。
EF60には蒸気発生装置がなく、蒸気機関車の蒸気暖房が前提であった旧型客車の牽引には暖房車を要した。
電化後の名古屋・多治見間で、冬期は石炭燃料のボイラを積載した暖房車が機関車と客車の間に連結されていた。
暖房車の主力はマヌ34であったが、時にスヌ31も見られた。
EF60に連結された暖房車スヌ31
1967・3 名古屋駅
昭和43年の正月、名古屋・金山間で撮影。
旅客、貨物列車とも牽引するEF60は稲沢第二機関区配属のクイル駆動方式の1次量産車(3~14)が続いた。
EF60- 6と煙を吐くマヌ34 下り塩尻行833レ
1本前の旅客列車は真冬というのに暖房車が連結されていなかった。多治見まで約1時間の辛抱である。
EF60-5牽引の下り塩尻行831レ
EF60-14牽引の下り貨物
1968.1 金山・名古屋
42年12月、鶴舞・千種間で撮影。
EF60-2(先行試作車)と暖房車マヌ34連結の上り中津川発名古屋行628レ
1967.12 千種・鶴舞
名古屋・多治見間 電化前後の大曽根駅周辺
千種の先は大曽根・新守山・勝川で、新守山までが名古屋市内の駅である。
昭和40年10月、大曽根の北、庄内川支流の矢田川の橋梁でD51を撮影。コンクリートポールが建つ前である。
形式入り旧ナンバープレートD51-823[稲一]牽引の上り貨物
1965.10 新守山・大曽根
架線のない大曽根駅に停車中のキハ35系下りDC 後尾から
1965.10 大曽根駅
大曽根駅は築堤にあるが、千種・大曽根間の大半は掘割構造で複線化された。
架線が張られる前、千種に向かう上り急行"赤倉"
1965.8 大曽根・千種
千種側から電化後の大曽根方面を望む。
千種・大曽根間には、上り方面からスイッチバックして日本専売公社名古屋工場に入る引込み線があった。
右側が引込み線で、千種からこの地点までが掘割構造である。
EF60-2(先行試作車)牽引 暖房車連結の上り名古屋行普通列車
1967.12 大曽根・千種
かつて、特異なルートで大阪・日光間を結ぶ信越・日光観光団体列車が運行されていた。
41年10月のダイヤ改正で長野・日光間を廃止、大阪・長野間は団体専用列車、急行信越観光号として残された。
42年3月のダイヤ改正までの間に一般列車に置換えられ、継承したのが中央西線で馴染みの臨時急行"彩雲"である。
列車番号は以前と変わらず、下りは夜行3811レ、上りは昼行3812レであった。
ぶどう色時代のEF60-2牽引 暖房車を連結した上り急行"彩雲"
1967.3 大曽根・千種
名古屋・多治見間 電化後の千種駅周辺
名古屋から金山・鶴舞・千種・大曽根と続く。
昭和37年に完工した複線化は、金山・千種間は高架、千種・大曽根間は掘割式で建設された。
鶴舞駅は高架上にあり、千種駅は掘割構造である。写真は、41年7月の瑞浪電化後の千種周辺の様子である。
千種に入線するキハ58系下り急行第2"しなの"
当時から千種は急行停車駅で、上りは全列車、下りは一部の夜行を除く列車が停車した。
乗車する客は殆ど見られない
電化後、混雑時を優先に電車を投入するダイヤが組まれたが、長距離列車のみならず電化区間内発着のDCも残っていた。
上り瑞浪発名古屋行普通DC 最後尾キハ35
1967.9 千種駅
夏の夕暮れ時、鶴舞・千種間にあった旧千種駅跡から鶴舞方面を望む。
電化の終点の瑞浪行のスカ線形普通電車641M 夕方のラッシュ時で10両編成
千種方面を望む。左後方に河合塾本校、右手奥に雑誌の鉄道ファンを創刊した交友社が見える。
上り急行"赤倉"
EF60-5牽引の上り大阪行臨時急行"彩雲"
1967.7 鶴舞・千種
千種から鶴舞に向かっていく。
整備中の100m道路の若宮大通を横切るEF60牽引の上り普通列車
1967.8 千種・鶴舞
名古屋市電と交差する鶴舞付近を行く上り急行第1"ちくま"
1967.8 鶴舞・金山
千種停車中の下りDC 最後尾キハ17
秋の夕暮れ時の千種駅。
新潟からの長距離DC急行上り"赤倉"の到着 後尾から
17時40分を過ぎて帰宅ラッシュ時に差し掛かかると、下り列車待ちの乗客が急に増えてくる。
数年前に高蔵寺ニュータウンが建設されてから通勤客が増加した。以前は想像もしなかった光景である。
上り急行"赤倉"の発車
1967.10 千種駅