多治見・中津川間 槙ヶ根に挑む
昭和42年12月3日、冬の武並・恵那間で撮影。
11月に槙ヶ根に挑むD51を撮影したが、天候に恵まれず武並を発車する遠景が思うように撮れなかった。
再び行きたくても高校生の身分では簡単でないが、翌月、木曽路に行く親の自家用車に便乗する機会に恵まれた。
前回とほぼ同じ場所で、同じ下り貨物653レを撮った。
構内自体が曲線で上り勾配の武並に停車する貨物列車は、長い25‰区間を控えて必ず最高の発車シーンになる。
武並で交換する上り貨物652レは、この日、前2機、後補機の3重連であったが、間に合わず撮影できなかった。
定刻の11:05上り急行が通過して発車の汽笛が響き渡った。今回は見晴らし良好である。
D51の本務機、補機ともに黒煙を上げ、下り貨物653レの武並出発
本務機が急曲線を通過、中央から手前の築堤は新トンネルに向かう建設中の下り線
前回より貨物の編成が短く、少し余裕がありそう
後補機が通過、この先も25‰区間が続く。しばらくして本務機がトンネルに入り、絶気の合図が聞こえてきた。
ボォー、ボ、ボ、補機も同じく応える。
1967.12 武並・恵那
年を越して43年1月15日の撮影。
恵那・美乃坂本間で撮影後、恵那から徒歩で槙ヶ根に向かった。峠の恵那側での撮影はこの時が初めてである。
恵那側の25‰上り勾配は槙ヶ根トンネル内まで約3キロ続く。上り列車はさらに過酷な条件を強いられていた。
最初の上り貨物に間に合わず、11時15分頃、武並発車を撮影するいつもの下り貨物が絶気で坂を下ってきた。
D51-827[中]牽引の下り貨物653レ
峠に向かう道中、雪がどんどん激しくなってきたが、11時40分頃通る上り旅客列車を待った。
定刻より遅れて速度を上げたD51があっという間に走り去った。
D51-686[中]牽引の上り松本発名古屋行826レ
降り続く雪で写真を撮るのも難しく凍える寒さで次を待つ気になれない。歩かないと耐えらず武並に向かった。
駅まで来ると雪が止み、この後は釜戸・武並間で撮影することにした。中央西線電化の記録⑮に記載している。
キハ58系下り急行"赤倉" 下り勾配を武並に向かう
1968.1 恵那・武並
多治見・中津川間 晩秋の武並
昭和42年11月5日、晩秋の武並・恵那間で撮影。
下り貨物の武並発車で目覚めてから1年後、前回6月の現地状況と地図を参考に編成全体が撮れる場所を模索した。
国道19号線の土手から撮ることに決めて現地に向かった。一眼レフカメラに少し慣れてきた頃である。
千種から松本行普通列車に乗って武並到着10:17。小雨が降っていたが、D51の煙の撮影には好都合である。
DD51牽引の列車であるが、多治見からD51の後補機が付いていた。下車して急ぎ列車の後を追った。
D51の後補機付きの下り松本行827レ 武並を発車
槙ヶ根の峠に向かって歩を進めた。日本の原風景のような眺めのなか、下り急行が峠に向かう。
キハ58系下り急行第2"しなの"
恵那で急行と交換した上り貨物列車が坂を転げるようにして通過していく。
D51牽引の上り貨物652レ
後補機のD51 武並方面を望む
撮影目的の下り貨物653レは、上り貨物、急行と交換のため武並で10分間停車する。
歩いているうちに既に到着した列車が見えて、急いで国道に向かい薄を掻き分けながら土手を登った。
雨は止んだが、辺り一面は薄暗く霞み、遠景撮影には条件が悪化した。上り急行が11:05定刻通り武並を通過していく。
キハ58系上り急行第1"しなの"
停車中の本務機の長笛が響き、補機も負けない長い合図で応える。山に汽笛がこだまして2機のD51から黒煙が上がった。
ドラフト音を響き渡らせて25‰勾配をゆっくり、ゆっくり登ってくる。至福の時間である。
D51牽引の下り貨物653レ 遠く武並発車時の黒煙が残る
土岐川の最後の橋梁を渡る頃、本務機の煙は白く変わり完全燃焼で通過していく。気に入った写真が撮れた。
天候のせいもあり、物寂しさを感じさせられる風景であった。
本務機が林に姿を消して貨車が1両、また1両と目の前を通過。後補機が素晴らしい煙とドラフト音で押し上げていく。
満足して土手を下り、武並駅に戻って下り旅客列車の発車を待つ。
機番は不明であるが、当時の中津川機関区で重油併燃装置、集煙装置取付けは245と249の2機でいずれかの牽引。
D51牽引の下り中津川行621レ 武並発車
1967.11 武並・恵那
武並停車中の上り旅客列車。左手奥から中央に見える遠方の土手が国道19号線で、今回目指した撮影場所である。
この後、下り列車に乗って恵那・美乃坂本間の峠に向かった。
D51牽引の上り松本発名古屋行826レ 武並停車中
発車 この先は下り勾配が続く
1967.11 武並駅
多治見・中津川間 武並の魅力
釜戸から武並・恵那と進む。
武並・恵那間5.4キロは、槙ヶ根の峠越えがあり多治見・中津川間の最大の難所である。
下り列車は武並からの25‰上り勾配を2キロ以上行き、延長730mの槙ヶ根トンネルに突入して恵那まで25‰を下る。
トンネルはこの区間のほぼ中間点で、かつて名古屋城下への下街道が中仙道から分岐する槙ヶ根追分に程近い峠にある。
昭和41年12月、中学生の頃、折よく武並を出発する下り貨物に遭遇、後補機と連携して力行するD51を初めて見た。
これが蒸気機関車に魅了される原点である。東濃路のD51の最高の見所であるこの区間は徒歩で何回も往来している。
武並停車中の下り貨物 逆向きで連結のD51の後補機が出発を待つ
峠に向かうドラフト音がいつまでも響き渡った
1966.12 武並駅
当時の武並駅の風景 通過する上り急行第1"ちくま"
1966.8 武並駅
42年6月4日、武並周辺で撮影。
釜戸近くで撮影後、列車で移動した。未だ蒸気機関車の撮影に慣れない頃ながら、兎に角武並発車を撮りたかった。
D51-265[中]牽引の下り長野行829レ、武並発車
左側は複線化に向けて整地されていた
武並・恵那間の複線化は、新トンネルを掘削して単線で別ルートの下り線を建設。新線は武並から北に分岐する。
旧線は現在も上り線で使用されている。
工事現場の先に、建設中の新槇ヶ根トンネルの坑口が見える
急勾配を駆け下りて武並に入線する上り貨物列車が来た。
D51-740[中]牽引の上り臨時貨物6654レ
半戦時型カマボコドームのD51-898[中]の後補機 テンダーのカバー付きシールドビームは中津川機関区仕様
武並駅構内はホーム途中まで曲線が続く 新線との分岐点
キハ58系下り急行第1"ちくま"
帰り際に雷雨になった。土砂降りのなか武並に入線する下り貨物列車。
D51-549[中]牽引の下り貨物655レ
1967.6 武並駅
多治見・中津川間 雪景色
瑞浪・釜戸・武並と続く。
釜戸から先、下り列車は11~13‰の勾配を進み、やがて20~25‰の急勾配に差し掛かって武並に到着する。
昭和43年1月15日、雪の成人の日、釜戸・武並間で撮影。
この日は恵那の先まで行っていたが、吹雪になったので撮影を諦めて武並まで下ってきた。
吹雪のなかを7キロ以上歩いていたが、元気なものである。12時半頃、雪が収まり、釜戸に向けて再スタートした。
キハ58系上り急行第2"しなの"、武並通過
1968.1 武並駅
釜戸・武並間5.4キロの複線化は腹付け線増で建設され、釜戸から3.0キロの大羽根信号所までは41年に完成していた。
同信号所は瑞浪市と恵那市の市境辺りにあり、この先武並までが急勾配になる。当時は複線化工事が進行中であった。
上り急行に続行する上り貨物の撮影は見送り、すでに複線のレールが敷設されていた線路脇を釜戸方向に急いだ。
25‰の勾配区間に到達して、13時前に来る下り旅客列車を待つ。長い直線の彼方から美しい白煙が見えてきた。
粉雪舞う中、ドラフト音が段々大きくなってD51がゆっくり坂を登ってきた。興奮の一時である。
D51牽引の下り長野行829レ 右は建設中の新線
左の木柱の下には「よい子はせんろにはいらない」の警告看板。のどかな時代であった。
武並で列車交換した上り塩尻発名古屋行840D 後方キハ58系2連に中津川で2両増結し先頭はキハ17
しばらく釜戸に向けて歩き20‰上り勾配の終点で下り貨物列車を待つ。下り急行がエンジン音高らかに登ってきた。
キハ58系下り急行第1"ちくま"
D51-265[中]牽引の上り臨時貨物6654レ この日は珍しく補機なし
下り急行の通過待ち、上り貨物との交換で約20分間停車していた下り貨物列車がいよいよ釜戸を発車する。
14時少し前、汽笛が聞こえてきた。やがて曲線の先から白煙が見えてD51が20‰勾配を登ってくる。
冷え込むなか震えながら待つのは辛いが、爆煙がすべてを忘れさせてくれた。
D51-279[中]牽引の下り貨物655レ
登りきる直前、安全弁が吹き上がった
D51の後補機が一段と素晴らしい煙を吐き全力で押してくる 左側は複線化に向けて整地されていた
ここから平坦区間になるが、すぐ先には25‰の上り勾配が待ち受ける。
興奮覚めやらぬなか再び釜戸に向けて歩き、大羽根信号所を越え複線区間まで来た。雪は止んだが、靴はびしょ濡れだ。
14時40分を過ぎて日が射し、下り旅客のD51がこの先の急勾配に備えて力行。光の中に美しい煙が上がった。
D51ー267[中]牽引の下り塩尻行831レ
1968.1.15 釜戸・武並
15時前、やっと釜戸に辿り着いた。朝から雪の中を歩いてきたが、この列車で帰ることなくまだ撮る元気があった。
D51-827[中]牽引の上り中津川発名古屋行628レ 西日を浴びて釜戸発車
1968.1.15 釜戸駅